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氷の姫と仮面の王

  

 生まれながらにして、「王家」という役目を与えられた者がその役目を果たさなければならないのは、仕方がないことだと思う。

 例え、自分が姫君として良く思われていない存在だとしても、国王の命令に背くことなど許されないし、その気力さえ持っていない。

 はっきり言えば、自分を取り巻く全てのことに興味がなかったのだ。



 ……別に、国のために尽くしたいなんて、思ったことないもの。ただ、生きる場所がこれから変わるだけだわ。


 王家の人間が植物を自在に操ることが出来る不思議な力を持っていることから、植物の国と呼ばれているアルヴォル王国。

 その第三王女であるエルシュ・クライアインはそう思いつつも周囲に覚られないように小さく溜息を吐いていた。


 エルシュは警護のために衛兵達が壁沿いに並んでいる長い廊下をゆっくりと歩いていた。

 目の前には先導してくれる侍従らしき若い男性がこちらを振り返ることなく、無言のまま目的の場所へと向かって進んで行く。


 今、自分が歩いている場所は生まれた自国ではない。


 竜という存在が生息しており、そしておとぎ話に登場する神聖竜(しんせいりゅう)を神として信仰していることから竜の国と呼ばれているドラグニオン王国。

 その国の王城の廊下を今まさに歩いており、目指している場所はこの国の王が待っている謁見の間である。


 加えて、自分は外交の役割を担って、この長い廊下を歩いているわけではない。

 エルシュはアルヴォル王国からドラグニオン王国の国王へと嫁ぐことになり、今日はお互いにとって初めての顔合わせのような日なのだ。


 ……ドラグニオン王国の国王は若くして即位したと聞いているけれど、とても冷徹で恐ろしい人だってお姉様達が言っていたわね。


 本来ならば、一つ歳が上の腹違いの姉、ロサフィ第二王女がドラグニオン王国の国王へと嫁ぐはずだった。


 だが、自分達の父親であるアルヴォル王国の国王は、美しく可憐な姫君であるロサフィを心底可愛がっており、普段から手放したくはないと思っていたらしい。


 また、ロサフィ自身も不穏な噂が流れている他国の国王には嫁ぎたくはないと言い張ったことで、父王によってロサフィの願いは通され、その身代わりとなるように最も情が薄い自分が嫁ぐことになったのである。


 情が薄い理由としては、やはりエルシュが王家の血筋の者に受け継がれるはずの植物を自在に操る力が顕現しなかったことが大きな理由だろう。


 自分の生母は氷雪の国「アイスベルク公国」の王女で、王家は雪や氷を自在に形成して操る力を持っているのだが、母方の血が濃かったのか、自分も同じような「雪華(せっか)の力」を受け継いでしまっていたのである。


 植物の国と謳われているアルヴォル王国には生息していない植物は存在しないと言われている。それは王家が持つ力ゆえの繁栄だと、どこかの吟遊詩人も歌っているほどだ。


 この国の王家は植物を自在に生やし、操ることが出来るのだが、エルシュにはその力は全く備わっていない。

 そのため、腹違いの兄妹どころか実父である国王にさえ、忌み嫌われていたのである。


 ……それに加えて顔の筋肉が死んでいるもの。愛想がないって思われてしまいそうだわ。


 色白ではあるが笑うことが苦手であるため、周囲の人間からは常に不機嫌そうに見えると言われては難癖を付けられていたことを思い出して、エルシュは今日一日だけで数度目となる溜息を吐いた。


