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15.思わぬ助け

 私の腕をしっかりとつかんでいる男の手は、驚くほど大きくがっしりとしていた。その気になれば、私の腕など簡単にへし折ってしまえるだろう。


 恐怖に震えながら目の前の男を見る。とても背が高く、あちこちに細かな傷がついた風変わりな革鎧をまとっている。腰には飾り気のない長剣が下がっていたが、こちらもかなり使い込まれているように見えた。


 むき出しの腕や膝周りには、太い筋肉の束が薄い皮膚を透かすようにして盛り上がっていて、身動きするたびにぐねぐねと動いているのがはっきりと見て取れる。服装といい雰囲気といい、リエルの一般的な民とはまるで違っている。


 彼らはもっとずっと野蛮で粗野だ。ちょうど子供の頃から想像していた、恐ろしいリエルの連中の姿にぴったりあてはまる。しかもその上、彼らはあの不吉な黒い影をまとっているのだ。こんな恐ろしいものに、こんなところで出くわすだなんて。


 どこか他人事のようにそんなことを考えている間にも、私はどんどん路地の奥の方に引きずり込まれてしまっていた。石畳の段差に足を引っかけて踏ん張ろうとしたのだが、男たちの引っ張る力の方がずっと強くて、まるで話にならなかった。


「お願いです、放してください! 家の者が心配しますから、帰らないと」


 空しい抵抗を続けながら叫んでも、男たちは全く動じることがなかった。それどころか、彼らの顔に浮かんでいた不敵な笑みはさらに深くなるばかりだった。


「……そのなまり、あんたデルトの生まれだな? そんなもんが、なんだってまたこんなところにいるんだか」


「なんだ、いい身なりをしてるからいいところの嬢ちゃんかと思ったが……デルトのもんだっていうんなら、それも違うか」


 彼らの言う通り、デルトとリエルでは同じ言葉が話されているがほんの少しだけ発音が違う。けれどそれは本当にささいな違いでしかなく、城下町でも全く怪しまれることはなかった。どうして彼らは、私がデルトの者だとすぐに気づいたのだろうか。


「きっと亡命してきた元貴族かなんかだろ。だったら、このままかっさらっても問題ねえな」


「違いない。俺たちはデルトの連中をぶちのめすって契約になってるんだからなあ。これも仕事のうちってやつだ」


「これだけのべっぴんなら、間違いなくいい値で売れるぜ」


「おう、今日はいい酒が飲めそうだな」


 デルト王国からリエル王国に和平のための使者がやってきたという話を知らないのか、それとも私がその使者だと気づいていないのか。彼らは粗野な笑みを浮かべたまま、とんでもないことを話し合っている。


 恐怖に混乱している私にも、彼らが私をさらってどこかに売り飛ばそうとしていることだけは理解できた。彼らがまとっている黒い影はどんどん色を濃くしていて、もう彼らの姿を半ば覆い隠していた。


 早く、彼らから逃れないと。黒い影から少しでも体を離すようにもがいているうちに、ふとおかしな考えが頭をよぎった。このままさらわれてしまえば、もう暗殺などしなくて済むだろうか。そうすれば、ユーグ様を悲しませることもない。


 奥歯をぐっと噛みしめて、愚かな考えを追い払う。駄目だ、それではやはり何も解決しない。そうやって逃げたところで、いずれ私がさらわれたことがフィリベルト王子に知られてしまうだろう。そうなれば私は、きっと用済みとして死の呪いで消されてしまう。


 一瞬だけ力が抜けてしまった足を踏ん張り、もう一度全力で抵抗を試みる。けれど男たちは私のちっぽけな抵抗を笑い飛ばし、余裕の表情で奥へ奥へと進んでいくだけだった。何とかしてこの手を振りほどかないことには、どうにもならない。


