カピバラだって温泉に入る①
溢れ出る湯は温泉でもなくボイラーによって温められたただの水であるが、十畳ほどの広さの浴室の三分の一を占める湯舟はかなりの贅沢ともいえる。
いや、最高の贅沢であろう。
俺の住む城は湧き出る水源の蓋のように築城されており、次から次へと溢れる清流がいくらでも使い放題だと言っても、薪を燃やす事ぐらいしかできないこの世界に置いては風呂に使う大量の水を沸かすという行為は途方もない贅沢となるはずなのである。
そこまで考えて、俺は初めて気が付いた。
俺のボイラーを動かす燃料はなんだったのか、と。
ばしゃん!
俺の思考は湯に飛び込んで来た馬鹿者のせいで完全に途切れた。
数日前の風呂場で大騒ぎした時の方が可愛かったと、湯船でバタ足を始めた子供に恨みがましい視線を投げた。
あの日、僧衣という白い服を無理矢理に剥いてみれば、一度も風呂に入ったことのないシロロは、首から下が垢塗れというただの小汚い中世人であった。
当り前だがシロロは風呂を嫌がり、浴室に入れようとすれば半泣き状態でぼろ布を抱えて脱衣所の隅に逃げた。
そこで俺は彼にウンザリとしながら一人で浴室に入り、全くの安全な行為であることを見せつける様に体を洗い始めてみたのである。
洗い終わっても来なければ、また湯船につかり、また、体を洗う。
湯に逆上せながらも、洗いすぎで体がチクチクと痛んでも、鼻歌まで歌ってやったのだ。
そんな素晴らしき俺の努力の甲斐もあり、彼は俺が平気であれば大丈夫だと確信したのか、俺が体を洗っている真横に来た。
そして、幼児が親をまねるように、俺の体を洗う様を見様見真似し始めたのである。
彼が体を洗う様を横目で見ながら俺は平静な顔を保っていたが、石鹸の泡がこんなにも茶色に染まるとはと、実はかなり驚いていた。
そして、俺が湯船につかればおっかなびっくりだが湯船に入り、俺がホッとしたのもつかの間、彼は初めての湯舟で体が痒くなったのか、大きく悲鳴を上げて飛び出て行ったのである。
俺がそんな彼の姿に大笑いしたのは当たり前だ。
だが、子供が順応力が高いのは当たり前で、彼は二日もしないで完全に風呂の虜となり、そのうちに風呂場で遊ぶという迷惑子ザルにまで成長したのである。
そう、今のこの状態だ。
「湯船で遊ぶのは止めなさいよ。」
「だって、僕は泳げなかったのに、泳げるようになりました!」
「だから泳ぐなって。お風呂は静かに入るものなの!」
「はい。ごめんなさい。」
しょんぼりとなった彼は静かに湯船に沈み、波紋がなくなり静かになった湯は、シロロの体を少々顕わにした。
つまり、あるものが無いという事実だ。
ただし、彼は彼女ではない。
彼は無性体なのだ。
エルフ族は性があったはずなのにと、初めて彼の身体を知った時は首を傾げたものだ。
その後すぐにハーフというデミヒューマンだからなのだろうと納得したが、今改めて考えてみると、男でも女でもない体というのならば、彼が誰かを愛したとしても、その愛を受け入れることも受けいれてもらえる事も無いかもしれない、と気が付いて俺は彼の不幸に愕然とした。