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 私はとっさにジェーンから視線を外した。

 膝に置いた手にぎゅっと力が入る。


 ジェーンの一族を殺してしまった。


 私という存在は、今まで何も知らず、生まれながらにして業を背負っていたのだ。

 ずっしりと重い何かが、私の背中にのしかかったような気がして、徐々に体が前のめりに傾く。


 私がどうこう考えたところで、過去を変えることなど出来ないのだから開き直ればいいのに。

 でも、それでもなんとか出来なかったのか、という無念さが心に広がった。



「ただこれは、ネイマル王国が一方的に言っていることにすぎません。

 ネイマルは基本的にアスタナを『悪』にしたてあげ、国としての基盤を築きたいだけですから」


「でも、ネイマルが言っていることは正しいでしょ? だって……」



 そらした視線をジェーンのほうへ戻すけど、なかなかジェーンの目を見て話せなかった。

 私が殺したんじゃないのは頭では分かっている。

 でも、今私の体にはジェーンの一族を殺した人と同じ血が流れているという現実が受け入れられなかった。


 ジェーンは静かにベッドから立ち上がり、視線をさまよわせる私の前にかがんだ。



「エルーナお嬢様」



 ゆっくりとやさしい声で呼ばれ、さらに罪悪感は強くなる。


 やめてよ。

 これなら一発ガツンと怒鳴られたほうがマシだよ。

 そのほうが逆に私は悪くないと開き直れるのに。



「だって、アスタナの人はジェーンの一族を殺したんでしょう?」



 私はジェーンを視界から避けるようにして俯き、膝に視線を落とす。

 そこへジェーンのひやりとした冷たい手が、私の握りこぶしをそっと柔らかく包み込んだ。



「何も、殺したという表現は少し過激で本来の事実とは異なります。

 わたくしたちの一族は、たしかにアスタナの民が来たことにより、大量に命を奪われました。

 ですが、その理由は決してアスタナの民が、わたくしたちを直接殺めたというのではないのです」


「じゃあ、何故ジェーンの一族は命を落としてしまったの?」


「それは、アスタナの民が持っていた病によるものなのです」


「病? 病気ってこと?」


「はい、それは……」



 それは多くの人間が寄り集まって生きているアスタナで猛威を振るった病だった。

 感染した人間は、ほぼ100%死んでしまう。

 不治の病とも言われ、それは人から人へうつるというものだった。


 最初は風邪のような症状で次第に体が衰弱し、そのまま意識がなくなってしまうのだと。

 通常の風邪と見分けがつかなく、瞬く間に広がった。


 症状が現れたらすぐに隔離され、もしくは身分が低い者ほどその場で殺され、土に埋められた。

 ただの風邪であったとしても、同様の事が行われた。

 もう数百年前にはなるが、アスタナの国民の3分の1以上がその病で命を失ったという。



「長い年月が経ち、ようやくアスタナのとある地域で、この病にかからない者たちや症状が出ても死に至らない者たちが出てくるようになりました。

 次第に、ほぼ全ての地域でその病は克服されたのです」



 特効薬が見つかったのだろうか。

 それとも、感染症に対する免疫をもった人間がたまたま現れた……?

