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 赤毛の女の子がロベルトの頬をビンタしたのだ。


 遠目で私たちを見ていたエマニエル伯父様も、赤毛の女の子の可愛さにニコニコしていた私も、その盛大な打撃音に何も言えずにいた。


 私からはロベルトの背中しか見えないので、どういう表情をしているのか分からないけど、顏だけ右に向けたロベルトは自分の頬を左手で抑え、小さい肩を小刻みに震わせていた。


 これは、相当ショックである。

 自分と同じぐらいの年齢の、しかも見知らぬ美少女からの突然のビンタ。

 ただでさえ、家族との関係で悩んでいるロベルトに追い打ちをかけているかのようだ。



「オリヴィア!」



 しばらくの間、膠着(こうちゃく)した状態が続き、そろそろロベルトに声をかけようか迷っていた時に、ドアから慌てた様子のジェーンが入ってきた。

 オリヴィアと呼ばれた赤毛の女の子はロベルトを指さし、後ろから現れたジェーンに怒ったように何かを言っている。



 いっぽうロベルトのほうはというと……

 ぶたれたままの状態から微動だにしていない。

 大丈夫だろうか……。



「ロベルト?」



 私が声をかけると、ロベルトはぴくりと身体を一度大きく震わせ、袖で涙をぬぐうそぶりを見せると、そのままオリヴィアを突き飛ばし、ジェーンの横をすり抜けてドアから飛び出していってしまった。



「ロベルトっ!!」



 私はソファを離れ、急いでドアへ駆け寄り、廊下を走るロベルトの背に向かって叫んだ。

 だが、ロベルトは振り返ることなく、そのままどこかへ走り去っていく。


 内股気味に、両腕の肘を曲げ、前後ろに振りバランスをとって走る……いわゆる『乙女走り』で小さくなっていくロベルトの背中を、私はただ黙って見送ることしかできなかった。



 何故だろう……、胸騒ぎがする。



「ロベルト……」



 気の利いた言葉の一つでもかけられれば良かったのだけど。

 ロベルトがビンタをされてから、私がかけた言葉といえば、主に『ロベルト』という名前、3回のみ。

 気の利かない姉をどうか恨んでくれ……、ロベルト。


 しかし……、オリヴィアがなぜロベルトを叩いたのかが気になる。

 ロベルトが何か粗相をしたのだったら、姉としてちゃんと正してやらねばならない。

 ロベルトには色々疑惑があるから、私は気が気ではないのだ。



「オリヴィアっていうのね? その子」



 泣いているオリヴィアを抱き上げ、頭を撫でているジェーン。

 こうやって見ると、なんだか親子みたいに見える。



「はい、本来の発音は違いますが、こちらの国での発音はオリヴィアが一番近いと思います」


「そう。いい名前ですわね、オリヴィア」



 私がジェーンの腕に抱かれているオリヴィアに目線を合わせ、にこりと微笑むと、オリヴィアは泣きながら私の頭をその小さい手で撫でた。



 ――嗚呼、かわいい……



「どうして、オリヴィアはロベルトをぶったのかしら?」



 首をひねりながら、私がジェーンに尋ねるとジェーンは眉根を寄せ言いずらそうに答えた。



「その……、ロベルトお坊ちゃまの事を貴族だと思ったようです」


「貴族?」



 いや、それならば私も貴族で、エマニエル伯父様も貴族なんだけど……。


 意味が理解できない私を察してか、ジェーンは説明を補足してくれた。



「お召し物がどうやらオリヴィアを捕えていた貴族に似ていたようです。

 オリヴィアは貴族の仲間が来て、エルーナお嬢様を連れて行こうとしているのだと思ったようです」


「オリヴィア……!!」



 私は感動で胸がいっぱいになった。

 オリヴィアは私を心配して、自分より大きく、男の子であるロベルトをぶったのだ。

 なんて、勇敢な女の子なんだろう!



「ん~、でも暴力に訴える方法は良くないね。ジェーンからもそこはちゃんとオリヴィアに言ってあげないとね」


「かしこまりました。エマニエル様」


「だから、『様』はいらないって言ってるでしょ? ジェーン」



 ツッコミたい箇所がひとつあるのだが、今はそういう状況じゃないので、私は聞かなかったことにする。


 エマニエル伯父様の言っていることは、ごもっともだ。

 たとえ、自分の敵であるとみなしても、暴力で解決するのはよくない。

 特にこの場合、『まだ』ロベルトはオリヴィアに危害を加えてはいないのだから。


 ……今後は、どうなるか分からないけど。


 ビンタされたロベルトが心配なのと、ロベルトがオリヴィアに何かしないか心配な気持ちが複雑に絡み合い、私の頭は大混乱である。



「あの……、エルーナお嬢様。今から少しお時間よろしいでしょうか?」


「え? あ、うん。構わないよ? 構いませんことよ?」



 ジェーンが突然深刻そうな顔で言うので、ついお嬢様言葉が抜け落ちてしまい、慌てて言い直す。

 前までは多少動揺することがあってもスラスラ出てきていたのに、やっぱり二週間のブランクはきつい。



「あ、じゃあ、僕はロベルトの様子を見てくるから、行っておいで」



 エマニエル伯父様は、足跡のついたローテーブルを一生懸命、雑巾で拭き始めた。

 伯父様に雑巾がけをさせるなんて……と思って、慌てて私は「わたくしがやりますっ!」と伯父様から雑巾をひったくろうとしたんだけど、「エルーナ……、このテーブルは高いから、足を乗っけてはいけないよ」とやんわりと断られてしまった。


 もう既にテーブルはピカピカに光り輝いていた。



 安かったらいいの? 伯父様……。



「では、お嬢様。お茶の用意をいたいますので、少ししましたら、わたくしの部屋にお越しください。では失礼いたします」



 そう言い残すと、オリヴィアを抱いたジェーンは軽く頭を下げ、静かにドアから出て行った。



 なんだろう……、オリヴィアの今後の事についてかな?

 それなら、私よりエマニエル伯父様と話したほうがいいと思うんだけど。



 不思議に思いながら、私はエマニエル伯父様に退室を告げ、自室で一息ついてから、ジェーンの部屋へと向かうのであった。


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