46
「姉上! 僕をどこへ連れて行くおつもりですか!? 馬車はないのですか!?
寒いですし、こんなぬかるんだ土の上を歩いていては、靴が汚れてしまいます!」
昨晩遅く、マルタナ村ではみぞれが降った。
雨ごいの為、テルテル坊主を逆さにし窓辺に吊るしてみたが、翌朝起きてみると、外はからっとした冬晴れで、雲一つない良い天気となった。
昼食を終え、いざ、ロベルトを連れて村はずれへ出発。
太陽がわずかに残った雪を溶かし、地面にしみ込んだ雪解け水が土と混ざり合う。
どろどろの沼と化した道の上。
靴の裏にべっとりとくっつく泥に、地味に鬱陶しさを感じつつも、一歩一歩前へ進む。
私はロベルトの手をひき、ズルズルと引きずるようにして目的地へと向かって歩ていた。
「わがままを言ってはダメですよ! ロベルトお坊ちゃま!
向こうはまだ雪が溶けていなくて、もっと歩きにくいんですから!」
村はずれに着いた時にボロを出さないよう、従者モードでロベルトに接する私。
本日、最初の難関は、この王都の石畳に慣れた「ぼんぼん」を外へ連れ出すことだった。
2月も中旬。
冬真っ盛り。
温暖なメールス大陸とはいえども、王都よりも北寄りのシェルトネーゼ領は、冬になるとそこそこ寒い。
特にマルタナ村は氷産業で有名なネイマル王国に隣接しているので、さらに寒い。
「春になってからではいけないのですかっ? なんで今日なのですかっ?
行きたければ、姉上一人で行けばいいではありませんかっ!」
ロベルト、お前さんは……、春まで領地にいるんかい……。
隣を歩くロベルトを見て私はため息をついた。
顔が埋もれて見えなくなるほどの、モッコモコなファーがついた、茶色い毛皮のコート。
両手には中綿ぎっしり詰まった、本来の手の1.5倍以上の大きさに膨れた裏地つき手袋。
極めつけは、羊の毛が内側にたくさん詰まったベージュのムートンブーツ。
コートの下にも何枚か着こんでいるのか、太ってもいないのに、そのお腹はぱんっぱんに膨れていた。
首の下から真っすぐに点々と止められている、てかりの眩しい大きな黒ボタンは、今にもはちきれんばかりだ。
顏は小さいのに、体はヘビー級。アンバランスなこと、この上ない。
「一体いつまで歩かせるおつもりですか? 姉上はそんな貧相な恰好で平気なのですか?
田舎ぐらしで、とうとう寒さも分からないくらい、頭がおかしくなってしまったんでしょうかっ?
早く王都へ戻りましょう!」
「戻りませんよ、ロベルトお坊ちゃま」
まったく、何かにつけては王都に帰ろう、王都に帰ろう。
そんなに帰りたくば、一人で帰ればよろしい。
とはいえ、こんな厭味ったらしいヤツでも、シェルトネーゼ家の唯一の男児。
これでも私のかわいい弟。
過去の自分に重なるロベルトを一人王都に帰すのもなかなか気が引けて、どうにか自力で帰ってくれないだろうかと思い悩む日々が続いていた。
ロベルトに同年代の友達がいるのは不明だけど、もし気の置けない友達がいれば、ここに来ることもなかったんじゃないかと思う。
学園へ入り、友達を作ることに不安を覚えているというアリーの話も、的を射ているのかもしれない。
「あとそれと、皆の前では『姉上』じゃなくて、ルーンでお願いしますよ? エルーナの従者っていう設定なんですからね」
「わかってますよ! こんなみすぼらしい恰好をした平民が、僕の姉だなんで死んでも言えませんっ!」
「……っ!!?」
みすぼらしい……。
言葉のナイフがグサリと胸に刺さる。
上着を羽織ったところで、どうせ向こうで脱いじゃうから、夏とあまり変わらない装いの私。
半袖が長袖になり、ひざ丈ズボンの長さが若干長くなった程度だ。
確かにこの格好は、特にロベルトと並ぶと、その差は歴然。
今の時期にしてはうすら寒い服で、多少変だとは思うけど……、
村はずれの子ども達だって似たり寄ったりの恰好だ。
でも、ロベルトがここまで言うのなら、公爵家の従者として、この間仕留めたばかりの熊の毛皮で作った上着ぐらいは、羽織ったほうがよかったかな?
