そんなカッコいいものじゃない決意
フェールとダニエラが落ちた屋根から這い出たそこで、族長の住処は寄生虫の営巣地になった族長の遺体ごと水に沈んだ。
消化液に浸った途端に一気に蒸発するようにして巨大な肉体が瓦解した様子を見て、フェールはダニエラを抱き締めながら軽く震えた。
化け物の胃液の海に落ちたら一瞬でお終いだ。
彼には浮かんでいる瓦礫のどこかに留まるしか生き延びる道はなく、それはここの住人であるゴーゴナン人と共存していくかない。
「それは平和的な選択肢だ。分かっている。でも俺は嫌なことは嫌なくそったれなんだよ!」
彼は立ち上がるや右足を大きく回した。
彼の足に蹴られたぬるっとしたものは、女性の悲鳴をあげながら倒れ、あるいは悲鳴をあげながら消化液の中に落ちていった。
しかし、彼に迫りくる人影はそれだけでなかった。
彼とダニエラが避難したのは族長の館のすぐ隣に繋がれた敷地だった。
そこに佇むフェール達に向かって、ゴーゴナンの民達が、一人、また一人と、手に銛を携えて向かってくるのだ。
むっくりと起き上がった女は消化液に落ちた仲間に目もくれず、フェールだけを見据えながら確定事項のように言葉を吐いた。
「子供を作らせてもらいます。」
「俺は子供なのでそっちが得意な方を紹介しますよ?ここを出る方法を教えて頂けましたら、の話ですけれど?」
「大人しくなさってください。我々は生き延びねばなりません。」
「俺っちこそ生き延びたいよ。だから、あんたたちもさ。生き延びたいならね、互いに適切な距離を取りましょうよ。」
女は問答無用という風に銛を突き立てた。
フェールは強化魔法を自分に掛けられるだけかけといて良かったと思いながら、ダニエルを抱いたまま宙に浮かんでいた。
それ程に滞空時間を得られるジャンプをするために蹴り飛ばした瓦礫の船は砕け、フェールに銛を向けた女と乗り込んで来たばかりの三名は、壊れた瓦礫と一緒に消化液の中に沈んでいった。
フェールは体を捩じり、穴となった以前の場所ではなく、もう二つ先ぐらいの瓦礫に着地した。
そしてすぐに蹴り込んで、今度は着地の衝撃が少ない程度に飛んだ。
彼が蹴り飛ばしたばかりの瓦礫は沈み、それぞれが繋げてあるためか、フェールが無事に着地した場所も斜めになるほどに大きく傾いだ。
「やば、やばい。やりすぎた。」
ざん。
ざん。
フェールの目の前に二本の銛の先が突き出された。
フェールは体を捩じってダニエラも自分も庇ったが、背中に引き攣る強い痛みを受けて歯を喰いしばることになった。
「皮膚硬化もしているのに!」
彼は銛を突き出して来た敵から飛び避けると、背中の血を右手で拭ってからその右手を敵に向かって大きく振った。
「ぎゃあ。」
「かふ。」
彼が投げた彼の血は真っ赤な小さな刃となり、彼に襲いかかってきた女達の胸や顔に深く突き刺さった。
女達は次々と膝を落としたが、フェールはだからこそ今の場所から急いで動くと、戦力外となった女達を蹴り飛ばした。
じゃばん、じゅわあああと、聞きなれた水音と人体が溶ける嫌な音が響いた。
「全滅したくなきゃ動くな!今すぐに退け!いい加減にしろよ!」
「お主こそ死にたくなければもう動くな。」
「ハハハ。死んだら使いもんになりません。脅しになりませんよ?」
ひひひぎひいいひ、ひひひひひ。
人間とは思えない空気が抜けた様な笑い声が周囲で一斉に起きた。
これこそ人海戦術という有利さから、彼女達がフェールを小馬鹿にして笑っているのだとフェールは思った。
だがしかし、多勢に無勢をひっくり返したいとフェールこそ考えていたのだ。
