俺はこれが精いっぱい
自分の女房の顔など覚えていない。
そう告白したアルバートルは、鼻で笑い、もう一度右手を閃かせた。
モニターに映っていた映像は消え、ただの白いシルクスクリーンと変わった。
「アルバートル。」
「俺はクズ野郎ですよ。あの二人の死にほっとしていた自分がいた。その上顔だって覚えちゃいない。」
「だから忘れようとしないのか?」
「忘れましたよ。あいつとの生活は全部忘れました。いいや、覚えているほど生活はしていません。俺は自分の女房が誰かの愛人であることに我慢できなかった。自分の女房を愛人にしている奴に父親面されるのが我慢できなかった。だから俺は、戦場が出来ればそこがどんな糞でも、勢い勇んで飛び込んでいきましたよ。」
「そんなのは当たり前だ。もともと望んだ相手との結婚でも無かったんだろ?君はまだ十九歳だったそうじゃないか。俺だってもそんな生活は嫌だよ。」
「あなたは生贄の娘達を全部大事に育て上げたじゃないですか。嫌らしい感情も抱かずに、本当の娘として。俺にはできない。立派です。」
「嫌らしい感情を抱いた相手はいた。その彼女に頼り切って、彼女に子育てを押し付けた。だからできた事だ。」
「ハハハ。あなたはピンクな竜ですもんね。ええ、今でもピンクな竜ですよ。」
アルバートルは自分のグラスを持ち上げると、再びそれに口に付けた。
それから再びグラスを置き、俺にすいませんと謝った。
「君が謝ることなど何もない。」
「ありますよ。全て私の不徳が致すところでございますって奴です。イーブの言葉通りですよ。俺はあれの日記の言葉に捕まっている。あなたの子供でした。あなたの子供を育てたかった。ダニエラが泣くたびに骨となったディーンと重なった。そんな俺のせいでみんなが勝手に動いていた。俺のせいです。」
「だから、ぜんぶ、一から十まで知っていたけれども、君は見逃してしまったってことか。そう言いたいのかな?」
「ええ。全部俺のせいです。」
アルバートルは何度遺骨から顔を作って眺めていたのだろう。
もしかしたら、妻の方ではなく赤ん坊の骨こそ肉付けして顔を作り、赤ん坊の顔どころか成長した姿まで創造していなかっただろうか。
自分がもし見捨てなければ生きていた命であり、自分が見捨てなければこのように成長していたはずだと思いつめていたのではないだろうか。
俺はどうしたもんだとグラスを見返し、そこでくだらない解決法が浮かんだ。
本当にくだらない。
「ノーラにさ、今の話を聞かせてみようか?それであいつに決めて貰うんだ、君がこれからどうするのか。今後どうしたら君の気が晴れるのか。」
アルバートルは俺を見返して、そっくりだ、と吐き捨てた。
「全く、あの適当ノーラとそっくりだ。いや、あなたにノーラは似たんだ。全く二人して面倒になったら適当なことばかり言う。嫌ですよ。俺は繊細なんです。あいつに相談するぐらいなら、ええ、親友に言います。ええ、今度からあの馬鹿野郎に昔みたいに相談しますよ。それでいいですね。」
「ああ、いいよ。それでいい。俺は君達によって何も困った事は起きていないし、不幸にもなっていない。だから、そうしてくれ。」
俺はグラスの酒を一気に飲み干すと、アルバートルの肩を叩いた。
そこで先程彼の親友にしたように、彼こそ抱き締めて慰めるべきなのかと俺は思いつき、思い付いたが実行について迷った。
何しろ前世はハグ文化のない日本人だった俺だ。
咄嗟、無意識、ならば抱きしめられるが、こうして思い立った時では気恥ずかしさばかりが先に立つのだ。
しかし目の前のアルバートルは、傷ついている自分を、初めてというぐらいに俺の前にさらけ出しているではないか。
「ええい!ままよ!」
俺はぐいっとアルバートルを掴んで自分に引き寄せ、……られなかった。
百戦錬磨のアルバートルは彼を掴んだ俺の手を簡単に返し、その代わりという風に俺を引っ張って自分の腕の中に入れたのだ。
常に自分が一番上位でいたいという男の、完全に無意識なる行動であろう。
彼こそ俺を腕に抱いたそこで、両目を真ん丸にして、しまった、という顔をしたのだ。
だが、彼は俺など比べ物にならない百戦錬磨だ。
