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接触

 

 その時、背後から気配がしたと同時に、エルシュに向けて声がかけられる。


「──ちょっと、失礼してもいいかな」


 背後からすっと手が伸びてきたため、エルシュはぱっと左へと避けた。声の主が読みたかった本が、自分が本棚の前に立っていることで取りづらかったらしい。


「すみません……」


 エルシュは若い声から数歩離れつつ、顔を見上げた。


 そこにいたのは柔らかい赤毛の髪を持った青年だった。丸っこい瞳は青く、身長はエルシュよりも高いが童顔であるため、年上には見えなかった。


「こちらこそ、せっかく本を読んでいたのに邪魔をしたね。……ああ、『竜の生態系』か」


 青年はエルシュが抱えている本を読んだことがあるのか、軽く頷きながら、彼が取りたいと思っていた本を手に取って、脇へと挟んでいた。


 しかし、用が済んだはずなのに青年はエルシュをじっと見下ろしたまま、動こうとはしなかった。


 この青年は一体、何者なのだろうか。王城で働いている者達の顔や名前はある程度、一致してきているが、それでもまだ名前を知らない者は多くいるだろう。

 エルシュは両手で本を抱えたまま、何か用かと態度で訊ねるために首を傾げてみることにした。


 すると、その意思が伝わったのか、目の前の青年はふっと鼻で笑ったのだ。まるでエルシュを嘲笑するように。

 だが、それは一瞬だけで、次の瞬きをした時には当たり障りのない表情に戻っていた。


「不躾に眺めて、すまないね。……あの冷徹王の寵姫がどのような人なのか、実際に見てみたかったから、ここで会えて良かったよ」


 冷徹王、と彼は言った。それは誰に対しての言葉なのか何となく意味を受け取ったエルシュは心の中で、青年に対する印象が一気に悪いものへと変わっていく。


「……申し訳ございません。私、あなた様のお名前とお顔を存じ上げていないので……」


 きっと、この青年は自分が一体誰なのか、すでに分かっているからこそ、わざわざ声をかけてきたのだろう。

 傍から見て、出来るだけ自然に関わったと装うために。


 それでもエルシュは目の前に立っている青年が何かを含んだような笑みを見せたのを見逃さなかった。


「それは失礼したね。と言っても、僕も数日前に王城に帰ってきたばかりだから。……僕はダドリウス・ファヴニル。君の夫であるリディス・ドラグールの叔父の息子さ」


「……」


 その名前を先日、ジークから受ける授業の際に聞いたことがあったエルシュは、動揺を見せないようにと平静を努めた。


「……ダドリウス、殿下ですか」


「ははっ……。いいね、殿下って呼び方。まぁ、王位継承権は第二位だけれどね」


 殿下という呼び方を気に入ったのか、ダドリウスは先程よりも表情を和らげる。


 ……ダドリウス・ファヴニルは隣国のカルタシア王国に留学していると聞いていたけれど、帰って来ていたのね。


 しかし、彼が帰ってきたという情報はリディスやジークからは聞かされてはいない。


 ……ああ、だからジーク様はお忙しかったのね。


 留学していた者が帰ってきたのならば、その受け入れには色々と準備が必要なのだろう。エルシュは無表情のままで、色んな考えを巡らせていた。


 今、この場は見上げる程に高い本棚によって挟まれている。通路を歩く者がいない限り、図書館に勤める司書が座っている場所からは見えない位置だった。


 ……私に話しかけるために、わざわざ人気がない場所を選んだのかしら。


 ダドリウスの顔を見た瞬間から、彼のことを訝しがっているエルシュは出来るだけ弱みを見せないように振舞いつつも、どうやってこの場を切り抜けようかと考えていた。


「ふーん。無表情だけれど、確かに顔は美人だね」


「……ありがとうございます」


 何となく馬鹿にされている気がしてならないが、そのような言葉は耳から耳へと通り抜けさせてしまおうとエルシュは無難な答えを貫いた。


「仏頂面で面白みのない冷徹王が随分と君にお熱だと聞いたから、どんな子かなと思っていたけれど、割と普通だね。……まぁ、それはそれで良いのかもしれないけれど」


 何か今、声を小さくしながら呟いたように思えたが、聞き取れなかったエルシュは聞き返すことはせずに、腹にぐっと力を込めてから反撃の言葉を吐かないようにと我慢した。

 相手は仮にも王家の血が流れている者だ。あまり突っ掛かるようなことはしない方が良いだろう。


「ねぇ、どうやってあの冷徹王を誑し込んだのかな? 魔法か薬でも使ったの?」


 まるでからかうような口調でダドリウスは言葉を続ける。


 初対面でここまで嫌悪感を抱く人間は初めてだ。もしかすると、自分の感情を前に出させるためにわざとやっているのではとさえ思えて来る。


「……それとも、相手を魅了する技を君が隠し持っているのかな?」


 ダドリウスの青い瞳が据わっているように見えて、エルシュは一歩、後ろへと下がった。もし、何かされそうになったならば、足元を氷漬けにしようという考えまで巡ってしまう。


 自分の顔が強張っていることを確認してから、ダドリウスはそれまでの表情とは一変して、人懐こそうな明るい表情へと戻した。


「──何てね。ちょっと冗談が過ぎてしまったようだね」


「……」


「まぁ、お二人の仲の良さは聞いているよ。……あの男に大事にされているんだね」


 最後の一言は何かを確かめるようにも聞こえて、背中に冷たいものが流れていった気がした。何となく、ダドリウスの言葉が不気味に感じられたのだ。


「さて、僕は戻るとするよ。……それじゃあ、またね、エルシュ姫」


 ダドリウスは本を持っていない方の手をひらひらと横に振りつつ、エルシュへと背を向けてからその場を立ち去った。

 足音が遠のいてから、エルシュは嵐が過ぎ去ったような安堵を含めた溜息を吐く。


 ……一体、何だったのかしら。


 自分の顔を見に来たにしては、何となく態度と言葉に棘が感じられた。特にリディスのことを「冷徹王」と呼んでいることが気に食わなかったのだが、それに反する言葉を伝えることは出来なかった。


 ……一応、陛下にも報告しておいた方がいいわよね。


 ダドリウスが関わりを持って来たことをリディスはどう思うだろうか。


 気持ちが少しだけ気鬱になりつつも、エルシュは借りるための本を両手で抱えたまま、もう一度深い溜息を吐いていた。

 

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