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「ルーン君、目の下真っ黒だよ? 大丈夫?」
心配そうに紫色の瞳で見上げるアリーに、私は力のない笑みを浮かべた。
「うん、年末はどうしても仕事がかさんじゃって……、年明けには落ち着くと思う。繁忙期さえ乗り切ればね……」
「そ、そうなんだ……。大変だねっ!」
アリーは戸惑ったようにコテっと首を傾けると、少し背伸びをして私の頭をなでた。
「えらい、えらい。頑張ってるねっ!」
――……嗚呼、神様。私はもう今日、昇天しても悔いはありません。
そんなわけで、エマニエル部長の指示で、私の『シェルトネーゼ領、次年度・上半期防衛案策定(仮)』の新規事業立ち上げにともなう、お仕事倍増月間が始まった。
ジルとテオ兄弟と話をした時のアリーは、少し様子がおかしかったけど、今は以前の明るいアリーに戻っていた。
アリーの心に、影を落としているものは何なのか……、知る術はないけれども、私がその原因を取り除ければいいのに……、なんて、おこがましい事を考えている。
アリーのおかげで、私はどうにかここまで心を挫くことなく、進んでこれたのだから……。
なんとかしたい……、けど、なかなか一歩を踏み出せないでいる。
人の心に土足で踏み込んでいいのだろうか。
その思いが私をしり込みさせる……。
でも、今だけは……。
「ルーン君、頑張り屋さんっ! えらい、えらいっ!!」
――嗚呼、この幸せを……、どうか、もう少しだけ味合わせてください……。
「ルーンっ!」
遠くから私を呼ぶ声で天に昇りかけていた私は、ふと我に返る。
あ、いかん、いかん、危うく戻ってこれなくなるところだった。
「連れ去った連中の事、色々きいてきた!」
テオの兄であるジルが息を切らせ、駆け寄ってくる。
その後ろをテッテッテと小走りで追うテオの姿も見えた。
両手に一つずつ赤いリンゴを持っている。
「にいちゃん、もらったリンゴ、テーブルに置きっぱなしだったよー」
「あ、悪い。すっかり忘れてた」
ジルは苦笑いを浮かべながら、テオからリンゴを受け取った。
そして、まじめな顏で私のほうに向きなおると、
「果物屋で働いてるおばさんが、あの日の事を知ってるって、町に行ってるヤツからきいたんだ。だから、さっき、そのおばさんのところに行ってきた」
ジルはそう話し始める。
私たちは場所を変えて、人気のあまりないところまで移動すると、その話の続きに耳を傾けた。
あの日以来、私は王都から送られてくる、きな臭い事件の情報を集め、ジルやテオ、アリーはここで起きた実際の山賊の情報を収集してもらっている。
地道な作業で、今のところは進展がない。
でも……、諦めない。
どんなに小さな手掛かりでもいい……、ガイの弟を絶対に見つけてみせるっ!
〇 〇 〇
「おはようございます、伯父様」
「おはよう、エルーナ」
寝ぼけ眼で伯父様の書斎に入り、私は部屋の中をうろうろした。
あれ? ない、ない、ない。
どこだっけ?
どこに置いてあったっけ?
「エルーナ? 何を探しているの?」
部屋の中をさまよう私に、エマニエル伯父様がきいてくる。
私はエマニエル伯父様を見上げ、紙を箱に入れるジェスチャーをした。
「タイムカードですわ。タイムカード」
「タイムカード?」
そこでふと気づく。
ここは、会社ではなかった……と。
寝ぼけていたせいで、ついつい昔のルーティーンがひょっこり顔を出してしまった。
私は慌てて自分の机に向かい、適当な紙を一枚手に取ると、
「あ、ありましたわっ! ご心配お掛けしてすみません、伯父様っ! さあ、お勉強を始めてくださいなっ!」
エマニエル伯父様はあまり納得していない様子だったけど、なんとかごまかせた。
危ない、危ない。
エマニエル伯父様との朝の時間は、1時間勉強、あとの1時間が領地の雑務だったんだけど、『防衛策提案』の仕事が急に割り込んできたので、お勉強の時間は30分になり、残りの1時間半を、今は領地の仕事に費やしている。
1時間半という限られた時間の中で、私は経理事務をこなし、大量の資料の読み込みをしなくてはいけなかった。
特に月末は締め日の取引先も多く、机は領収書と請求書で雪崩が起きかけている。
大丈夫。
これでも、20人の従業員を抱えた会社がちょっと法に引っかかることをし、そのほとんどが辞めてしまったところに、事情を知らないで転職をしてしまった私は、一人残された先輩と一緒に、その膨大な仕事を捌く毎日を送っていたのだ。
それに比べれば……、こんな『いち領地』の雑務など、私にとっては朝飯……、いや昼飯……、いや、ディナー……前である。
「えーっとね、これが今年の9月の資料かな? とりあえず1月から今月分までの各領地での事案ざっと見て、来年予想される懸念事項と、その対策をまとめてくれればいいから。
できればグラフも欲しいかなー。ファウストが文字だけだと分かりづらいってぼやいてたから。
あ、それと……、他国については、また別の資料を作成して、そっちは王都の上のほうにも回すから、書類の書式は僕に聞きに来てね。ファウストに提出するヤツは、適当でいいから」
簡単に言ってるけど、すごいそれ大変なやつですやん。
もう、徹頭徹尾やれってことですやん。
ていうか、なんかこの資料たち、封すら開けられてないって、どういうこと!?
しかも……
「お、伯父様……、それ9月分ではなくて、6月の資料でしてよ?」
「あ、ほんとだ。逆さまになってたね!」
いけない、いけないと言いながら、とりあえず封を開けることなく資料の入った封筒を私の机に置く。
6月分ですら読んでないのか、この人はあぁぁぁぁぁぁっ!!!!!
叫びたい衝動をどうにか抑えつつ、私はまずペーパーナイフで、封筒を開ける作業から入るのであった。
「あ、それと、こっち今月分の請求書、置いとくね?」
社畜万歳っ!!