伯父様は応接間にあるローテーブルの下に敷きたいとおっしゃっていたけど……。
次、ロベルトと一緒に外へ出る時は、あの毛皮を着てこようと決め、私は気を取り直し、ぐずぐず文句を垂れるロベルトの手をひいて、村はずれを目指すのであった。
〇 〇 〇
「ルーン!」
もう少しで目的地に到着するというところで、一本道の向こうからアリーが手を振ってこちらへやって来た。
私もアリーに手を振り返す。
私たちの前まで来ると、アリーはさらさら流れるような黄金の髪をなびかせ、キラキラと輝くアメジスト色の瞳で私に微笑んだ。
寒さを感じさせない暖かく眩い笑顔は、まるでアリーの頭上にだけ春の陽光がさしているかのように輝きを放っている。
特に出迎えるという約束をしていなかったので不思議に思い、私はアリーに理由を尋ねてみた。
「どうしたの? アリー? 何かあった?」
「ううん。遅いから心配してたんだ。みんな、待ってるよ?
えーと……、そっちがロベルト君かな? こんにちは。僕はアリー。よろしくね」
アリーは私と手をつないでいるロベルトに笑顔を向けた。
「なっ……!」
すると、ロベルトは戸惑いの色を含んだ声をあげ、そのまま黙ってしまった。
不審に思ってロベルトの様子を見ようとしたんだけど、視線を下げる途中、私はふとある事を思い出した。
そういえば貴族社会って、身分によって色々面倒くさいんだよね。
貴族でも、人によっては従者とか執事を通してじゃないと挨拶したがらない人もいるし。
王族であれば、側近を通して会話をするのがアスタナでは常識だ。
現国王のエドガール・ゼド・アスタナ陛下は階級にこだわらず、というか人を挟んで話す事に効率の悪さを感じるらしく、直接話すことを好まれる。
まあ、お父様曰く、せっかちな人らしい。
反対に第二王妃であるジュリアス殿下の母君であられるセレス様は、絶対に側近を通してじゃないとダメ。
王家主催のパーティーだろうが、なんだろうが、羽がビラビラついた扇で口元を隠し、側近にごにょごにょ何かを伝え、側近が額に汗をにじませ、困り切った顏で、なんとか王妃の意を相手に伝えてくれるのだ。
実際に私がそれを見たことはないけど、お母様が妹のユリアの件で、セレス様とお話される事がよくあり、最初の頃は目すら合わせてくれなかったそうだ。
そんな悲痛な気持ちを綴った分厚い手紙も、お母様からたまに私宛に届く。
現国王が堅苦しいことがお嫌いな方なので、ほんの一握りの、身分を振りかざすことでしか生きがいを感じられない、中身のない貴族たちだけがギャースカギャースカ、爵位だ家名だ役職だ、と言っているらしい。
しかし……。
貴族、とりわけ王族とのつながりが濃い公爵家ともなると、平民からいきなり「ちゃーっす! おげんき?」なんてフランクに話しかけられたら……、どうなるんだろう。
私はマルタナ村では従者っていう身分だし、前世は上級国民だったわけでもないから、むしろ王族とかと接するほうがプレッシャーを感じる。
果たしてロベルトはどう出るんだろう……?
ヒヤヒヤしながらロベルトの反応を待つ私。
だが……。
あれ……? ロベルトの奴、何も言わない……
アリーをちらりと見れば、首をかしげて困ってるような顔をしている。
一体、ロベルトに何が……
私は手をつないでいるロベルトのほうへ視線を向けると……。
ロベルトはアリーの顔を見上げたまま、口をあんぐりと開けて固まっていた。
えっ……どうした?
「ロベルトお坊ちゃま。どうされました?」
私がそう言うとロベルトははっと目を大きく見開き、私とつないでいる手とは逆の方向へぷいっと顔を背けてしまった。
ロベルトの顔がほんのり赤いのは、気のせいだろうか。
そんな様子を見て、姉として「挨拶されたらちゃんと返すっ!」と叱りたい気持ちが沸いたが、今は従者、今は従者、怒ってはいけないと自分をいさめる。
そんなロベルトにアリーは、「人見知りかな?」と苦笑し、首をこてっと傾げた。
以前のような美少女ではなくなったものの、アリーの美しさは健在だ。
今は少女にも見えるし、少年のようにも見える中性的な雰囲気をまとっている。
うーん、もしやロベルト……、アリーに見とれていたとか?