最初に飛び上って眼下に広がる瓦礫の船の地図を頭に描き、一番効果的で一番に罠にしやすい場所を彼はその時点で見つけていたのだ。
「もう逃げられない。大人しくしてれば命は取らん。白子を抜くだけじゃ。」
「え?」
フェールは頭が真っ白になった。
そうだ、この人達哺乳類じゃない。
「コンスタンティーノに養殖プールも作ろう。」
「ダグド様。養殖って、稚魚を集めて育てるって事ですか?」
「普通に孵化させりゃいいんじゃないの?魚って卵にオスの精子がかかれば受精卵になっちゃうものでしょう?捌いた魚から取り出した卵にオスの精子をかけて水に戻すと受精卵になるんだったかな。」
「孵っても育てられませんよ。」
「あ、じゃあ、しらす干しにしちゃえば。」
「しらす干し?」
「稚魚を塩水で煮てから天日干しにした食べ物の事だよ。美味しいよ。」
「数百の赤子の命をいち時に奪ったとかのあなたの暴虐伝説、真実がしらす干しでしたか?」
ダグドとアルバートルがしていた雑談、当時はまた馬鹿なことを言い合っていると思っていたそれをフェールは思い出した。
そしてダグドが語った魚の受精卵の作り方を思い出した事で、フェールは自分の睾丸がきゅっと縮まった気がした。
ゴーゴナンがフェールに求めているのは、フェールとの繁殖行為ではなく、繁殖するための器官だけが欲しいと言っていると気が付いたからだ。
死んでも生きていても、奪えればいい、それしか考えていない。
「無理~!」
フェールは叫んだ。
そして再びジャンプしようと大きく蹴り込もうとしたが、それは大きな水音と揺らぎによって出来なかった。
どおん。
大きな音と共に大量の水が流れ込んできて、フェール達の乗っている瓦礫の足場も大きく揺れながら高度を高くした。
慣れているはずだろう女達の数人が次々と下に落ちていく。
ごごごんん。
次は水が排水され始めた音だ。
化け物の胃に流れ込んだ海水が今度は腸に流れていったというのか?
フェールは無意識に水の流れを追っていた。
その時に彼の視界の中で彼に希望ともいえる光景を見せていた。
今回落ちた女達の誰も死んではいない。
水面が下がっていくのに合わせて瓦礫によじ登って来たが、彼女達の誰も無傷であり、どこも溶けてはいないという姿なのである。
「俺っちが飲み込まれてから何時間後だった?次に水が来たら肛門に向かって走るか?」
水圧ってものがあるんだよ。
モージョバジョボ族の海中の塔でゴキブリ退治をさせられた時、ダグドが母親のような煩さでフェールとカイユーに注意してきた言葉が思い出された。
絶対に塔を壊すんじゃないよ。
塔を壊したら、押し寄せる水圧で君達はぺしゃんこになってしまう。
ざざ、ざざん。
水面は再び元通りに、けれど少しだけ淀みが消えたようにして湛えている。
フェールはダニエラを抱きしめた。
「俺は駄目でも君は大丈夫かな?俺っちは死ぬのは嫌だけど、ゴーゴナンの女達のものになるのはもっと嫌なんだよ。ギリギリまでは一緒にいるから一人ぼっちにしちゃった時には許してね。」
彼が抱く幼児は意味が分からないという風に小首を傾げたが、仄かな灯りの中でも真っ青な瞳が綺麗なのはフェールにはよくわかった。
糞溜めに沈めてしまうには可哀想すぎる、穢れない瞳だ。
フェールはぐっと体勢を落とすと、飛び立つために思い切り瓦礫の床を両足で蹴りつけていた。
とりあえず、集団の敵の殲滅だ。
次に、化け物が水を飲み込んだら、フェールは水に飛び込んで腸を目指す。
ダニエラだけでも外の世界に帰すために。