俺よりも早く立ち直って、楽しそうにクスクス笑いを始めたのである。
「ダグド様の顔、ははっ、驚き過ぎですって。」
笑い過ぎて涙が出るという風に、彼は俺から両手を剥がすと顔に当てた。
俺はやっぱり彼を抱き締めた。
「似ていませんでした。」
「わかってるよ。」
「いいえ。わかっていません。ディーンは俺に似ていなかった。俺が知っている司祭にも似ていなかった。女房に似ていたんでしょうかね。俺が思い出せない顔をした女房に、俺の息子は成長していたはずなんでしょうか。」
俺はアルバートルを抱き締めて、娘達にしたように彼の背中を軽く叩いてやることしか出来なかった。
生贄として捨てられていた彼女達に掛ける言葉も無く、ただただ泣き続けられるように背中を叩いてやるしか出来なかったあの日のように。
どのぐらい時間がたったのか、大した時間など立っていないのか、俺の腕の中でアルバートルが突然に吹き出した。
「どうした?」
「やべえなって。やばいですよ、ダグド様の腕の中。」
俺はなぜか赤面してしまったが、俺の顔を見てもいないくせにアルバートルは、ダグド様ったら、なんて言いながら本格的に笑い出した。
俺はホッとして彼から腕を解くと、彼が笑いながら俺の肩に押し付けていた顔をあげた。
「ダグド様。俺の顔はどうなってます?」
アルバートルの瞼は腫れて、美貌などどこかに消えた顔をしていた。
俺は笑いを噛み殺そうとして、そのせいで頬の奥が痺れる痛みに耐えねばならなくなった。
つまり笑いを全く噛み殺せていない。
すると不貞腐れた表情を彼は作ると、野良猫がするようにぷいっと俺の前から勝手に去って行こうとするではないか。
お前!俺は君の上司でしょう?
「どこに行くの?」
「この顔でノーラを落せるかチャレンジしてきます。カイユーが失恋したらダグド様のせいですね。だって俺は言っちゃいますから。ダグド様にノーラに相談するように言われたってね。」
「やめてええ!」
ドアは無情にも閉じ、俺の叫びに呼応するようにドアの向こうで若々しい青年の笑い声が響いた。
俺は彼を呼び止めようと伸ばした右手を下げ、閉じたドアを眺めて彼を見送るしかなかった。
そう、破壊竜だろうが俺が俺でしかない俺に何ができるだろうか。
「さあ、帰ろう。俺には蚕さんの世話がある。あいつらの食い扶持を俺が稼がなならん。俺があいつらにしてやれるのは食わしてやることだけだもんな。」
「ダグド様。アドバイス通りでしたよ。ノーラはいい女でした。」
俺は抱いている娘を取り落としそうになった。
俺が適当なことを言ったせいで、アルバートルは本気でノーラを口説きに行って、それでもってノーラがカイユーから乗り換えたのだろうか。
それでアルバートルは癒された?ええ?
「の、ノーラさんは君に何て?」
「悩んでいるつったら、野菜工場の収穫仕事をさせられました。それでもって俺の横に立ってカイユーの素晴らしさをくどくどと俺に自慢してきましたね。」
「そ、そう。」
「で、ありがとうって言われましたよ。暑いから倒れる老人が多くて野菜工場の手が足りなかった。俺がいて良かった。ついでに、カイユーが生きているのは俺のお陰だって言いやがった。全く性格が悪い奴だよ、あいつは!」
「えええ。そこはいい子だって言わないの?」
「ヤな奴ですよ。余計な一言付けやがった。俺に感謝しなくちゃならないのが残念だ。そう言いやがったんですからね。畜生。土下座して俺を崇めるぐらいに感謝させてやろうじゃないか。ダグド様。あいつとカイユーはいつ結婚式するんですか?俺が計画しましょうか?」
ノーラとカイユーが結婚した後のことを俺は想像し、舅と嫁の罵り合いの間に立つカイユーという図を俺の脳みそは簡単に映像化してくれた。
「いや、あの。カイユーが可哀想だからちょっとそっとしてあげて。ね?」
お読みいただきありがとうございます。
フェールを幸せにと感想をいただいた事で作り上げた章です。
色々過去設定などを考えていたので、フェールを主役に書けて楽しかったです。
最後はアルバートルが全部持っていくのは、そこはお約束という事でお許しください。
読んでいただける、それだけで幸せです。
今後ともよろしくお願いします。




