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 私はくるりと体の向きを変え、先ほどいた場所まで引き返し、今度は椅子ではなくベッドの上、ロベルトの頭に近い場所へと腰を下ろした。

 ギシっときしんだ音をさせ、座った場所がわずかに沈む。



「ロベルトは友達とは思ってないの?」


「友達になろうって言われていません」



 枕に顔をうずめ、小さく縮こまるロベルト。

 私はその茶色みがかった金色の髪に手を伸ばし優しく撫でた。

 子ども特有の柔らかくて、サラサラした髪が、指と指の間をするりと通り抜ける感覚が心地いい。

 


「でも、私から見ればロベルトとテオとスイはもう友達に見えるわよ」


「どこがですか?」


「どこ……って、言われてもねえ」



 ちらりと枕の隙間から、ロベルトの沈んだ翡翠色の瞳が見えた。


 遊びにくる時点で友達認定されているようなもんなんだけど。

 ロベルトはそう思わないのだろうか。



「王都にいた時だって、友達の家に行ったりしたでしょ?」


「週に1度や2度ぐらいです」



 物心ついた頃から王都にいるロベルトにとって、友達とはどういうものなのだろう。

 近所に住んでる友達が、約束もなしに、突然家に遊びに来た時の高揚感。

 公爵家の子息であるロベルトには、そんな思い出は恐らくないだろう。


 親が子どもの友達を決め、決められた時間、決められた場所を提供される。

 子どもに友達を選ぶ権利はない。



「友達とは何をして遊んでいたの?」


「……、パズルとか駒とか、一緒に本を読んだりとか」


「本以外には? たとえば、おもちゃの剣を使って、騎士ごっことか」


「あまり騒ぐとメイドや執事に怒られます。

 外でする遊びは怪我をするので、もう少し大きくなってからって言われています」



 窮屈な環境にいるロベルトを、私は大変だなと他人事のように思うと同時に、自分もそこにいたのだという辛い記憶を思い出させた。


 妹のユリアは親の決めた、希薄な関係の友人と仲良くするのが得意だった。

 私の記憶の中にあるユリアは、いつもニコニコしていた。

 女の子は基本的にコミュニケーション能力が高い。


 でも、全部が全部じゃない。

 私のように……。

 友達付き合いが下手なヤツだっている。


 うわべだけの関係が苦手なヤツだっている。


 男の子であるロベルトは、この希薄な関係しか築けない王都での暮らしが、性に合わなかったのだろう。



「僕には本当の友達がいません。全部偽物だったんです!」


「偽物?」


「シャルルが……、シャルルが僕のこと嫌いって……」


「シャルルが?」



 シャルル・ドヴェ・ヘムハイム。

 たしかロベルトより1つ年上の伯爵家の三男。

 常に唇をきゅっと締めて、体をもじもじさせ、いかにも気弱そうな印象の子だった。



「そんな事を言う子には、見えなかったけどなあ」


「でも、僕ははっきりと聞いたのです!」



 公爵家の長男相手に喧嘩腰で『嫌いっ!』なんて言える立場の子っていったら、王族とかそのレベルになるけど。

 家の問題に発展しかねないしなあ。


 公爵家と伯爵家。

 立場は明確なのに、言動に気をつけるぐらい、親に言い含められているはずなのに。

 特にシャルルは三男。


 アスタナ王国は建国時から、爵位は嫡子且つ長男が受け継ぐのが基本だ。

 あけすけに言えば、浮気相手の女性の子じゃなくて、正妻の子ども。

 そして、その家で一番年長の男児ということだ。


 長男が何かしらの理由でつげない場合のみ次男、次男がダメだったら三男というふうに回ってくる。


 爵位、いわゆる家名に領地がくっついてくるシステムなので、領地がなけりゃ収入はなくなる。

 そうなると、自分で食い扶持(ぶち)(まかな)わねばならない。

 おのずと将来、自分が何者にならなくてはならないかが決まってくる。


 ひ弱そうな見た目だから、騎士は無理だろう。

 たぶん官僚あたりが向いているのではないだろうか。


 何も取り柄もなく、家名だけをその身に着けて、穀潰しとなったが最後。

 家の評判は落ち、家族からは(ののし)られ、貴族籍を剥奪され、平民となるほかない……。



「僕はシャルルの事が大好きでした。

 でも、シャルルは違っていたのです。

 シャルルは僕の事を『いつも自分の事ばかり考えている傲慢なヤツ』だと。

 『いつも無理なことを人に押し付ける』と。

 ぼ、僕と……、あ、あっ……遊んでいても……ち、ちっとも面白くないとっ!! 」


「えっ……、それ直接シャルルからそんなこと言われたの?」



 怖いわ……。

 めっちゃキレてるやつやん。