 今から顔を合わせるドラグニオン王国の国王も自分のことを見て、残念だと思うのだろうか。


 ……一度も会ったことのない人に対して、勝手に偏見を抱くのは失礼だわ。これから私はその人の傍で生きていかなければならないのだから。


 廊下の床へと落としかけていた視線を少し上へと向き直してから、姿勢を正したまま進んで行く。


 辿り着いたのは、見上げる程に大きい扉の前だ。

 白い巨石のような素材で作られているらしく、両開きの扉には翼を広げた竜が二頭、向かい合っている彫刻が彫られていた。


 ……ドラグニオン王国は昔、竜が空を飛び交っていたと言われているけれど、今もこの国のどこかに存在しているのかしら。


 物語の中でしか、竜という存在を見たことはないため、ほんの少しの好奇心から見てみたいと思ってしまう。

 そんなことを思っているうちに、大きな両開きの扉がゆっくりと開かれていく。


「エルシュ王女。どうぞ、お入りくださいませ」


「はい」


 ここまで案内してくれた侍従の男性が、扉の内側へ入るようにと促してくる。エルシュはゆっくりと足を進めていき、敷かれている赤く細長い絨毯の上を歩いた。


 そして、真ん中辺りで立ち止まり、頭を下げたまま跪く。この国の王に嫁ぐと言っても、立場は臣下であることには変わりない。

 エルシュはそのまま顔を上げることなく、ドラグニオン王国の国王が謁見の間にやって来るのを静かに待っていた。


しばらくすれば、軽やかな衣擦れの音が聞こえ始める。


 ……来たのかしら。


 しかし、何故か自分の方に足音が向かって来る気がしてならない。


 一体、誰が自分の方へと近付いて来ているのだろうかと思っていると、目の前で足音が立ち止まり、そして深い藍色の布の切れ端が視界に映る。


 顔を上げていないと言うのに、目の前に立っている人物から強い気配のようなものが流れてきた気がして、エルシュは気を引き締め直した。


「──アルヴォル王国の第三王女、エルシュ・クライアイン姫か」


 低くも凛とした声が頭上から降ってくる。声は若いようだ。


「はい、その通りでございます」


 そう答えた瞬間、目の前に立っている人物が同じように身体を屈めてから、姿勢を合わせてきたのである。


「顔を上げてくれ」


 言われた言葉の通りに顔を上げれば、目の前に跪いた人物と視線が交わるだろう。分かっているのに顔を上げてしまうのは、自然と従ってしまう力がその声に宿っているからだ。

 エルシュは顔を上げて、凛としている声の主と視線を交える。


 目の前にいたのは、二十歳を過ぎたくらいの若い男だった。濡れているようにも見える黒髪は、大きな窓から入って来る光によって黒曜石(こくようせき)のように反射している。


