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17.それぞれの事情

 二人して王宮に戻ると、門番がほっとした顔で出迎えてくれた。彼らにも心配をかけてしまったらしい。ほんのちょっとのつもりの散歩が、すっかり大騒動になってしまった。


 そうして王宮に入ったとたん、ジネットが勢いよく駆け寄ってきた。


「おかえりなさい、ロザリー様。中々戻ってこないから、みんな心配してたのよ。何もなかったようで良かった……って、えっ……」


 ジネットが顔を寄せ、じっくりと私を見つめる。目鼻立ちのはっきりしたジネットの顔が、どんどんこわばっていった。落ち着かないのでそっと離れようとしたら、両肩をがっちりとつかまれてしまった。


 そうやって私をしっかりと捕まえたまま、ジネットは器用に首だけを動かしてユーグ様をにらむ。


「まさかユーグ様が泣かせたとか、そういうんじゃないですよね? だとしたら、さすがに見過ごせないんですが?」


「ジネット、それは誤解だ。……たぶん」


「たぶんって何ですか、たぶんって! ロザリー様、ユーグ様にひどいことされなかった?」


 またぐるんとこちらを向いたジネットに、苦笑しながら小さくうなずいた。ひどいことどころか、その逆だ。その思いが伝わったのか、ジネットが大きく息を吐いてつぶやく。


「……どうやら濡れ衣だったみたいですね。全く、ユーグ様と何かあったのかと冷や冷やしました。いえ、何かあってくれた方が良かったのかもしれませんけど」


 どっちなの、という言葉をとっさに飲み込む。相変わらずジネットはよく分からないことを言っているけれど、下手につつくとやぶへびになるかもしれない。


 隣のユーグ様をちらりと見ると、彼も同じようなことを考えているのか澄ました顔で口を閉ざしていた。目だけで、いたずらっぽく笑いかけてくる。


「あの、ね。ジネット、これからちょっとユーグ様とお話があるから、そろそろ放してもらえないかしら」


「お話? あら、そうですか……うふふ」


 誤解も解けたようだし、そろそろ放して欲しい。そう思って声をかけると、ジネットがにやりと笑った。とても艶やかな、しかし何かを企んでいるような笑みだった。そして彼女の手はびくともせずに、私を捕まえたままだ。


「ユーグ様、その前に少しだけロザリー様をお借りしますね。どこかで……そうね、外庭辺りで待っていてもらえます?」


 ジネットのその言葉に、ユーグ様はためらいなくうなずいた。それを見たとたん、ジネットは私の背中をぐいぐいと押して、その場から離れさせようとする。去り際にユーグ様が小さく手を振ってくれたので、同じように振り返す。


「ねえジネット、どこに連れていこうとしているの?」


「いったん部屋に戻るのよ。ロザリー様、まだちょっと目元が腫れてますし、どうせだからおめかししなきゃ」


「おめかし……?」


「そう、おめかし。やっとユーグ様とゆっくり話せるんでしょう? だったら、精いっぱい綺麗にしていかないとね。大丈夫、私に任せて」


 何をどうしたらそんな結論にたどり着くのか分からなかったが、そのままうなずいて素直に自室に向かう。こういう時のジネットは、絶対に一歩も引かない。付き合いの短い私にも、そのことはよく分かっていたから。






 結局私がジネットから解放されたのは、小一時間ほども後のことだった。ユーグ様を待たせているということもあって私は気が気でなかったが、ジネットは「少しくらい待たせたってどうってことないわ。思いっきり素敵になって驚かせてあげればちゃらよ」という不思議な持論を展開していた。


 泣き腫らした目は薬草入りの水で冷やし、服もより華やかなものに着替える。もちろん髪型も抜かりなく整えられた。その上で念入りに化粧をされた私は、何とも言えない気持ちで外庭を目指していた。


 外庭には小川が流れていて、蝶が好む草花もたくさん植えられていた。人があまりいないので静かに過ごすにはいいですよ、とレミに教えてもらったことがある。確かに、辺りはとても静かでせせらぎの音が耳に心地良い。神秘的な赤い蝶が、目の前をひらりと横切った。


「ロザリー、こっちだ」


 茂みの向こうからユーグ様の声がする。茂みを回り込んでそちらに向かうと、ユーグ様は小川のほとりの木陰に腰かけていた。私の姿を見て、はっきりと目を見張る。


「なるほど、ジネットの狙いはそういうことだったのか……」


 ふっと目線をそらしてつぶやいたユーグ様が、またこちらを見て微笑んだ。


「……良く似合っているよ。素敵だね」


 たったそれだけの言葉で、このところずっと感じていた寂しさも、先ほど味わった恐怖も全て吹き飛んでしまった。入れ替わるようにして、浮き立つような喜びが胸を占める。


「ありがとうございます。お待たせして、申し訳ありません」


「いいんだ。ジネットがやりたかったことは分かるし、それに君の可愛い姿を見せてもらえたからね」


 さらにかけてもらった誉め言葉が嬉しくて、思わず小躍りしてしまいそうになる。どうにかそれをこらえて、微笑みながらお辞儀をするにとどめた。それでも、口元がいつもよりも上がってしまっているのを感じる。