 おとなしい子ほど、キレると怖いっていうもんね。



「いいえ……、カミーユからききました」


「カミーユ……?」



 カミーユ。家名はたしかコングラッド。

 あのユパナ商会のエヴァンス・ユパナ・コングラッドの長男。

 嫌な予感が胸をよぎる。


 恐らく、お父様の人脈づくりでロベルトに引き合わせたのだろう。

 ユパナ商会からは領地で使用する消耗品以外でも、ユグタナへの支援物資の調達先としてシェルトネーゼ家との関わりが深い。


 男爵といえば貴族爵位の中でも一番身分は低いが、もとはその地域を支配していた族長の末裔。


 王から与えられた領地を、後から我が物顔で支配する棚ぼた貴族とは違い、その地に根を生やし、ともに一族の繁栄を築いてきた歴史ある男爵家。


 地位の低さから軽んじて見られがちで、何かしら、うっ憤も溜まっているはず。

 確固たる地位欲しさに公爵家の子息に取り入ろうとしているのが目に浮かぶ。

 ロベルトはきっとそういう大人の事情に巻き込まれたに違いない。



「カミーユに教えてもらって僕は気づいたのですっ!

 シャルルは、いつも僕の傍にいてくれました。

 いつも楽しそうに笑っていました。

 でも……、あれは全部嘘だったのです!

 僕はカミーユに言ったのです!

 あんな最低なヤツと僕は一生遊ばないって!

 だから、シャルルから手紙がきても全部捨てましたっ!

 今までもらった手紙も全部捨てましたっ!

 また遊ぼうねと書いていたシャルルの気持ちは、全部嘘だったのですっ!!」


「ロベルト……」



 ロベルトがどれだけシャルルの事が好きだったのか……

 だけど、ロベルトのとった行動はシャルルにとって、どれだけ相手を傷つけることか……



「僕は今はもう、カミーユとしか遊んでいません。

 カミーユは僕の事を『親友』だと言ってくれましたっ!

 絶対に裏切らないと……、絶対に裏切らないと……っ!!」



 ロベルトの声が上ずり、そのまま小さく嗚咽し始めた。

 私はいたたまれない気持ちになり、その小さく震える背中をさすってやる。



 カミーユは、わざとロベルトからシャルルを引き離したのだろうか……



 親の入れ入れ知恵?

 それとも、親の期待に応える為にとった行動?

 ……どこの世界に行っても、嫌な人間関係はあるものだ。



「カミーユは僕を裏切らないと言ったのですっ……!

 シャルルのように僕を裏切らないとっ!!」



 どうにかしてあげたい……。

 けれど、私は声を荒げるロベルトにやさしく寄り添うしか出来ない。



 私がどうにか出来る問題じゃないからだ。

 今の私が子どもだからっていう理由じゃない。

 大人になったって、複雑な人間関係を正すなど、簡単なことじゃないのである。


 シャルル本人から聞いてはいないのだし、これが誤解や誰かに操作されていた可能性だってある。

 ただ、たとえ誤解でも、ロベルトの負った傷がすぐに癒えるとは限らない。

 シャルルの事をこの先ずっと、何か怪しいと思うたびに、疑ってしまうことだろう。


 同時にシャルルだって、自分からの手紙を全部捨てられたと知ったら、一体どうなるか……


 諦めの境地で肩を落とし、私はロベルトの頭をポンポンと優しくたたいた。

 なんて言ってあげればいいんだろう。

 本当は今からでもシャルルのところへロベルトを連れて行って、真相を確かめたい……。



「僕はっ……、うっ……見て……しまったのです……」


「え? ……何を?」



 ロベルトは息を吸う度にしゃくりあげ、何度も大きく震える体で話し始めた。

 上手く息が吸えないのか、とぎれとぎれで、その痛々しい声音はロベルトの心に負った傷がどれだけ深いものかを物語っていた。



「うぅ……くっ……、カミーユとシャルルがっ……うぐっ……、

 た、た……楽しく話しているところをっ……

 ぼ……ぼ、ぼくは見てしまった……うぅ……のですっ!!」



 枕を口に押し当て、必死に嗚咽を抑えるロベルト。

 その痛ましい姿に私は無意識に強く唇を噛んだ。

 私だって前世今生合わせて人並み以上に人生は送ってきた。


 友人関係において、死ぬほど悩んだのは、一度や二度じゃない。



「ぼ……僕の、なまっ……なまえが出て、……うくっ……きました。

 ぜ、……ぜったいにぃ……ぼくの……うぅっ……、わるくちを……言って……いたのです!」



 誰かに自分の悪口を言われる事。

 過去に経験した感情が、じわりじわりと胸に広がっていく。

 思い出したくもない。あの時の自分を。



 わたしはうまくやっている、と思っていた。

 〇〇ちゃんとは超仲がいい、と思っていた。

 それに、わたしは〇〇ちゃんのために尽くしてる。


 〇〇ちゃんもわたしが一番だよね?

