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 私はあの後、急いで屋敷に戻ると、エマニエル伯父様の書斎へ直行した。

 相変わらず机には山積みにされた書類が散らばっている。


 仕事で忙しいのにも関わらず、伯父様は嫌な顏を一切見せず、私の話をきいてくれた。



「アスタナにいれば、少しは望みがあるかもしれないけど……」



 窓から差し込む夕日を背に、伯父様は顎に手を添え難しい顔をする。

 ウォルフ先生と同じくエマニエル伯父様は、ネイマルの貴族が雇った賊の仕業だということを私に話してくれた。

 そして、その攫われた人のほとんどがアスタナの貴族や商人に売り飛ばされているという。


 ただし、ネイマルへ送り返される者もいるので、絶対にアスタナにいるというわけではないらしい。

 でも、アスタナとネイマル以外の国へ送られた可能性は、逆に少ないということだった。


 ガイの弟が攫われたのは、だいたい2年前。

 もう既に、闇市で売り飛ばされてしまっている可能性のほうが高い。

 そうなると、捜索は困難であることは、間違いなかった。



「時間がかかるかもしれないし、見つかったとしても、連れて帰るのはかなり危険だと思うよ?」



「それでも、なんとかしたいのです。伯父様っ!」



 必死な私の目をじっと見据える伯父様。


 いつもの穏やかな伯父様ではない、力強い視線を放った伯父様の目を、私はそらすことなく真っすぐと見返した。



 お願い、伯父様っ! 力を貸してっ!



 しんと静まり返った書斎。

 どれくらい時間が過ぎただろうか。

 実際には数秒のことだったかもしれない。だけど、私にはその時間が、途方もなく長く感じられた。


 しばらくして、ゆっくりと小さく首を振った伯父様は、大きなため息を一つついた。

 伯父様の視線が私から外され、さらりと揺れる長い前髪でその青い瞳が隠される。

 ピンと張りつめていた空気が一気に緩んだ。



「エルーナ……。諦めたほうがいい。一人のために何人もの犠牲を払うことはできない」


「伯父様……」



 緊張していた肩の力が抜け、ガクッと下に落ちる。

 断られるとなんとなく分かっていただけに、やるせない気持ちが沸き上がった。


 やっぱり、無理か。

 私が本当に中身も子どもだったら、未来を信ればなんとかなるっ! なんて根拠もなく突っ走ってたと思う。


 でも、ちゃんと現実を見れば分かってしまうのだ。

 奇跡でも起きない限り……これは、絶対に無理だと。



 どこをどうやって探す?

 ガイの弟も、ネイマルに多い、一般的な赤茶色の髪をしているという。

 そんな人間がこの世界にはごまんといる。


 たとえ、それっぽい子どもを見つけたからと言って、ガイの弟ではない確率のほうが高いのだ。

 

 アリーとあの2人の兄弟の、すがるような痛まし気な顔が脳裏によぎる。

 私はがっくりと項垂れ、黙って床を見つめた。

 視線の先には小さな足。



 ああ、まだ私たちは子どもなんだ。

 こんな、小さな足では私は何もできないんだ。

 何の力もない、大人に頼むことしかできない、自分ではなにも出来ない……


 悔しさで涙がにじみ、視界がぼやける。

 剣術用にあつらえた、ドロのついた茶色の革靴がぐにゃりと歪んだ。


 絶望に打ちひしがれる私に伯父様は、突然、この沈んだ空気にそぐわない陽気な声を出した。



「でも、まあ、エルーナが、どーーっうしてもっていうなら、『エルーナ自身が』動くぶんには僕は何も言わないよ?」



 伯父様の言葉にはっとした私は、俯いていた顔をすぐにあげると、ぱちりとウィンクをした伯父様と目が合った。


 先ほどまでの強い視線ではなく、その顏はいつもどおり……、いや、いたずらっ子のような、意地の悪い笑みを浮かべている。



「え?」



 伯父様の言葉に、一瞬理解できず呆けていると。



「僕の仕事はお金の管理以外にもね、この領地の治安を維持するために、他の領地や隣の国、それどころか海を越えた国々の情報をたっくさん調べて、色々な対策をしたりしているんだよ。

 もちろん、ネイマルからの難民や、怪しい賊の動きとかも、その仕事の一部さ。

 エルーナにはまだ見せてなかったけど、王都にいるファウストからは毎日のように大量の報告書があがってきてるんだよ」



 つらつらと話始めるエマニエル伯父様。

 私が口をはさむ隙もないほど、切れ目のない言葉が、その薄い唇から紡ぎだされる。



「もちろん、その中に君が探している男の子の情報が混じっている可能性は、あるかもしれないし、ないかもしれない。

 ただ、普通の領地に集まってくる情報とは比べ物にならないほどの量が、王都には集まってくる。結構些細なバカバカしいことまで報告書にあがってるから、全部に目を通すとなると頭がおかしくなってしまうかもしれないね」


「伯父様……」



 溢れてこらえきれなくなった涙が頬を伝い、私は勢いよく伯父様に抱き着いた。

 ここに来た頃より、だいぶ体重は軽くなった。

 それでも、伯父様は「うっ……」と言って、軽く体を沈めかけたけど、なんとか私を抱き上げてくれた。



「諦めないでね、エルーナ」



「はいっ! 伯父様っ!」



 私は伯父様の肩に顔をうずめる。

 胸に広がった嬉しさに、今にも発狂したい気分だ。



 私にも何かができる……っ!

 何もできないで立ち止まっているだけじゃなくて、ちゃんと前に進むことができるっ!



 ギュッと抱きつく私の頭を、エマニエル伯父様は優しくなでた。

 大きく暖かい手。

 その手の温もりに、前世の私が本当に子どもだった頃の記憶が蘇り、つかの間、懐かしい思い出に浸っていた。



 ……――のだが。



「じゃあ、明日からファウストへ提出する、シェルトネーゼ領の来年上半期分の防衛案の作成、よろしく頼むね」



 ……

 …………

 …………………え?



「伯父様?」


「来月までだから、よろしく」



 にっこりと微笑を浮かべる伯父様の顔が、一瞬前世の会社の上司に見えたのは、私の気のせいだろうか……。


 お、伯父様……、サービス残業はお断りしましてよ?




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