 表情に色はないが、それでも自分を蔑むような瞳はしていない。むしろ、深い青色の瞳は自分だけを真っ直ぐと映していた。


 だが、一つだけ疑問に思うことがある。目の前に跪いている黒髪の男は何故か、銀色の仮面で頬より上部分、つまりは顔の上半分を覆っていたのである。


 ……どうして、仮面をしているのかしら。


 まるで、仮面舞踏会で使われている仮面のようだ。銀色だが特に彫刻を施されているわけではないため、飾り気はなかった。


 それでも仮面で顔を隠している男に対して、不思議がるわけにはいかないため、表情に感情が出ないエルシュはただ、じっとその男の顔を見つめるだけに努めた。


「遠路はるばる、ドラグニオン王国へようこそ。……私が国王、リディス・ドラグールだ」


「……」


 リディス・ドラグール。その名前は知っている。自分が嫁ぐべき人間の名前だ。

 つまり、自分と同じように床上へと跪いている仮面を被った彼こそがこの国の王であり、自分の夫となる者らしい。


 この状態のまま、挨拶してしまっていいのだろうか。それとも自分が先に立つべきか、色々と悩んだ結果、エルシュはこのまま挨拶を述べることにした。


「……アルヴォル王国から参りました。エルシュ・クライアインと申します」


 嫁いできたとは言え、正式な結婚式を挙げてはいないので、自分の名前はまだアルヴォル王国にいた頃のままだ。

 恐らく結婚した後に、リディスと同じドラグールという名前を名乗ることが出来るようになるのだろう。


 挨拶以上の言葉を紡ぐことが出来ないまま、エルシュは口を閉ざしてしまうが、リディスは訝しげに思うことなく、ただ頷き返してくるだけだ。


「長い移動で疲れているだろう。……他の臣下への挨拶と紹介などはまた後日にして、今日はもう休むといい。そなたの部屋は用意してあるから」


「え……。……か、かしこまりました」


 確かに長い時間、馬車に乗っての移動だったため、少しだけ疲れがあるが、臣下や貴族達への挨拶を後回しにしてしまって良いのだろうか。


 そもそも今、ドラグニオン王国の国王へと挨拶をしているというのに、周りには人が誰もいない。


 これは正式な場ではないのだろうかと考えを巡らせていくが、身体が疲れてしまっているため、リディスの言葉に甘えて休ませてもらうことにした。


「そなたの父であるアルヴォル王国の国王には、確かにエルシュ姫が王城入りしたことを書した書簡を出しておこう。……国内外への通達や準備もあるため、正式な結婚式は半年後だ。その間にこの国の歴史や振舞い方を学んでもらうことになるだろうが、不便な思いはさせないように取り計らうつもりだ。何か困ったことがあったならば遠慮せずに言うといい」


「……はい。ありがとうございます」


 初対面であるはずだが、嫁いできたばかりの自分が困ることのないように色々と配慮してくれるようだ。


 ……冷徹なお方だと聞いていたけれど、噂は噂だったということかしら。それにお父様とは性格が全く違う人だわ。


 自分の父はあまり目にかけてはくれなかったため、異性から気遣われることが初めてであるエルシュは自分の夫となる者に対して、少しだけ心を開きかけていた。


 ただ、気になるのは仮面を被っていることだけだ。そのことが伝わってしまったのか、深い青色の瞳が自分をじっと見つめて来る。


 心を見透かされているような気がして気まずさを覚えたが、このような場合、表情の筋肉が死んでいる自分にとっては無表情を装うには打って付けだった。


「……では、城の者に部屋へと案内するように頼んでおこう。……夕食の時には私と同席となるが、構わないだろうか」


「はい」


 先に目を逸らしたのはリディスの方だった。立ち上がったと思えば、自分に向けて右手を差し出してくる。どうやらこの手に掴まって、立つと良いという意味なのだろう。


 エルシュは失礼致しますと一言告げて、リディスから伸ばされている手に、そっと触れるように載せてから立ち上がる。


 手を触れたのは立ち上がるまでの一瞬だったが、初めて異性の手を握ってしまったエルシュは内心、心臓が跳ね上がりそうになっていた。


 ……男の人の手って、思っていたよりも大きいものなのね。


 手を離してしまえば、一瞬だけ触れていた熱がまだ残っているような気がして、つい探してしまう。


 自分の手は冷たくはなかっただろうか。

 雪華の力が使えるこの身体は他の人間に比べると体温が低いらしく、触れてしまったことで不快感を与えていないか不安だった。


 しかし、リディスは特に気にするような素振りを見せることはなかった。そのことに再び安堵しながら、心の中で溜息を吐いた。


 リディスによって呼び出されたのは先程、エルシュを謁見の間まで連れて来てくれた侍従だった。

 恐らく、謁見の間の外で待機していたのだろう。彼に付いて行けば自室となる場所へと連れて行ってもらえるらしい。


「では、また後程」


「……失礼致します」


 他国から嫁いできたばかりの自分を気遣ってくれているのか、リディスは簡単な挨拶を済ませただけで、その場から立ち去っていく。

 もしかすると国王としての仕事が立て込んでいるのかもしれない。


 ……私はちゃんと、王妃らしく振舞えるかしら。


 自国の城から一歩も外に出たことはない自分はある意味、箱入りのお姫様のようなものだ。


 そして、何より他人と接することがあまり得意ではないため、リディスの不興を買ってしまわないか心配でもあった。


 小さな不安を抱えたまま、エルシュは用意された自室へと案内してくれる侍従の後ろをどこか呆けたように歩いていた。

  

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