「痛ってぇ! なにしやがるんだ、こいつ!」


 静まり返った細い路地に、男の野太い声が響く。いくら踏ん張っても逃げられないと悟った私が、なりふり構わず男の腕に噛みついたのだ。


 驚きに手を離した男がどんな表情をしていたのか知らない。自由になった次の瞬間、私は後ろを顧みずに全力で走り出したからだ。


 ほんの少しの沈黙の後、待て、逃がすな、という声が後ろから聞こえてきた。捕まったら今度こそ終わりだ。


 もしかしたら、周囲の建物に逃げ込むのが正解だったのかもしれない。けれどどの建物に逃げ込むのが正解なのか、私には全く分からなかった。一瞬でも迷って足を止めたら、男たちに追いつかれてしまいそうだった。


 だからひたすらに、細い路地を駆け続けた。まっすぐに、大通りを目指して。そこにたどり着くことができれば、きっと助かる。


 けれどそんな小さな希望は、あっという間に打ち砕かれた。後ろから迫ってくる男たちの足音が大きくなり、すぐに黒い人影が私を追い越したのだ。


 またしても私を前後からはさみうちにした男たちは、しかし今度はすぐに私を捕まえようとはしなかった。


「小娘の分際で、こけにしやがって……もう許さねえ」


「なあに、一撃で終わらせてやるよ」


 さっきまでとは打って変わって、男たちは低く押し殺したような声を上げている。その迫力に、背筋が冷たくなった。きっとこれが、殺気というものなのだろう。


 なすすべなく立ち尽くす私に向かって、男は剣を抜き、突きつけた。背後からも同じような金属の音が聞こえてきた。きっと後ろの男も同じように剣を抜いているのだろう。


 ああ、大通りまでもうあと少しなのに。


 思わず歯噛みする私の目の前で、男が見せつけるようにゆっくりと剣を振り上げた。黒い影の合間から見えるその顔は、とても残忍な笑みを浮かべていた。




 恐ろしさにぎゅっと目をつむる。助けて、ユーグ様。口の中でそうつぶやいた。きっとこれが、私の最期の言葉になるのだろう。


 けれど覚悟したその瞬間は、いつまでたっても訪れなかった。どさっという鈍い音に続いて、硬いものが石畳を転がるような音がする。後ろで男が息を呑むのと同時に、私の横を軽やかな風が通り抜けた。懐かしい涼やかな香りが、ふわりと鼻をくすぐる。すぐに、背後でまたどさりという音がした。


 私の周りで、何かが起こっている。けれどそれを確かめるのが怖くて、目をつぶったままでいた。


 誰かの手が、私の肩にそっと置かれる。薄い衣越しに、その体温が伝わってきた。


 恐る恐る目を開けると、ひどく心配そうなユーグ様の顔が見えた。彼の向こうの石畳に、さっきの男が倒れているのが見える。一瞬死んでいるのかと身構えたが、どうやら気絶しているだけのようだった。


「怪我はないか、ロザリー……?」


 そう尋ねるユーグ様もまた、恐る恐る声を出しているように見える。彼の青い瞳には、今までに見たことのないほど痛々しい色が浮かんでいた。彼はかすかに唇を震わせながら、一度も目をそらさずに私を見つめ続けていた。


 どうして彼がここにいるのだろう。でも、もう大丈夫だ。我ながら単純だとは思うけれど、心からそう信じられた。


 しかしさっきまでの恐怖がまだ尾を引いているのか、言いたいことはたくさんあるのにうまく言葉にならない。仕方なく、私は無言でこくりとうなずいた。


「そうか、良かった……」


 ユーグ様が安堵の表情になり、大きく息をついた。そんな姿を見ていたら、今さらながらに涙が込み上げてきた。あわててハンカチを出そうとしたが、それよりも先に涙がこぼれ落ちていく。


 恐ろしい目に合ったとはいえ、こんな路上で泣き出すなどはしたない。そう自分を叱咤したのだが、次から次へと涙があふれ出て止まらない。


 困り果てていた私を、ユーグ様がそっと抱き寄せる。先ほど嗅いだのと同じ涼やかな香りに包まれたとたん、自分の喉から嗚咽が漏れるのを感じた。


 結局私は、彼の胸にすがって泣き出してしまった。その間ユーグ様は、そっと背中をさすっていてくれた。子供扱いされているようで少し不満ではあったけれど、それ以上に強い安心感が胸を満たしてくれていた。

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