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弱点

 

 エルシュが変に威張った態度を取らず、穏やかな性格をしていることもあり、それからというもの文官や衛兵、侍女や侍従と言った者達だけでなく、下働きをしている者やその子どもからも声をかけられるようになっていた。


 その一番の理由としてはリディスやジークの執務室だけではなく、文官が勤める部屋や侍女達の休憩室、厨房などを雪華の力を使って、冷やして回ったことが好印象を与えたらしい。


 王家が何かしらの力を持って生まれて来ることは物珍しくはないが、それでも雪華の力をリディス達以外の王城の者達に受け入れてもらえただけでもエルシュは安堵していた。


 最初、接していた際にはエルシュは常に無表情であるため、感情が読み取りにくいと思われていたようだがそれも次第に慣れてくれたようだ。


 ジークによる授業や礼儀作法を学ぶ時間が終わった後は、侍女や下働きをしている者達の子どもに雪遊びがしたいと誘われるため、リディスに許可を貰ってから、庭先に雪を降らせては子ども達と遊んだりもしていた。


 アルヴォル王国では受け入れてもらえなかった雪華の力だが、ドラグニオン王国では何故か好評らしい。


 そのことを嬉しくは思っているが、日に日にリディスから醸し出る雰囲気が何となく気まずいものになっている気がするのは気のせいだろうか。


 起床した際や共に食事をしている時、そして眠る際などは機嫌が良いようだが、日中、自分に用事が出来てリディスの傍を離れる際には言葉にはしないものの、彼が纏う空気が冷たくなっているとジークが言っていた。