 あれ、〇〇ちゃん? 誰その子?

 なんで、他の子と仲良くしてるの?


 なんで、わたしから離れていくの?

 なんで、わたしのいないところで、その子と遊ぶの?

 なんで、二人はわたしを見て、くすくす笑うの?



 ――……なんで、わたしはこんなに不安なの?



 あれ? 〇〇ちゃん、最近あの子と一緒にいないね?

 え? 〇〇ちゃんは、あの子の事が嫌いなの?

 私も……私もあの子嫌い。


 前からずっと嫌いだった!


 〇〇ちゃんがあの子の悪口を言ってる。

 なら、一緒に悪口言わなきゃ。

 うん、そうだよ、〇〇ちゃん。



 私たちは『友達』だよね。



 自分の意思じゃない。

 誰かにずっと操られている感覚。

 焦り、不安、恐怖。


 いつ自分が陰で悪口を言われるか分からない毎日。

 だから一緒に悪口を言わなければならない。

 笑顔の下に隠れた憎悪、執着、依存。



「カミーユもっ……シャルルの事が嫌いって言ってましたっ!

 僕よりもずっとずっと……うっ、シャルルのこと、き、嫌いって言ってました!!

 あんなのろまなヤツ……、一緒にいても全然楽しくない!

 目障りだっ! って!

 僕もシャルルが嫌いになりました!

 ……カミーユも嫌いって言ったのですっ!!

 でも、うぅ……、二人は……、ふたりは……僕のいないところで、二人は仲良しで、僕の事を……馬鹿に……していたのですっ!!!」



 ロベルトは(せき)を切ったように泣きじゃくり始めた。

 ロベルトの声が大きく部屋の中に響く。



「ロベルト……」



 誰から教えてもらったのかは、分からないけど。

 いつの間にか私たちは『それ』をしている。


 自分の居場所を危険にする者、目障りな者、出る杭は全て打ちのめせ。

 わたしの平穏の為には、あの子が必要。

 あの子がわたしの元へ帰ってきたのなら、それでいいの。


 わたしはあの子に勝ったの。

 わたしのほうが、この子と仲が良いの。

 この子はわたしを裏切ったんじゃない。



 あなたより、わたしを選んだの!



「ぼくは……ひとりぼっちです……」



 ねえ、もうわたしから離れないよね?

 いつもわたしの味方だよね?

 わたしを独りにしないよね?



「ひとりぼっちなのです……」



 独りにしないで。

 独りにしないでよ。

 独りだって『みんなに』思われたくない



「ぼくは……裏切られたのです……」



 孤独の中

 絶え間なく、沸き上がる焦り

 何もかも、思い通りにならない怒り



 この先に待っている、孤独という名の絶望



 教室で孤立する自分を想像した時

 耐えられるのか?


 誰からも相手にされない

 見えないところで悪口を言われることに



 耐えられるのか?



「ひとりは……いやです……うぅ、ぼくは……ひとりはいやなんです……」



 教室でたった独り

 誰からも話しかけてもらえずに

 独りぽつんと席に座って次の授業を待つ



 耐えられるのか?



 耐えられないから……



「――……ください……あねうえ……」



 ――……『虐め』るんだろう。



 閉鎖的な空間は、時に人を悪にし、そして孤独にさせる。

 誰でも悪になることができるし、悪になりたくなくても、悪になってしまうこともある。

 悪に染まらず、我が道を行けば、その先には孤独が待っている。


 いるのだろうか。

 誰の意見にも物おじせず、物事を正しい目で見れる人間が。


 それは悪い事だと言ってくれる人が。


 人のために、自分はこの群れから孤立してもいいと。

 人のために、自分の信念を曲げず、強い意志を持てるのだと。

 人のために、自分以外の人間へ、悪を悪と言えるのだと。



 そんな強い心を持つ人が、この世にいるのだろうか。

 ひとりぼっちのわたしを……

 皆から背を向けられているわたしを……



 ――……助けてくれる人がいるのだろうか?



「助けて――……ください……あねうえ……」



 いる?



 いない?



 もう、知ってるよね?



 そんなの



 ――……いるわけねーだろ


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