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11.(親子の語らい)

 ロザリーとユーグが城下町に出かけた日の深夜近く、ユーグはマルセルの執務室を訪ねていた。


「夜分遅くに失礼します、父さん」


「ああ、いいよ。ちょうど他の仕事が片付いたところだからね。それで、どうだった?」


 いたるところに書類がうずたかく積まれていた大机の前に座ったまま、マルセルが返事をする。今にも崩れてきそうな書類の山を見やって、ユーグはそっと苦笑した。


 マルセルは眠気をこれっぽっちも感じさせない機敏な動きで大机を回り込むと、部屋の入り口近くに置かれた長椅子にどすんと腰を下ろした。それを見届けて、ユーグも向かいの長椅子に腰掛ける。


「他国からの商人が増えていますね。そのせいか、どことなくぴりぴりしているように思えました。今日も、ちょっとしたもめ事に遭遇しました」


「そうか。だったら巡回の者を増やして、税やらなんやらについても見直して……ああ、面倒だね。どうして仕事っていうのは、こうも勝手に増えていくんだい」


「済みません、私ばかり出歩いていて。明日は一日、お手伝いしますから」


「全くだよ。僕だって顔が割れてなければ、お前みたいに気軽に出歩けるのになあ。ああ、早く隠居したい」


 どうやらこの愚痴はいつものことらしく、ユーグは素知らぬ顔で父親の言葉を聞き流していた。ふてくされた顔で息子を見ていたマルセルが不意に、にやりと笑う。


「まあ、お前がそうやって出歩いてくれているおかげで、僕もいち早く色々な情報をつかむことができているし、助かってはいるんだけどね。さて、街の方はそれでいいとして、あちらはどうだい?」


「彼女の……ロザリーのことですね」


「察しが早くて助かるよ。さすがは僕の息子だね」


「褒めても何も出ませんよ、父さん」


「土産話くらいは出るだろう? 夕方ごろ、お前たちが妙に親しげな様子で帰ってきたって、もう王宮中の噂になってるよ。侍女に兵士に文官たちに、いったい何度同じ話を聞かされたことか」


 弾むような声でそこまで一気に言ってしまってから、マルセルはまた突然表情を変えた。眉間にしわを寄せて、難しい顔をしている。


「密偵の報告によれば、彼女はデルトの王子の元婚約者で、王子に手を上げたとかで婚約破棄されたんだったっけ。妙な話だねえ」


「ええ。どうしてそんな人物が、突然和平のための使者として送り込まれることになったのか……」


「絶対何か、裏があると思うんだ。あのデルト王国の方から和平だなんて言葉が飛び出すなんて、最初に聞いたときは耳を疑ったからね」


「私もですよ。ですからこうして、積極的に彼女に近づいているんです。あちらが何か企んでいるのであれば、一刻も早くそれを突き止めなければなりませんから」


「それにしては、すぐに仲良くなったみたいだね? さすが色男は違うよ」


 意味ありげに息子に流し目をくれるマルセルも、多少ふっくらしていることを除けばかなり整った顔立ちをしていた。若かりし日は、きっとさぞかし女性たちの心を騒がせたことだろう。


「彼女は悪だくみをしているようには見えませんでした。……ただ、何かを隠しているように思えます。それが何なのかまでは分かりませんが」


 父親の冷やかしには取り合わずに、ユーグがひどく深刻な顔をしてそうつぶやく。その真剣な目に、マルセルは重々しくうなずいた。


「……そうか。ならこのまま、彼女について調べてくれ。隠し事の内容によっては、大変なことになりかねないからね。お前には迷惑をかけることになるけれど」


「いえ、当然の義務ですから。……彼女には少しばかり、申し訳なくもありますが」


「仕方ないよ。これも人の上に立つ者の務めなんだから。僕たちの真意を悟られないよう気をつけてね。せめて、彼女が楽しく過ごせるように」


「……はい、もちろんです」


 そう答えたユーグの表情は、いつになくひどく固くこわばっていた。マルセルもすぐにそれを見て取ったらしく、深刻そうな顔をして黙り込む。重苦しい空気が、二人の間に流れ始めた。


 けれどすぐに、やたらと明るい声がその空気を吹き飛ばすように割り込んでくる。


「マルセル様、本日の報告に参りました……ってあら、ユーグ様もいらしてたんですね」


 まるで散歩でもしているかのように気楽な足取りでやってきたのは、女官長にして今はロザリーの世話係を務めているジネットだった。向かい合って座っていた二人がほっと安堵のため息をつき、彼女に向き直る。


