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お父様が過労死寸前状態であることに気づいたのは、2年前の11月のはじめ。
10月の終わりから既に危ない状況であり、この手紙を読んでいる時の私は、お父様の安否が心配で気が気ではなかった。
とにもかくにも、早急に国へ提出する用の書類作成に取り掛からねばならない。
11月中に作成してほしいと、6月の手紙に書いてあった為だ。
なので、ガイの弟の捜索は当初難航した。
なにせ、時間がないっ!
お父様の生死がかかっているのだ。
そんなに大変な事になるのなら、お父様自身が国へ提出する書類を作成すればいいのにっ!
と、エマニエル伯父様にきいてみたところ、お父様はこういった書類を作成するのがひどく苦手で、今までエマニエル伯父様が全てやってきたという。
伯父様からの返事がないので、仕方なく自分でも少しやってみたらしいのだが、睡眠時間がその分削られたらしい。
人からきいた話を『面白可笑しく』まとめて人に話すのが得意なお父様。
けど、それに対してどういう戦略を立てるかという、アイデアを出す仕事は苦手だという。
それって……、ただの井戸端会議好きなおばちゃんですやん……。
なので、お父様はパーティー、お茶会、舞踏会などに日夜出席し、そこから色々情報を集めている。
それも重要なお仕事だっていうのは分かるけど……。
ていうか、エマニエル伯父様がこんなに放置していなければっ!
私が色々言っても仕方がない。
目下この書類を片付けるのみだと思い、前世の知識をフル活用した。
こういうレポートみたいな物は作ったことがないけれど、前年度の書類を見ながら一生懸命やってみた。
私はどちらかというと手書きよりも、タイピングが得意だからパソコンがあればすぐに終わるのに……。
この世界にはまだパソコン、いやワープロすら存在しない。
せめてタイプライターぐらいあればなあ。
なんとか書類を仕上げて、王都にいるお父様に送ると、2週間もしないうちに返事がきた。
しかも、私宛てにだ。
なんで、私が作ったって分かったんだろう?
その手紙には、かすれたインクで「ありがとう、エルーナ」とだけ書かれ、手紙の下部分には水滴が乾いたような跡が残っていた。
もしかして、これはお父様の涙……。
2年間、お父様やお母様がこの領地を訪れたことはないけど、今はとても忙しい時期というのは理解している。
お仕事のお話でお父様とはしょっちゅう手紙のやりとりをしているから、寂しくはない。
むしろ、お父様もエマニエル伯父様と同様に、シメシメと思ったのか、最近は無茶な仕事ばかりを要求してくる。
直近で言えば、王都で有名なプレイボーイがとある未亡人と逢引しているらしく、それについてレポート風にまとめてほしいと頼まれている。
お父様からもらう報告書は『面白可笑しい』のだが時系列がめちゃくちゃなので、まず時系列順にしてから、どういった行動ルートをとっているかとか、週に何回、どこで会っているのかとか……、表にしてまとめている。
最終的に分かったのは、その未亡人がどうやら男性なのではないか? という疑惑が持ちあがっていることだ。
今はさらに情報を精査し、疑わしいと思われる人物を特に注意して調べていただくよう、お父様にお願いしているところである。
話はそれてしまったが、そのお父様とやり取りをする手紙の中に、『ある物』を見つけてしまったのである。
それは仕事の手紙でも書類でもなく、A4ぐらいの大きさの紙に、色とりどりのクレヨンで描かれた絵だった。
おそらく、妹のユリアと弟のロベルト、2人で一緒に描いたんだと思うんだけど。
その絵が奇怪だったのだ。
紙の左側には口ひげをたくわえたお父様と、大きな赤い蝶ネクタイをつけたロベルトが並んで立っている。
そして、右側からは紫色のドレスを着たお母様とピンクのドレスを着たユリアが手をつないで並んでいる。
そしてロベルトとユリアの間、そのど真ん中に黒のインクで描かれた、めちゃくちゃでかい『ただの丸』があった。
その丸の中には、茶色で塗りつぶされた『丸』が大と小、一つずつ描かれている。
これは何だろう……?
記号? いや、魔法陣?
白いフライパンの上で焼かれている、大きいハンバーグと小さいハンバーグが上下に並んでいるようにしか見えない……。
でも、お父様とお母様の3倍の大きさだから、ハンバーグじゃないよな……
儀式か? なんか召喚でもするのかな?
え……、怖いよ、この家族……。
用紙のほとんどの領域を占めているハンバーグ2つを良く見てみると、上に描かれた小さいほうのハンバーグの中に、何かゴマみたいな紫色の点が2つあるのを発見した。
一体これは何なのか。
諦めかけていたその時、裏面に文字が書かれているのが、余白部分から透けて見えたので、裏返してみると……。
『虫眼鏡で見たエルーナだそうです 母より』
私かこれぇぇぇぇぇ!!!!!
ひどいっ! ひどすぎるっ!
虫眼鏡っ! 虫眼鏡ってどういうこと!?
何!? なんかちょっと変わった志向の絵を描いてみました的なさっ!
地域のコンクールで入賞するには、捻りをいれた絵じゃないと……、みたいな?
いらないよ! そんな創意工夫!!
つーか、これ人間じゃねーよ! ほぼ雪だるまじゃん!
ミンチにして、丸めてどうするんだよ!!
てか、その虫眼鏡って言ってる黒い丸と裏面のペンのインク同じだから、絶対にお母様があとから描き足したよね!?
「追伸?」
だが、その下に『追伸』という文字があるのに気づき、気を取り直して読んでみると……
『追伸 暖炉の火であぶったら、肌色部分が茶色に変色していましました』
どういう原理っ!?
これ肉じゃねぇよ! リアル肉じゃねえから! 素材、紙だからっ! ふつうに燃えるでしょっ!
ていうか、服くらい着させてよっ!!
怒り心頭の私はすぐにその絵をぐしゃぐしゃに丸め、ごみ箱に捨てた。
それを見たエマニエル伯父様はおやおやと呟きながらその絵をごみ箱の中から拾うと、丁寧に皺を伸ばし、にこりと微笑んだ。
「まあまあ、悪い思い出も、いつかきっといい思い出に」
ならねえよ。
何故かは知らないが、エマニエル伯父様はその絵を、後生大事に書斎の机の引き出しの中に閉まっていたのである。
で、私は今、伯父様には悪いと思いつつも、伯父様の机からこの絵を引っ張りだして、描いた張本人の前で仁王立ちをしているのだ。
「オウオウオウオウ、心の準備は出来てるんだろうなあ! ロベルトおぼっちゃんようっ!」
どこぞのチンピラよろしく、顎をしゃくれさせてメンチを切った私に、王都からの客人である弟のロベルトはあんぐりと口を開け、その翡翠色の瞳を小刻みにゆらした。
エンジ色のベストに、首元に白のフリルをつけたシャツが、どこぞの貴族に似ているが、この際、気にしないでおこう。
「ど、どちらさまですか……!? ぼ、僕は貴方みたいな、お下品な平民は知りませんっ!!」
ふんっ、……制裁を与える時がきたようだ。




