魔法使い宰相
「……では、ジーク様は宰相を務めながら魔法使いでもあるのですか」
「うん。周りからは魔法使い宰相って呼ばれていて、少し気恥ずかしいんだけれどね。僕が特出して得意なのは防御や封印と言ったものばかりで、魔獣を討伐出来るような魔法はあまり得意ではないんだ」
エルシュがジークとお茶を飲みながら、会話を弾ませること一時間。
最初は突然のお茶会の始まりに、エルシュはどのようにジークと接すればいいのか悩んでいたが、気さくで話し上手な彼のおかげで焦ることなくゆっくりとした会話をすることが出来ていた。
「魔法の国のカルタシア王国ならば、有能な魔法使いが多いから珍しくはないけれど、この国だと魔法が使えるだけで、物珍しがられるからねぇ」
のんびりとそう言いながら、ジークは紅茶を口へと含める。
ジークはエルシュに対して、特にかしこまったような態度を取らないでいてくれるため、かなり話しやすかった。恐らく、それも自分が緊張しないようにと気遣ってくれているのだろう。
「……ねえ、エルシュ姫」
「はい、何でしょうか」
和やかな空気のまま、ジークは少しだけ薄緑色の目を細めて言葉を続ける。
「リドは……リディスは君に……話したと聞いた。彼の呪いのことを」
「……はい。お聞きしました」
突然、リディスの話が出て来たため、エルシュは姿勢を正し直してから答えた。
「そうか……。彼は……君に話したんだね」
エルシュの返事を聞いたジークはどこか納得するように小さく呟き、それから嬉しそうに笑ったのだ。
その一瞬、彼がまるでリディスの兄のように見えて、エルシュは瞳を瞬かせる。
「君はリディスの呪いの話を聞いて、どう思ったのか聞いてもいいかな。あ、もし答えたくなければ、答えなくていいよ。ただ、僕が知りたいだけだから」
無理強いさせる気はないのだろう。それでもジークの瞳は、本音ではエルシュの話が聞きたいと言っているように見えた。
「……綺麗だと思ったのです」
「綺麗?」
「はい。……陛下のお顔を見た時、ランプの灯りで鱗が反射して……。私はそれがとても美しいもののように見えました」
「……」
エルシュが昨晩、リディスに伝えたことと同じ言葉を伝えるとジークは薄緑色の瞳を丸くしていた。
「きっと陛下は……私の知らない感情をたくさん受けて来られたのだと思います。それをあの仮面と一緒に心の奥へと隠されているように感じました」
エルシュは手元にあるカップの中に視線を落とす。揺れ動く水面に映る自分は、昨晩リディスの深い青色の瞳に映っていた自分とは別人のように思えた。
「だから、これから共に歩む者として、あの方のことをもっと知っていきたいのです。……少しずつで構いません。陛下のお心に寄り添えるようになりたいのです」
エルシュがリディスに対する気持ちを述べ終わるとジークは目を見開いたまま、石のように固まっていた。そして、急に我に返ると嬉しそうな表情で破顔したのである。
どうして突然、笑うのだろうかとエルシュが首を傾げるとジークは笑いを収めてから、頷き返した。
「笑ってしまってすまない。つい、嬉しくて」
「嬉しい、ですか?」
「うん。嬉しかったんだ。まだリディスと出会って一日しか経っていない君がそれ程までに彼のことを想ってくれていると知って、凄く嬉しかったんだよ」
自分のことのようにそう言葉にしたジークは、感情が溢れんばかりに笑っていた。
「……ジーク様と陛下は仲が宜しいのですか?」
「彼が生まれた頃から傍に居るからね。表向きには国王と宰相だけれど、個人的な関係で言えば幼馴染のようであったり、保護者のようでもあったり、様々かな」
「どちらかと言えば、ジーク様が陛下を想って笑った時、あの方のお兄様のようにも見えました」
「ははっ……。それはいいね。よし、あとで彼を弟扱いしてこよう」
ジークとリディスは本当に気心が知れた関係のようだ。
「でも、きっと顰めた顔をして、怒るだろうなぁ。彼、僕に子ども扱いされることを嫌っているから」
「ジーク様の方が陛下よりも年上なのですか?」
傍から見れば、ジークもリディスも同い年くらいに見えたため、疑問に思ったエルシュが訊ねると、ジークはまたもや噴き出すように笑い声を上げる。
「年上だよ。何たって、僕は彼よりも百歳以上、年上だからねぇ」
「……」
目の前のジークはまるで天気の話でもしているかのようにのん気にそう言ったが、頭が追いついて来ないエルシュはぴたりと固まってしまう。
