側仕えの侍女
自室へと戻ったエルシュはドラグニオン王国の成り立ちについて記載されている本を椅子に座って読んでいた。
ふっと顔を上げれば、机の上には紅茶が淹れられたカップと、果物が表面を飾っているケーキの皿が置かれていた。
一体、誰が用意したのだろうかと周囲を見渡せば、壁際に立っている侍女姿の少女と目があった。
瞳が緑色で、栗色の髪を二つに分けて結んでいる少女がエルシュと視線が重なるやいなや、すぐさま足音を立てないまま近づいて来る。
「あの、どうかなされましたか」
鈴が鳴ったような可愛らしい声が少女から零された。自分が顔を上げたため、何か用があると思ったのだろう。
「あ……。いえ、この紅茶とケーキはあなたが用意してくれたのかしら」
「はい。読書に集中なされておいでだったので、飲み物と甘い物をご用意させて頂きました」
確かに読書に集中していたが、足音も物音も聞こえなかった気がする。見た目は十二歳くらいの少女だが、有能な侍女らしい。
「そうだったのね。飲み物とお菓子を用意してくれて、ありがとう。えっと……」
「フィオン、と申します」
フィオンと名乗った侍女は服の裾を両手で掴んでから、軽く頭を下げる。
「今日からエルシュ様の側仕えの侍女となりました。ご用がある際は何なりとお申し付けください」
「ありがとう。……しっかりしているのね」
「いえ……。まだお城に来て、一年にも満たない新参者です。ですが、精一杯お仕えさせて頂きますので、どうぞ宜しくお願い致します」
「ええ。こちらこそ、宜しくね」
受け答えはしっかりとしているが、それでも柔らかい笑みを浮かべるフィオンはどこにでもいるような年頃の女の子に見えた。
エルシュは自国から侍女を連れて来ていなかったので、側仕えの侍女を付けて貰えたことに少しだけ安堵していた。
やはり、城内を歩く際や分からないことがあった際には誰かに訊ねようにも側に人がいなければ困ることがあったからだ。
「……ねえ、フィオン。良かったら、私とお喋りしてくれないかしら」
「えっ」
エルシュが本を机の上に置いてから、目の前の空いている椅子に座るようにと右手で示すとフィオンは年相応らしい慌てぶりを見せる。
「い、いえっ。あの、私は侍女なので……」
「あら、それなら私の話し相手になるのもお仕事の一つだと思えばいいわ。……私、自分から話すのは得意ではないけれど、人のお話を聞くのは好きなの。少しだけ私に付き合ってくれないかしら」
出来るだけ命令口調に捉えられないようにとエルシュが穏やかに告げると、視線を迷わせていたフィオンはこくりと頷き、どこか遠慮がちに椅子へと座った。
「で、ですが、私は世間に疎いため、エルシュ様を楽しませることが出来るような話題は持っていないと思います……」
フィオンの言葉にエルシュは目を細めた。自分がリディスに言った言葉と同じものだったため、微笑ましく思ってしまったのだ。
「そんなに気を張らなくていいのよ。……フィオンは今、いくつなの?」
「えっと、十二……じゃなかった、先日、十三歳になりました。……背が低く、童顔なのであまり年相応に見られないのです」
「そうかしら? あなたは歳以上にしっかりしていると思うわ。それに身長は今から伸びて来るわよ。私もあなたと同じ歳の頃には、身長が低かったもの」
「本当ですかっ」
エルシュの言葉が嬉しかったのか、フィオンの瞳は星の瞬きのように光った。こうして、フィオンと面と向かって話していると、妹と接しているようで楽しく思えた。
「ええ、だからそんなに心配しなくても大丈夫よ」
「ありがとうございます……! ……あの、そういえばエルシュ様は隣国のアルヴォル王国から嫁いで来られたと聞いているのですが」
おずおずと訊ねて来るフィオンにエルシュは軽く頷き返す。
「実は私も小さい頃はアルヴォル王国に住んでいたのです」
「まぁ、そうだったの。……ふふっ。同じ国を知っている人が傍に居てくれて嬉しいわ。いつ、ドラグニオン王国に来たの?」
「五年程前です。親が薬を扱う仕事をしていて、その薬を行商で売っていたので他にも色んな国に行ったことがあります」
昔を懐かしんでいるのか、一瞬だけフィオンの瞳が細められていた。
「他にはどんな国に?」
「えっと……。魔法の国のカルタシアにも行きましたし、踊りの国のバラーレや氷雪の国のアイスベルクにも行きました」
「アイスベルクにも行ったことがあるの?」
「はい。あの国は一年中、ずっと寒い場所でした。でも、一面に広がる銀世界が凄く綺麗で、名物の芋とチーズを混ぜたようなスープが美味しかったです」
「……良いわね」
フィオンの話に相槌を打ちつつも、エルシュは羨望の瞳を彼女へと向けた。そのことに気付いたのか、フィオンが少しだけ首を傾げる。
「エルシュ様……?」
「ああ、ごめんなさいね。……ただ、本当に羨ましくて」
「羨ましい、ですか」
「ええ。……私の母がね、アイスベルクの姫君だったの。でも、私は生まれ育ったアルヴォル王国から一歩も出たことがなかったから、一度もアイスベルクの銀世界を見たことがないの」
「……そうだったのですね」
フィオンは申し訳ないことを言ってしまったと言わんばかりにしょんぼりと悲しそうな表情をしたため、エルシュは急いで首を横に振った。
「フィオンが気に病まなくていいのよ。……昔、母が話してくれた白くて美しい世界を私も見てみたかったと思っただけだから」
「ですが……」
フィオンはまだ、何か言いたげな表情でエルシュの顔を窺っている。気に病む必要はないのだが、彼女は優しい子なのだろう。
「……それなら、少しだけ私の遊びに付き合ってくれるかしら」
「え? 遊び、ですか?」
「ええ。いつかアイスベルクに行った際にやってみたかった遊びがあったの。でも一人だと寂しいから、フィオンが一緒に遊んでくれたら嬉しいわ」
「や、やります!」
即答しながら椅子から思いっ切りに立ち上がるフィオンを見て、エルシュは微笑ましいものを眺めるような顔で頷き返した。
「それじゃあ、一緒に庭に出てもらえるかしら。部屋の中だと、お片付けが大変だから」
「はいっ」
どうにか自分のために役に立とうと意気込んでいるのか、フィオンは小さく鼻を鳴らしている。
そんな彼女を横目で眺めながら、エルシュはフィオンのような妹がいれば良かったのにと、密かに思っていた。