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 ロベルトを村はずれに案内するちょっと前の話。

 ジェーンが元アサシンであることを知った、その数日後の柔軟体操レッスンにて。



「今日からお嬢様には、より実践的な訓練をしていただきます」


「な、なんですと……!?」



 実践的っていうのは、まさにアサシンの秘術ってことなのでは!?

 ゴクリと生唾を呑む私。



 す、すごい……!



 アサシンからこの身を守るため、今日の今日まで鍛錬してきたけど、まさか私がアサシンと同等の能力を得られる日がこようとはっ!


 感動に打ちひしがれている私をよそに、ジェーンは何やら手のひらサイズの謎の木片を、水色のキルティング生地で作られた可愛いトートバックから取り出した。


 ジェーンって持ってる小物類がいちいち可愛いんだよね。

 クールな印象なのに、そこはやはり女子だなあって思う。



「これは本来であれば鉄で出来ている物なのですが、万が一、直撃しますと命の保証がありませんので、こちらを使用します」


「あっ……、そ、そうなんだ」



 そうだよね、アサシンって人の命を奪う職業だもんね。


 命の保証はないっていうのをきいて、ちょっとビビる私。

 木片ならそんなに当たっても痛くなさそう。

 先端とがってるけど……。



「今日は屋内ではなく、庭での訓練ですが、もちろん逃げる際には、そこの木を使って頂いてもかまいません」


 ジェーンはそう言って、屋敷をぐるりと取り囲む塀に沿ってまばらに植えられている数本の木を指さした。


 葉のない、老人の乾いて節くれた指のような茶色い枝をむき出しにした巨木。

 皮膚を切り裂くような冷たい風が吹けば、ピキピキと音を鳴らし今にも折れそうに揺れている。


 そう、私たちは今まさに、真冬の空の下にいる。

 いつもは主にダンスのレッスンなどに使われる板張りの屋内の部屋で、柔軟やダンスレッスン? をしているんだけど、今日は飛び道具を使うからということで、外にその練習場所を移している。



「逃げるって言っても、木に登るほどなの?

 この広さの庭であれば、だいたいかわせるような気がするけど」



 私はそこそこ広い屋敷の庭をぐるりと見渡した。

 さすがに一直線で50メートル走はできないけれど、30メートル以上は幅がある、奥行きだって訓練には申し分ないほどだ。


 そういえば、ここの庭の雑草むしるの大変だったな……。


 夏になったらまたあれをやるのか……。


 肩を落とす私に構うことなく、ジェーンは片足を後ろに下げ、すっと態勢を低くした。

 両手には数個の木片を指と指の間に挟み込んでいる。

 それを見て、すかさず私も腰から刀を引き抜いた。



「エルーナお嬢様のお好きなように……。

 ――…… では、はじめましょう」



 ジェーンの言葉を皮切りに、一本の刀を手にした私は、真正面から飛んでくる木片に焦点を合わせ斬りかかる。


 さて、アサシンとやらの技術……、とくと見させてもらおうじゃないかっ!



 〇 〇 〇



「ま、参りました……」



 首筋に当てられた木片の切っ先が、当たるか当たらないかの位置で止められ、ジェーンの細く柔らかい腕が、私の顎の下に回りヘッドロックをきめている。

 私は今にも消え入りそうな情けない声で、自らの敗北を宣言した。



「どこか痛むところはありませんか? お嬢様」



 首に回された腕が外されると、私はその場にへたりと倒れ込んだ。

 少し離れたところではオリヴィアがきゃっきゃと歓声をあげ、パチパチと手を叩いている。


 さすがジェーンの一族、小さい子どもといえども、戦闘シーンを見て、驚くどころか楽しんでいるなんて。

 ヒーローショーみたいなものと思っているのかもしれない。



「大丈夫。ひねってはいないけど、久々にこんな動いたから体が重い」



 ゴフタナ村へは1日のほとんどを馬にのって移動していたせいか、運動量はいつもの練習の半分以下。

 しかも、往復で2週間の移動。


 刀に触れたのは休憩中にアリーやジルと少し手合わせをしたぐらいだった。

 それでも、ウォルフ先生からは『ちゃんと休憩しねーと、馬から落ちるぞー』なんて言われて、運動するのを止められていたのだ。



「いつもより動きが鈍かったので、心配いたしました。

 何か飲み物を持ってまいりますので、少々お待ちください」



 ジェーンは木片を青いトートバックに戻すと、それを手に持ち屋敷の中へ入って行った。

 木片がどういう構造か見てみたかったんだけど、ダメだったか。

 オリヴィアが触ったりしたら危ないもんね。


 今度見せてもらおう。


 ジェーンの姿がなくなると、オリヴィアがテッテッテと駆け足で私のほうへ走り寄ってきた。

 今日もユリアのドレスを着ている。

 全体的に白を基調としたシンプルなデザインで、この季節だと雪の妖精と見間違えてしまいそうだ。



「エルーナッ!! イノー!」



 オリヴィアは何故だかよく分からないけど、パンパンパンとその小さい手で、私の背中を勢いよく叩き始め、最近覚えた私の名前を呼んだ。



 嗚呼――…… 可愛い……



 ちなみに、エマニエル伯父様の事は、「ムニエル」と呼んでいる。

 魚料理が浮かんだけど、こちらの世界にはムニエルはないようなので、伯父様は気にしていないようだ。



「イノー、イノー!」



 オリヴィアは何やら訳知り顔で、首を縦にうんうんとふり、私に何かを伝えている。

 なんだろう……、よくわからないけど、励ましてくれてるのかな?



「ありがとう。オリヴィア」



 にっこり私が微笑むと、オリヴィアもニコッと太陽のようにキラキラ眩しい笑顔を浮かべ……。


 そして……―― 私にビシっと力強く中指を立てた。



「えっ!?」



 ピィーンッと一つだけ雄々しく上を向く、中指。

 そ、それは……、まさに、ファ〇クサイン!!



「イノー、イノー!」


「お、オリヴィア……?」



 前世では限りなく相手を侮辱する行為なんだけど……、ここではどういう意味なんだろう……。

 驚きで何も言えない私は、ただただ邪気のない、100%純真無垢な笑顔で私に中指をたてるオリヴィアを見つめることしか出来なかった。



「イノー! イノー! アウサー、イノー!」



 ファ〇クサインだ……。

 前世でもされたことのないファ〇クサイン。

 まさか、こんな幼女にされるなんて。



「オリヴィア……」



 口の端から弱弱しい掠れた声が漏れる。


 励ましてくれてるんだよねっ! オリヴィアっ!!

 そうだよねっ!! そうなんだよねっ!

 頼むから……そう言ってくれ……強くなるから。


 涙は自然と目からこぼれ出ていた。

 オリヴィアに中指をたてられ、それが敗北の涙なのか、オリヴィアのファ〇クサインによる涙なのかは分からないが、私はさらに強くなることを決心した。



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