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ソファーに座りながらではあるが、腰を折り、頭を下げるロベルト。
右巻のつむじがこちらを向いている。
ロベルトが頭をさげるのを初めて見た私は、思わずぎょっとしてしばらく固まってしまった。
だが、もちろん答えは決まっている。
「お断りしますわ、ロベルト」
「姉上っ!」
否と言う私に、下げていた顔を上げ、すかさず身を乗り出し抗議するロベルト。
そうは言われても、こっちは領地の仕事をしなきゃいけないし、ようやくガイの件も落ち着いて、色々親睦を深めたいと思っているのに、何故帰らんといかんのだというのが私の正直な気持ちである。
別にジュリアス殿下が怖いとかそういうのは一切ない。
断じてない。
私はマルタナ村に居たい。ただそれだけである。
「姉上がいないと、僕は寂しいのですっ!」
「気持ちの悪いことを言わないで、ロベルトっ!」
何が寂しいのだっ!
も、もしかして私の座った椅子とかもクンカクンカ嗅いでいたのだろうか……。
想像するだけで、ゾッとし血の気が引く。
「お父様もお母様も、ユリア、ユリア、ユリアばっかで……。
僕にかまってくれませんっ!
なぜ、ユリアばかりなのですか?
ジュリアス殿下のお嫁さんになるのが、そんなに偉いのですか?
僕は……、僕は必要ないのですかっ!?」
その言葉をきいて、私ははっとした。
まさに、ロベルトの言った言葉は……2年前、前世の記憶を思い出す前の私を彷彿させる。
グシャグシャにシワのよった、『ロベルト&ユリア&お母様』作の絵をいったんポケットにしまい、ソファーに座りなおす。
エマニエル伯父様の手が私から離れ、「うんうん、落ち着いて落ち着いて」というか細い声が頭上から降ってくるが、気にしてはいけない。
私の脳は何かのスイッチが入ったように、ロベルトの心理状態を分析しはじめた。
もう一人の能書きを垂れる私が顔を出す。
「なるほど……」
私はぼそりと呟き、眼鏡はしていないが眼鏡を人差し指でクイっとあげるポーズのまま、思考にふけった。
そう、ロベルトは……。
劣等感にさいなまれ、自分という価値を見失った、憐れな人間。
だが、卑屈に考える必要はない。
それは生物として、当然の感情なのだ。
発達した側頭葉で神を生み出し、知恵の実を食べ、肥大化した前頭葉を手に入れた人類、ホモサピエンス。
群れを成し、グループの中での自分の位置づけが上位か下位か、利用価値があるかないかで生存に大きく関わる、『極めて重要なシグナル』を私たちは常に発している。
我々生物の、その短い一生の中で、一番重要な事は何なのか?
いや、私たち自身、何のために生きているのか?
現実とは残酷だ。
私たちこの地球に生きとし生けるもの全ての生物は、ただの遺伝子の乗り物に過ぎない。
遺伝子が後世に残っていくために、我々は色々な姿、形となり生きている。
今一度聞こう。
私たちは何のために生きているのか。
それは、自分の子孫が残せるかどうか。
もっとはっきり言ってしまえば、自分の遺伝子を後世に残せるかどうかにかかっている。
つまり、ロベルトは家族間において、疎外感を覚え、自分の居場所がなくなる=死 を連想したのだ。
まだ幼いロベルトは、頼るべき養育者がいなければ、成人し、子をなすことができない。
ロベルトの遺伝子に刻まれた社会性を司る部分が、お父様やお母様がユリアにばかり構うので、焦りや不安を発信しているのである。
間違いない。
何を隠そう、私自身がそうであり、30年分の前世の記憶が蘇り、自分を分析した結果、なるほどこういう事だったのかと、すとんと納得がいき、今の私があるのである。
ちなみに言うと、前世の私はいわゆる喪女で20代後半から30歳にかけて、女性たるもの結婚をしなければいけないっ! と必死にあがいていた。
婚活パーティーにも行った。合コンにも行った。仕事で受付嬢にもなってみた。
だが、どうだろうか?
私は一人だった。
葛藤した。
結婚とは何なのか!?
パートナーを見つけ、ともに人生を歩み、子を産む。
そしてその子らが巣立ち、未来へ向かい、また子をなすこと。
脈絡と受け継がれていく、『私たち』
なぜ私たちはこんなに苦しいのか。
それは、そう出来ているのだ。
生物は生き続けていくために、最初から増えるようにプログラミングされているのだ。
私は気づいた。
子孫を残さなければならないという本能が、私を苦しめていたのだ。
その苦しみの原因を知った時、私は解き放たれた。
ひとりでええやん……。
はっ!? 脱線しすぎてしまった!
くしゃりと顔をゆがませ、今にも泣きそうな顏をしているロベルトに私はやさしく声をかける。
「気にすることはないですわ。ロベルト」
普通に考えて、両親がロベルトを育児放棄するわけがないのだし、これ(変態)でも長男。
大事なシェルトネーゼ家の跡取りだ。
ロベルトがなんで領地に来ているのかは分かったけど……
これをロベルトに説明して、果たして理解し、「うん、わかった! 僕はいち生物としての役割を果たすために、シェルトネーゼ家の跡取りとして、繁殖活動に精を出すよっ!
僕の遺伝子を持った子どもをたくさん作れるように、健康に気を付けるねっ! ありがとう姉上っ!」となってくれるだろうか。
ないな。
たぶん、ロベルトは嫌われ者の私が戻ることで、屋敷内において自分=最下位 から脱出できると考えているのではないだろうか。
別に最下位ではないんだけどね。
ロベルト自身がそう思ってしまっては、こっちとしてはどうすることもできない。
私がうんうん唸っていると、ロベルトがいきなりガタンとテーブルに足をぶつけ、立ち上がった。
ど、どうした!?
赤くはれたひざっ小僧で、呆然と立ち尽くしているロベルト。
鳩が豆鉄砲を食らったような顔で、私の後方一点を見つめている。
私の後ろにはドアしかない。
誰か来たのだろうかと思って、後ろを振り返ってみると、そこには先ほどジェーンに連れて行かれたはずの赤毛の女の子が、ドアの隙間からひょっこり顏をのぞかせていた。
陶器のように白く滑らかな肌、赤い髪は光沢をもって輝いている。
今まで赤い髪ばかりに目がいっていたが、瞳は透き通った琥珀色をしていた。
服装は襟元や袖を白のレースであしらった、上品かつキュートなワインレッドのワンピース。
赤い髪に、白い肌、琥珀色の瞳に、赤いドレス……。
まるでお人形さんのように可愛くなった赤毛の女の子を見て、私はたまらず「かわいい」と小さく悲鳴をあげた。
だが、それはロベルトも同じだったようで……
「あ、あのっ! ぼ、ぼくはロベルトと言います。シェルトネーゼ家の長男です!
お金はありますっ! 君は誰?」
私の存在などすっかり忘れた様子で、タッタッタッタと赤毛の女の子のところまで駆けていき、矢継ぎ早に自己紹介をするロベルト。
ちゃっかり自分のステータスを伝え、金をちらつかせるところが、こざかしいような……。
赤毛の女の子はそんなロベルトを見て、するりとドアの隙間から応接間に入ってくると、ロベルトの真正面に立った。
なっ、何っ!?
ロベルトの『僕、格式高いです』アピールが効いている……だと!?
私が口を手で押え驚愕していると、赤毛の女の子はゆっくりと右手を上へあげた。
何をするのだろうと黙ってみていると、
バチンッ!!
応接間に、鋭く大きな音が響いた。