横を向いたまま、赤い顔をしているロベルトを見て、私はまたもや胸騒ぎを覚えた。
どういう属性なの……? ロベルト。
気を取り直し、3人で村はずれへ向かう。
アリーを先頭にしばらく歩くと子ども達の騒がしい声が聞こえてきた。
「さあ、着きましたよ。ロベルトお坊ちゃま。少しここでお待ちくださいね」
村はずれに到着し、私はロベルトとアリーをその場に残して、近くの小屋へと向かった。
小屋の中にある丸太をぶつ切りにした椅子を脇にかかえ、2人のもとへ戻り、ロベルトの後ろにドスンと置いた。
まあ、案の定、ロベルトはその質素な椅子にいちゃもんを付け始めたわけで。
「僕にこんな固い椅子に座れというのですか!
僕のぷりぷりのお尻を、この固く冷たい丸太に乗っけろというのですか!
僕はトゲトゲの丸太に、お尻をぶっ刺される為に、ここに来たのではありませんっ!」
お尻をふりふり左右に揺らし、抗議するロベルト。
正直、反応に困る。
トイレにでも行きたいのだろうか……。
「大丈夫でございます。その丸々太ったイノシシみたいな分厚いコートを着たお坊ちゃまであれば、この丸太のささくれが刺さる心配はないでしょう。
さあ、座ってくださいまし!」
私は喚くロベルトに「ウォルフ先生に挨拶に行ってきますから、ちゃんといい子でお待ちくださいね、お坊ちゃま」と口うるさい中年メイドのように言いつけ、ウォルフ先生を探しにその場を後にする。
あたりを見回すと、向こうのほうでジルと一緒に子どもたちに剣の指導をしているウォルフ先生の姿を見つけた。
「ルーンの従者姿初めて見たけど、結構板についてるね!」
アリーはニコニコと笑顔を浮かべ、ウォルフ先生のほうへと向かう私の横に並んだ。
確かに、今まで従者っぽいところ皆に見せたことなかったなあ。
いや、だって主であるエルーナは私だから、どう考えたって従者をしているところを見せるなんて不可能だもんね。
「そう? ジェーンを見習ってやってみてるんだけど、まだまだだよ。
ジェーンぽくない? ちょっと口うるさいところとかさ」
「確かに似てるかもね! あっ、でも……それジェーンさんに言ったら、たぶん怒られるヤツだから言わないほうがいいと思うよ?」
「い、言わないよっ! ていうか、今のは冗談だよ、冗談っ!」
「えー、冗談には見えなかったけどなあ?」
「アリー……、はいはい、降参降参」
アリーと言い争っても勝てる見込みはないと諦め、しぶしぶ両手を挙げた。
今日ここにロベルトを連れてきたのは、知ってのとおりアリーの提案だ。
ジルやガイにも了承済みで、今日はロベルトをテオとスイに引き合わせるつもりだ。
不肖の弟ロベルトに、自分の最愛の弟たちを差し出してくれるなんて、ありがとうジル、ガイ……。
でもロベルトのことを気にかけてくれるのは嬉しいんだけど、姉としては弟がどういう反応を見せるか心配だ。
不安な気持ちを抱えたまま、子どもたちに素振りの練習を教えているウォルフ先生に声をかける。
「すみません、ウォルフ先生! ロベルトお坊ちゃまを連れてきました。
あそこでちょっと見学をさせてもらいたいのですが、いいですか?」
練習中に声をかけるのは悪いから後にしたかったんだけど、この村の領主の息子となれば、それを気にしている場合じゃない。
あと、ロベルトのお尻が悲鳴を上げてしまう。
「ああ、今日だったか! じゃあ、テオとスイをよんで来るから、ちょっと待っててくれ。
たしか向こうで休んでるはずだから。で、そのロベルトお坊ちゃんってのは、どこだ?」
ウォルフ先生が首を大きく左右に振りあたりを見回すので、私はあそこですと、先ほどロベルトを丸太の上に乗せた場所を指さしたのだが……
「あれっ!! いなくなってる!!」
ロベルトが待っているはずの場所には、丸太だけがぽつんと一つ残され、肝心のロベルトの姿は忽然といなくなっていた。