 フィリベルト王子の婚約者だった頃は、よく内心の不安や戸惑いを隠していたものだが、今はまるっきり逆だ。はしたなくならないように必死で喜びを抑え込むことになるなんて、リエルに来たばかりの頃は思いもしなかった。


 そうしてひっそりと感激に打ち震えていると、ユーグ様は懐から出した布を自分の傍らの草の上に敷き、微笑みながらそちらを指し示した。


 いつもより豪華で布の多い服がしわにならないよう気をつけながら、そろそろと腰を下ろす。そこは風の通り道になっていて、ひんやりとした風が火照った頬に心地良い。


 さわやかな緑の香りと涼しい風にうっとりと目を細めながら、おもむろに口を開く。


「そういえば、どうしてユーグ様があそこに駆けつけてくれたんですか?」


「君が散歩に出たきり戻ってこないと、門番から報告を受けてね。ちょうどその時、用事で城下町に出ていた侍女が、君が一人で城下町を歩いていると教えてくれたんだ。彼女は君に声をかけるかどうか、かなり悩んだらしいが」


 ユーグ様は眉を寄せ、苦笑しながらこちらを見つめてくる。子供のいたずらをとがめているような、どことなく楽しそうな笑顔だ。やっと落ち着き始めた胸のざわめきが、また一気に息を吹き返す。


「ここの城下町はかなり治安は良いけれど、それでも全てが安全だとは言えない。他国の者も多く入っているし、細い路地は警備の目が届きにくい。もしも君がそんなところに迷い込んでしまったら大変だと思ったんだ」


 一つ一つ丁寧に説明していくユーグ様の言葉を聞きながら、私はうつむいて小さくなっていた。物思いにふけっていたとはいえ、あんなところにさまよいこんだのは私の落ち度だ。


「それに、ひどく胸騒ぎがしたんだ。だからつい、着替えもせずに飛び出してしまって……結果としては、それが最善だったようだけどね」


 彼はそこで言葉を切り、すぐ近くを流れる小川に目を向けた。なんとなく黙ったままの私たちの間を、水の奏でる軽やかな音色がすり抜けていく。


「ところで君こそ、どうして王宮を出てあんなところをふらついていたのかな。君はどちらかというと、臆病な方だと思っていたのだけれど」


「……それは……」


 その指摘は間違っていない。私は子供の頃からずっと、怖がりで臆病だ。だからあんなところに迷い込んだのも、ただの偶然だ。でも、そもそもどうして王宮を出てしまったのかについては、正直に答えづらい。


 何かそれらしい理由を口にして、ごまかしてしまおうか。そう思ったものの、こちらを優しく見つめているユーグ様の素晴らしく青い目を見てしまったら、そんな考えはすぐに吹き飛んでしまった。もうこれ以上、隠し事を増やしたくはない。その思いに突き動かされるように、口を開く。


「王宮にいるのが、少し辛かったんです。……ユーグ様に避けられていると思っていたので、寂しくて」


 話しているうちに、どんどん恥ずかしさが増していく。仮にも二国間の和平のために遣わされた使者が、そんな子供のような理由で周囲に迷惑をかけたのだ。それを自覚してしまって、次第に声が小さくなる。


「だから少しだけ外の空気を吸うつもりが、気がついたらあんなところに……」


 消え入るような声でどうにかそう言い、うつむいて視線を落とす。顔を上げるのが恐ろしくて、そのまま黙っていた。


 隣のユーグ様は何も言わない。いよいよ本当に、呆れられてしまったのだろうか。膝の上で握りしめた手に、ひらひらと白い蝶が止まる。ゆっくりと羽を閉じては開くその動きを眺めているうちに、頭がぼんやりとしてきた。


 視界の中にゆっくりと、大きな手が現れる。その手は私の手にそっと触れると、優しく包み込むように握りしめた。


 ふわりと飛び立つ白い蝶を目で追うようにして、顔を上げた。すぐ近くでこちらを見つめているユーグ様と目が合う。その青い目には、底知れぬ深さがあった。リエルの夜空を思わせる、星がまたたく深い青。


 ユーグ様が口を開く。いつも聞きほれてしまいそうになる、低く優しい声が耳をくすぐった。


「ロザリー、私は……」


 私は微笑みながら、言葉の続きを待っていた。ユーグ様の目に映った私は、うっとりするような笑みを浮かべていた。

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