 ジークは気にすることはないと言って笑うだけだが、それでもリディスの態度が気にならないわけではなかった。



 しかし、本人に機嫌が悪いのかと訊ねる勇気はないため、どうするべきかと考えつつもエルシュは湯浴みを済ませてから、リディスと共に寝るためにいつもの寝室へと向かった。


 寝室に入ってみれば、ランプによって薄暗い灯りが室内を満たす中、リディスが何か言いたげな表情を浮かべて、ベッドの上に座って待っていた。


「どうかなされたのですか、陛下?」


 エルシュはベッドの上へと乗り、少しだけ膝をリディスの方へと進めていく。


 仮面の下の表情はそれほど機嫌が悪いようには見えないが、やはり心に何かを秘めているらしい。すると決意したのか、ふっとリディスは視線をエルシュへと向けて来た。


「そなたは私とは遊んでくれないのか」


 まさかの発言に、エルシュは瞳を瞬かせてから、小さく首を傾げてみせる。


「まぁ……。陛下も雪遊びがしたかったのですか。それならば今度やる際はぜひ、ご一緒させて頂きますが」


「……そういう意味ではない」


 リディスが期待する返事をエルシュが答えなかったことで、リディスは子どものように少しだけ拗ねた表情をした。


「……言葉にして下さらないと、分かりませんよ」


 本当は何となくリディスが言いたいことは分かっているが、エルシュはそれを覚られないようにとからかうことにした。


 仮面で顔は隠れているものの、リディスの表情は様々な感情を含んだまま変わっていくため、見ていて楽しいのだ。

 何より自分の言葉や行動一つで、表情を動かしてくれるのが嬉しくて仕方がなかった。


 しかし、リディスは考え込むような表情を浮かべたまま、それ以上を口にしようとはしなかった。少し、からかい過ぎただろうか。


 リディスから言葉が返ってこないため、エルシュはふっと息を漏らしてから、敷かれている薄い布団の中へと足を滑り込ませていく。


 その時だった。


 ぽすっと軽やかな音と共に、いつのまにか自分の身体が仰向けの状態になっていたのである。


 まるでリディスの身体に覆われているような状態となっており、驚いたエルシュは瞳を何度も瞬かせた。


「そなたは私をからかい過ぎだ」


 視線を真っすぐと注いでくるリディスの瞳は細められていた。どうやら、からかっていることは知られてしまっていたらしい。


「申し訳ありません。陛下の反応があまりにも楽しくて。……本当は私と夜、遊びたかったということでしょうか」


「呼吸するようにからかうのだな……」


 エルシュの身体に覆いかぶさっているリディスは小さく顔を顰めていた。だが、咎めるような言葉を告げるつもりはないらしい。


「……」


「……」


 リディスがエルシュを押し倒しているような体勢を取ったまま、時間だけが過ぎていく。だが、お互いに無言であるため、奇妙とも思える空気がそこには生まれてしまう。


「……えっと、陛下……?」


 沈黙に耐えきれなくなったエルシュが小さく声を出してみる。


 リディスははっとしたような表情をしてから身体を起こし、再びベッドの上へと座る体勢へと戻った。


 正式な結婚式はしていないとはいえ、自分とリディスはすでに形式上では夫婦である。

 そのため、夫婦の営みらしいことの一つでもするのかとぼんやりと考えていたのだが、リディスはあっさりと手を引いたのだ。


「……もしかして、私に女性としての魅力がありませんか」


 エルシュは身体を起こしつつ、首を小さく傾げてみせた。


「っ……。ち、違うっ……」


 かなりの慌てぶりでリディスは首を大きく横に振った。


「ただ、そなたがあまりにも白くて細いから、触れたら折れてしまいそうだと思ってだな……」


 恥ずかしがっているのか、それとも照れているのか。リディスはエルシュから視線を逸らしながら、しどろもどろに答える。


「それにそなたが嫌がるようなことはしたくはない」


「あら……。私、特に嫌がっていませんよ? あとは陛下のお覚悟次第です」


「……」


 エルシュの言葉にリディスは少しだけ、責めるような視線を向けて来る。

 これはからかっているわけではなく、本音の一つなのだが、それをわざわざ伝える必要はないだろうとエルシュは心の中で苦笑していた。


 エルシュはゆっくりと伸ばした手でリディスの右手を掴んでから、そっと自らの身体へと引き寄せる。


 そして、リディスの右手で自分の左頬を覆うように触れさせつつ、出来るだけ穏やかな表情を浮かべて見せた。


「ほら、触っても平気でしょう? 私は折れたりしませんよ」


「……」


 目の前のリディスは目を見開き、やがて何かに安堵するように口元を緩めながら笑みを浮かべていく。


 柔らかい視線は自分だけを映しており、その瞳に見透かされたようにエルシュの身体は動けなくなってしまっていた。


 ……仮面をしていなかったならば、この笑顔に悩殺されていたかもしれないわ。


 心が虜になってしまいそうな程に、眺め続けたいと思える優しい笑顔がそこにはあったのだ。


「そなたは本当に……」


 エルシュの左頬へと添えられていた手は頭の後ろへと沿うように流れていく。そして、気付いた時にはリディスの左腕が自分の身体を包み込むように抱いていたのだ。


 自分よりも大きな身体は少しだけ硬く、ぎこちない動きをしていたが、それでも温かいと思えた。


「陛下……」


 リディスの顔はエルシュの肩口へと埋まっており、彼の唇が肩口に触れた気がして、そのくすぐったさに何故か気持ち良さを覚えたエルシュは思わず身じろぎしてしまう。


 耳を澄ませてみれば、心臓が大きく脈打つ音が互いから漏れ聞こえる。どうやら緊張しているのはお互い様のようだ。


 ……人に抱きしめられるって、こんなにも温かくて、優しくて、気持ちが良いものだったのね。


 誰かに抱きしめてもらったことなど、片手で足りるほどしかない。しかも、そのほとんどが今は亡き生母だ。

 自分の父親にさえ、抱きしめられたことがなかったエルシュは異性からの初めての抱擁に安堵のような感覚を感じていた。


「……もう少し、待ってくれないか」


 耳元でリディスの低い声が響く。耳の奥へと侵入してくる声に、エルシュの身体はすみずみまで痺れてしまったようだ。


「急ぎたくないんだ。そなたが……言ってくれただろう。生き急がないで欲しい、と」


「……はい」


 確かに初めて共寝した日の夜に自分はリディスへとそう告げた。まさか、その言葉を意識してくれていたとは知らず、エルシュの心に熱いものがふわりと生まれていく。


「だから、少しずつ……。少しずつ、エルシュとゆっくりと関わりながら、生きてみたいと思う。ずっと続く先まで」


 思わず息を吸い込んでしまう。リディスの決意に、一瞬だけ瞳がぼやけてしまう気がした。


「……私と、生きてくれないか」


 呪いを受けているリディスに人間として残された時間は多くはないのだという。


 それでも、その時間を越えてまで、彼は自分と共に生きたいと願ってくれることが嬉しくて、エルシュは思わず両腕をリディスの身体へと回してしまっていた。


「はい。……宜しくお願い致します」


 そう答えた時、リディスの身体がほんの少しだけ震えたように感じた。そして、掻き抱くようにリディスの腕の力が強まっていく。


 何となく、この瞬間から本当の意味で生涯を寄り添う者になれたのではないだろうかと密かに思った。


 ……この優しさを感じながら生きていくことが出来るならば、それはきっと代えがたい程に幸せなのでしょうね。


 ふっと首元にかけられる吐息に、エルシュが小さな声を零す。

 そのくすぐったさに、エルシュは咄嗟にリディスと距離を取ってから、右手で息がかけられた首元を押さえ込んだ。


「なるほど、そなたは首が弱いようだな」


「……意地悪です。首はいけません」


 エルシュは顔を顰めながら首を横に振って、拒否を示す。


「エルシュも今まで散々、私のことをからかったではないか。これでお相子だ」


 どこか勝ち誇ったような顔でリディスは楽しそうに笑っている。どうやら自分の弱点を見つけたことが余程、嬉しかったらしい。


「だが、そなたのことを一つ、知ることが出来た。……こうやって、ゆっくりとエルシュのことを知っていきたいと思っている」


「……知って頂けるのは喜ばしく思いますが、弱点を探さないで下さいっ」


 頬をぷっくりと膨らませてから、エルシュはリディスに背を向けつつ、布団の中へと潜りこんだ。これ以上、弱点を教える気はないという意思表示である。


 しかし、エルシュに続くようにリディスも布団の中へと身体を入れて、なんと左腕をエルシュの腹部へと回してきたのである。


「っ……」


 それまでの夜は、一緒のベッドで寝ることはあっても、密着して眠ることなど一度もなかったため、エルシュは驚きと気恥ずかしさによって固まってしまう。


「あの、陛下……」


 真後ろから抱きしめられるような形で横になっているため、後ろを振り返ってしまえば視線が交わると分かっているエルシュは言葉が届くようにと声を張った。


「おやすみ、エルシュ」


 どうやら、この体勢のまま眠る気でいるらしい。何故、今日のリディスはこれほどまでに積極的なのだろうか。それまでは触れることの頻度の方が少なかったというのに。


 ……確かに先程、私は彼に触っても良いと言ったけれど。


 これでは自分の方が眠ることが出来ないではないか。そう抗議したくても、身じろぎが出来ないままだ。

 やがてエルシュは諦めが混じった溜息を吐いた。


「……おやすみなさいませ、陛下」


 返事は返ってこないが、すぐにうなじ辺りに小さく口付けが返って来る。


 弱点だと知っていて狙うのは、ただの意地悪ではないだろうかと言ってやりたかったが、エルシュはぐっと我慢してから目を瞑るしかなかった。

 

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