40
「お待たせいたしました」
ベッドとクローゼット、丸テーブルに2脚の椅子しかない、こぢんまりとした室内。
殺風景な部屋ではあるが、テーブルの上の花が部屋の雰囲気をほんのり柔らかくしていた。
一輪挿しのガラス瓶に生けられた黄色いマーガレットに似た花は、今朝摘んできたばかりなのか、みずみずしく鮮やかで美しい。
「ありがとう、ジェーン」
白い湯気をたてた、いれたての紅茶のカップに手を伸ばす。
ふぅと息を吐いて冷ましてから一口含むと、清涼感のあるいい薫りが鼻からスーっと抜けて、全身の力が抜ける。
久々のジェーンの紅茶。
おいしいなあ。
最近、水しか飲んでなかったから……。
「いえ、こちらこそ。お疲れのところ、申し訳ございません。お嬢様」
ジェーンもカップを手に、壁側にあるベッドの上に腰掛けた。
すぐ隣で、すやすやと寝ているオリヴィアをジェーンは愛おし気に見つめる。
泣き疲れオリヴィアは眠くなってしまったのか、ベッドに下ろした途端目をとろんとさせ、こてっと横になると、すぐに寝息をたててしまったらしい。
頬には一筋の涙の跡。
ジェーンはオリヴィアの頬を、レースのついた白いハンカチでぬぐうと、私のほうへ向き直った。
その表情はどこか暗く、いつものジェーンから想像できないほど儚げで。
きりっとした強い女性という印象が強かったせいか、ジェーンのそんな様子に、突如私の胸に不安が広がった。
「エルーナお嬢様に、どうしても、お伝えしなければいけない事があるのです」
「うん」
声色もどことなく沈んでいる。
なんだろう。
たぶん、オリヴィアについてだよね。
オリヴィアを連れてきた時から様子が少しおかしいし、きっとそうだと思うんだけど。
私は頷く以外に言葉を発さず、ジェーンの言葉を待った。
「見て分かります通り、私とオリヴィアは同郷の者です。言葉も、ほぼわたくしと同じものでした」
「うん。どこの国の言葉なの?」
「ネイマルです」
「えっ!?」
ネイマルはアリーやガイ、ジルの故郷だ。
アスタナと同じ言語を使ってたし……、今まで気にしたことはなかったけど。
ネイマルにはいくつか方言があるのかな?
前世の世界でも国が同じにもかかわらず、意思疎通ができないほど発音や言い方が違う方言がたくさんあった。
「お嬢様はエマニエル様から、ネイマル王国の建国時の歴史はきいていないのでしょうか?」
「3つの部族が一つになった、とはきいてるよ? でも、それ以外は知らない。
あ、たしか、昔、アスタナ王国がネイマル王国にあるユグタナって村を支配していたっていうのは、ジルからきいた事があるけど……」
その話をきいてエマニエル伯父様に尋ねてみたら、『それはおだやかな話じゃないね』と笑顔ではぐらかされ、アリーにきいたら『それはどうなんだろう。そういう見方もできるかもしれないね』と、私の苦手な暗いアリーが出てきたので、それ以上きけなかった。
たしかに、王が他国を支配するというのは妙だなとは思っていた。
この世界にも帝国という概念が存在しており、皇帝が複数の国を支配下に置くという形態もなくはない。
ということは、昔のアスタナは帝国だったのだろうか。
「支配されたというのは、今のネイマル王国が国民に流布している情報です」
「え、じゃあ、支配はしていないの?」
「はい。支配ではなく、アスタナ王国の国民が難民として山を越え、その先で定住をし始めたのです。その地域を総称してユグタナと言います」
ということは、今、難民としてこちらに来ているネイマルの人たちと同じことが、立場は逆だけど昔のアスタナで起きていたというのだろうか。
ジェーンの話はこうだった。
かつてネイマルという国はなく、3つの部族がそれぞれ環境の違う、離れた場所で暮らしていた。
ジェーンの一族は、険しい峡谷の洞穴で過ごしており、主に狩猟、木の実、川魚などを採って暮らしていたという。
寒い地域で過酷な環境下のため、その環境に適した者が残るようになり、最終的に体系は小柄で、動体視力が優れた一族になった。
時代が進み、一族はその数を増やし、30人いた集団が60人になり、2つの集団に分かれ、それが繰り返され、今のネイマルの国の半分以上にまで人口が拡大していった。
規模は大きくなったが、国という形を作らず、小さい集団に長を置き、季節によって移動し暮らしていた。
食料となる動物が移動し、いなくなるとそこに住んでいる人間も移動しなくてはいけないからだ。
「残りの2つの部族は、1つは平地に住み農耕文化が進み、定住をしていました。
もう1つの部族はわたくしの一族よりも、もっと過酷な、氷と雪しかない環境で暮らしていたといいます。
その為、身体能力はわたくしの一族よりもはるかに良いと」
「ということは、ジェーンの一族ってネイマルにたくさんいるってこと?」
「いいえ」
しずかに首を横にふるジェーンに、私は矢継ぎ早に質問をした。
「え、でも、国の半分以上に住んでたってことは、かなりの数だよ?」
「はい、でも今はもうほとんど残っている者はおりません」
「……っ!?」
ジェーンはそこで話を区切り、紅茶を一口、口に含んだ。
肩を落とし、床に視線をさまよわせている。
……残っている者が、ほとんどいない?
無意識のうちに呼吸が早くなり、心拍数が上がっていく。
オリヴィアのおだやかで規則的な寝息がなければ、私は驚いて叫んでいたかもしれない。
続きが想像できるだけに、いたたまれない気持ちになる。
ジェーンは目を閉じ大きく深呼吸をすると、眉根を寄せ、何故か申し訳なさそうな顔をした。
「死んでしまったのです」
「……」
予想していた言葉だけど、やはり直接きくと辛いものがある。
なぜ? とききたいけど、ぶしつけな質問になるのではと躊躇われて、何も言い出せなかった。
「これをネイマル王国では、ユグタナの大虐殺と言っています」
「ユグタナの大虐殺……」
「はい」
「だ、誰に殺されたの?」
この話の流れで何を分かりきったことを……。
聞いたところで、歴史が変わるわけでもなし。
でも、お願いだから自分の予想と違っていて欲しいと思う自分もいる。
まさかね。
そんな……、そんなわけないよね。
そんなこと、あっちゃいけない。
聞きたくない……。
耳をふさぎたくなる衝動をどうにか抑え、息をするのも忘れジェーンの言葉を待った。
処刑を待つ罪人になったかのような気分だ。
「結果的に、アスタナから来た民に、わたくしたち一族はほぼ全て殺されてしまったのです」