 もしくは、免疫を作るいわゆるワクチンになるものを発見し、摂取していたか。



「ということは、その病を『何らかの形』で持って来たアスタナの民が山を越えて、ジェーンの一族に……?」


「そのとおりです。わたくしたちの一族は国を逃れてきたアスタナの民を受け入れました。

 通常の人が住める環境ではないため、わたくしたちの助けが必要だったのです」



 困っている人々を助けたジェーンの一族。

 でも、助けたことによって一族は壊滅的な打撃を受けてしまった。

 誰がこんなことになるなんて、想像しただろう。


 たしか前世の史実にも似た話があった気がする。

 新大陸アメリカの原住民、そのほとんどを死に至らしめた、天然痘やインフルエンザはその代表格だ。


 少数の部族単位で暮らす人々は比較的、死に至るほどの感染症で一族が絶えることはない。

 それは、その部族単位で病気にかかり、他の部族は遠く離れたところに住んでいるため、広がらないのだ。


 病原菌もたくさんの宿主である人間がいなければ増えることができないし、変異することもできない。

 すなわち宿主が死んでいなくなれば、病原菌もいなくなるというわけだ。


 少数の集団で暮らすジェーンの一族は感染症の脅威にあまりさらされたことがない。

 つまり、免疫をもたない彼らは、菌の格好の餌食となってしまったのだ。



「でも、なんで一族ほぼすべての人が亡くなってしまったの? 離れて暮らしている人たちは病気にはかからないと思うけど」


「はい、ですがわたくしたちの一族は一定の周期で他の集団との交流をしていました」


「あっ……、なるほど」



 納得した私にジェーンは驚いたように目を丸くし、そしてむっと顔をしかめた。


 ま、まあ9歳の子どもが知ってるような内容じゃないし、エマニエル伯父様が教えたとでもジェーンは思ってしまっているかも。


 他の一族との交流、つまり血を薄くすること目的としている。

 親族間での交わりは血を濃くするため、異常な形で生まれてくる子どもが出てくる。

 いわゆる、遺伝病というやつで、よく知られているのは血友病だ。

 それを防ぐために、他の集団とお見合いみたいなことをしていたんだと思う。



「じゃあ、それで広まったってこと?」


「可能性のひとつにすぎませんが」


「ほかにも何か理由があるの?」


「わたくしたちの部族の中でも、その病にかからない者もおりました」


「かからない人たち……?」



 たまたま、ジェーンの一族で免疫を持っていた人がいたのかな?

 それとも、特効薬を『アスタナの誰かから』もらったのかな?

 もしくは、『アスタナの誰かから』ワクチンを接種させられていた?



「はい。他にも、運よく病を克服できた者がいたのです」



 何かひっかかる。



 だって、『病』の事を知っているアスタナの人は、なんらかの方法で病を克服していたんだよね?

 ということは、最初から知っていたんじゃないの?

 自分達と出会えば、そこに元々住む人たちに病が広がって、大変な事になるということに。


 そして、自分達がジェーンの一族を助けられる『唯一の存在』だってことに。



 私はそこまで考えて、怖くなってしまった。

 ネイマルに逃げてきたアスタナの平民たちが、そもそも薬とか免疫とか分かるわけがない……はず。

 これは、どうしようもなかったことに違いない。



「病の危機を乗り越えたわたくしの一族は、故国を離れました。それがわたくしの先祖です。

 ですが、それ以外の生き残った者たちはアスタナから来た民と交わりました」



 なるほど……。

 一緒に過ごすうちに、愛が芽生えたのだろう。



「身体能力の劣ったアスタナの民はわたくしたちの一族と交わり、峡谷で暮らしていけるようになったのです。

 次第に人口は増えていき、今まで遠くで暮らしていた別の集団とも接触をはじめました」


「……」


「それがガイやジルの祖先です」



 アスタナの特に北側の平民は茶色の髪を持つ者が多い。

 南のほうへ行くほど青みがかった茶色になるのが特徴で、髪の色で出身地がだいたい分かる。


 赤色の髪をしたジェーンの一族と交わることにより、それが赤茶色になるというのは、遺伝的にありえるのか。


 絵具だったら赤と白を混ぜればピンクになるけれど、果たしてそれを人間に当てはめていいものなのだろうか。

 しばらく考えてみたけれども、ジェーンがそう言うのだから、そうなんだろう。



「病気にかからない赤茶髪の者が増え、私やオリヴィアのような赤髪を持つものは、生まれた土地を離れた者のみになりました」


「離れてそれで、どこへ行ったの?」


「私たちは旅芸人として各地を転々とするようになったのです」


「あ……、それで」


「はい」



 色々と謎が解けたような気がする。

 そうか、ジェーンの身体能力の高さは、厳しい峡谷の環境が生み出したもので、その能力を生かして旅芸人の踊り子になったのか。



「旅芸人として暮らし、その人数も次第に増えていきました。ですが……」



 ジェーンの顔がまた曇る。

 だけど、先ほどとは違ってジェーンはあまり間を置かず続きを話し始めた。



「旅芸人として生きてくのはとても厳しいのです。アスタナ王国は数百年にわたり、人口が少なく、貧しい時期が続きました。

 なので、私たちは王侯貴族とつながり、仕事受けるようになったのです」


「王侯貴族?」



 舞踏会で躍りを披露したりするのかな。

 あまり想像がつかないけど。



 よく分からず首をひねる私。

 ジェーンは、握っていた私の手を離すと、床に片膝をつけたまま、ピシッと背筋を正した。

 琥珀色の強い光を宿した瞳が、まっ直ぐ私の目を射抜く。


 急にキリっとしだしたジェーンを前に、自然と丸まっていた背筋が伸び、緊張感がみなぎり始める。

 私は鋭く放たれたジェーンの視線から目をそらさず、全身の感覚を研ぎ澄まして相手の言葉を待った。

 ジェーンの口がゆっくりと開く。



「わたくしたちは、王家、貴族からのみ依頼を受ける『暗殺者』として仕事をしていたのです」


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