「ああ、問題ないよ。ユーグには構わず報告をしておくれ」


「はいはい、分かりました。それでですね、ロザリー様のことなんですけれど」


 その言葉にユーグがかすかに肩を震わせる。マルセルとジネットはそんな彼をちらりと見たものの、すぐに自分たちの会話に戻っていった。


「あの方、可愛いですよね。少しからかうとすぐにうろたえて赤くなっちゃって」


「ジネット、いきなり脱線してはいないかい?」


「いいえ、これが結論ですよ。あの方は何かを思い悩んでいるみたいですけど、悪い方ではない」


「根拠はあるのかな?」


 打って変わって静かな声でそう尋ねるマルセルに、ジネットは女の勘です、と胸を張って答える。


「ロザリー様はそもそも、隠し事に向いてないんでしょうね。考えていることが割と顔に出ていますから」


 ジネットはそこまで言った後、不意に小首をかしげた。何かを思い出しているかのように、目線をさまよわせている。


「……隠し事といえば、ロザリー様の胸元には変わった紋様が刻まれていましたね。どうも何か、訳ありのようにも思えますが……」


 その言葉に、マルセルとユーグは揃って目を丸くした。普段は異なった印象を与える二人は、そうしていると驚くほど良く似ていた。


「なんだか気になるね。でも僕たちにはどうしようもないし、それについては君に引き続き調べてもらっていいかな?」


「ええ、任せてください」


 マルセルの願いに力強くうなずいていたジネットだったが、すぐに目を見開いて口元を手で押さえた。


「あっそうだ、一つ大切なことを忘れてました」


 今までで一番真剣なジネットの様子に、マルセルとユーグが息を呑む。二人の顔を順に見渡すと、ジネットはまた口を開いた。


「ロザリー様、ユーグ様のことが気になってしょうがないみたいですよ。私がユーグ様の昔話を始めたら、恥ずかしそうに頬を赤らめて一生懸命耳を傾けていましたから。その姿の可愛らしいことといったらもう……お二人にも見せたかったわ」


「ジネット、いったい何を話したんだ」


 気まずそうにユーグが口を挟む。ジネットは澄ました顔で、さあ? ととぼけてみせた。


「大丈夫ですよ、ユーグ様の恥になるようなことは喋ってませんから。それよりユーグ様、ここで出くわしたのも何かの縁です、ちょっと白状してくれませんか?」


 仮にも王子であるユーグ相手にずけずけと物を言いながら、ジネットが彼に迫っていく。何を白状させるつもりなのかな、と戸惑うユーグに対し、マルセルは明らかに面白がっている顔をしていた。


「ユーグ様は、ロザリー様のことをどう思っているんですか?」


「……単身敵国に放り込まれたうら若き女性としては、良くやっていると思うよ」


 ジネットの勢いに飲まれているのか、どことなくたじろぎながらユーグが答える。しかしジネットはそれでは不満だったらしく、形のいい眉をつり上げてユーグをにらみつけた。


「そういうことじゃありません。私の言いたいこと、分かりますよね?」


「僕もぜひ聞きたいなあ。ユーグ、これは王の命令だ、素直に答えるんだよ」


 妙なにやにや笑いを顔いっぱいに張りつけたマルセルが、笑いをこらえながら厳かな口調でそう命じる。ユーグは途方に暮れたように天を仰いでいたが、やがてため息と共にうつむくと、力なくつぶやいた。


「……彼女はとても純真で、何事にも一生懸命です。街歩きなどデルトでも経験がなかったのでしょうが、それでも彼女は嫌な顔一つしませんでした。むしろ、楽しんでくれていたようです」


 その言葉を一言も聞き漏らすまいとしているのか、マルセルとジネットは普段の姿からは想像もできないほどぴったりと口を閉ざし、気配を消していた。ユーグは一度も二人の方を見ることなく、ゆっくりと言葉をしめくくった。


「私はそんな彼女を、人として好ましいと思います」


 だから彼女をあざむいて近づき、その隠し事を探るような真似をするのは心苦しいんですよ。純真な彼女をだましているようで、自分が最低な人間になったような気がして仕方がないんです。


 彼はその言葉をぐっと飲みこみ、胸の奥にしまい込んだ。ロザリーの真意を確かめることはこの国を守るために必要なことだと、王子である彼には嫌というほど分かっていたから。


 ユーグの脳裏には、昼間のロザリーの姿がよぎっていた。戸惑った顔、興味津々に辺りを眺めていた顔、見慣れない食事を美味しそうに頬張っている顔。彼が彼女にショールを贈った時、彼女は子供のように無邪気に、心底嬉しそうに笑っていた。


 そんな表情の一つ一つが、ユーグの心をちくちくと刺していく。彼はロザリーの純真無垢さと、己の後ろ暗さとを比べずにはいられなかった。ユーグは目を伏せて、ただ唇を固く引き結んでいた。


 マルセルとジネットは相変わらず黙りこくったまま、そんなユーグをじっと見つめていた。

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