エルシュの反応を楽しんでいるのか、ジークはまたも楽しそうに小さく笑う。
「見た目は若者だけれど、僕の年齢はこう見えて百三十四歳なんだ。ローファス家の一族は魔力を持っていることもあってか、普通の人よりも随分と長生きでね。だから、僕がこの王城で宰相を務めてすでに百年くらいが経っているんだよ」
「百年……」
世間には姿が若いまま、長生きする人間がいるとは聞いていたがまさか出会うとは思っていなかったため、エルシュは暫くの間、驚いた表情のまま瞳を瞬かせていた。
しかし、そんなエルシュの様子を特に気にすることなくジークは話を続ける。
「僕達、ローファスの一族はこの国では『竜の守り人』って呼ばれていてね。ドラグール家の傍で仕えることが役目なんだ。この国が始まった時から、王家と共にローファス家は歩んできた。それこそ、表向きは竜の力を持つ国王を陰ながら補佐する一族だと思われているけれど、本当は……」
そこでジークは初めて声を落とし、ほんの少し悲しみが込められた瞳で続きを言葉にする。
「本当は竜の呪いを解く方法を模索し続けているんだよ。ドラグール家のために」
その時、エルシュは何かを言葉にすることは出来なかった。ただ、真っすぐとジークの瞳だけを見つめ続ける。
「ずっと、ずっと……呪いの解き方を探しているんだ。何百年も探しているのに、見つからないんだよ」
先程まで笑っていたことが幻影だと思える程に、ジークの表情は悲しみで満ちていく。しかし、その中には己を責めるような自嘲が含まれているように感じた。
「だから、僕はリディスにあの銀色の仮面を作ったんだ。竜の力が抑えられるように……少しでも竜化する呪いを遅らせて、人間として長生き出来るように」
「……陛下の銀色の仮面はジーク様がお作りになったものだったのですね」
「それでも、前の国王の時には間に合わなかったんだ。リディスの父だったルダルトは……」
そこでジークは口をつぐむ。長生きをしている彼は前国王が生まれた時からもずっと傍にいたのだろう。だからこそ、声に出せない思い出や感情があるに違いない。
「長生きをしてまで、ドラグール家を見守っているというのに僕は……僕達は彼らの心を守れなかったんだ。何も……出来なかったんだよ。本当に長生きして欲しいのは彼らの方だと言うのに……」
泣きそうな表情で困ったように笑うジークは今まで、どのような想いを抱えながら、共に歩んできた者達を見送って来たのだろうか。
想像出来ない程に永い年月の中でジークはどうにかドラグール家のためにと尽くして来たに違いない。
それでも、王家の人間が呪いを憂いて、自ら刃を立てていく姿を見てはまた何も出来なかったと悔いているのだ。
「……私は陛下がもし、いつか竜となってしまわれても、お傍にいるつもりです」
「……」
ジークがゆっくりと顔を上げる。交わった視線は丸くなっており、見た目よりも数歳ほど若返っているように見えた。
「竜になられた陛下が王城を離れて、静かなところで暮らしたいと言うならば、もちろん付いて行って、お世話を致します。絶対にあの方を独りにさせたりはしません。だから、私も……陛下には長生きして欲しいと思っています」
「エルシュ姫……」
「私は魔法も呪いも詳しいことは分かりません。ですが、陛下が生き急がないように──生きたいと思えるように心を込めて尽くしていきたいのです」
ジークの瞳が大きく揺れ動く。
そして、彼は右手で顔を覆ってから、小さくぼそりと呟いた。
「──良かった。これで彼は……救われる」
何と言ったのかははっきりと聞こえなかった。それでもジークの口元は緩んでいるため、決して自嘲するような言葉を吐いたわけではないだろう。
「よし、僕は決めたよ」
顔を覆っていた右手を下ろしたジークは子どものような無邪気な笑顔を浮かべていた。先程の暗い表情はどこかへ吹き去ってしまったようだ。
「今度こそ、諦めずにリディスの──ドラグール家にかけられている呪いを解くために、頑張るよ。せっかく長生き出来る身体なんだ。命が尽きるまで、とことん追究していくよ。……そして、呪いが無事に解けた後には、君とリディスには穏やかで緩やかな老後を送ってもらって、たくさんの子どもや孫に囲まれてもらうことを僕の最上の願いとしよう」
枷が外れたように笑みを浮かべるジークに対して、エルシュは目を細めながら頷き返す。どうやら、彼は明るさを取り戻したようだ。