そして屍を拾うものなしの決死行へ
アルゲオカントゥスの外見は深海に住むエイのような形ではなく、水深二百メートルぐらいの所に生息しているゴマフシビレエイに近い姿だった。
一般的なエイのような平べったい三角ではなく、丸みのある幅広のフォルムであり、背びれのある太い尻尾としっかりした大きな尾ひれを持つ。
光を通さない深海の為にモニター映像は白黒の世界だが、背面に本物のゴマフシビレエイのような黒い斑点模様があることで、色合いも本物と同じサメのような灰色をしているのだろう。
「色付きで鑑賞出来たら最高なのにな。」
「逃げるのに精いっぱいですよ。」
アルゲオカントゥスはエイのように体をひらひらさせて泳ぎはしない。
その代わりとして、しっかりとした尻尾を推進力に使って右へ左へとグルグル動き、俺達の潜水艦を翻弄してくれるのである。
「小回りきかないこっちは上昇下降で凌ぐしかないのですけどね。」
カイユーとフェールという特攻隊を作った男は忌々しそうに呟いた。
彼こそ攻撃できない逃げ一方で、かなりストレスが溜まっているらしい。
魚雷と聞いて喜んだアルバートルは、アルゲオカントゥスの背面を取ったここぞという時に打ち込んだ。
しかし、魚雷というものは潜水艦からワイヤーで制御しているため、ワイヤーの届く範囲に潜水艦はいる事になる。
つまり、攻撃対象にとって発見しやすい位置にいるので、水上の戦艦などからミサイル攻撃を受け易くもなるという事だ。
アルゲオカントゥスの攻撃はミサイルでは無かった。
シビレエイの名前通り、電撃を発しやがったのである。
魚雷はその電撃によって誘発されて暴発し、ワイヤーを急いで切ったにもかかわらず艦は高圧電気の影響を受けて一分間完全沈黙した。
この一分は寿命が十年縮んだぐらいのものだった。
ただし、アルバートルは静かだった。
動きを止めた潜水艦がゆっくりと惰性でアルゲオカントゥスに向かって行くのを、静かに黙って受け入れていた。
彼はわかっていたのだろう。
シビレエイは痺れさせた獲物を食べる、という事に。
アルゲオカントゥスは大きく口を開けたのだ。
だが、今も潜水艦を動かして必死に逃げまどっているのはどういうことか。
俺がシロロを呼び出したからだ。
アルゲオカントゥスの中に入るにも、その時には潜水艦が生きていて制御できる状況でなければ、確実にアルバートル達が死んでしまうことになるのだ。
何度も言うが、動力にしているのは水素発電機だ。
俺の潜水艦を大爆発させたら、乗員だけでなくてアルゲオカントゥスの腹の中のものも全部道連れに粉々にできるであろう。
フェールも、ダニエラも。
「つまんな~い。アルバートルがアルゲオカントゥスに入るそこで僕は戻りたかった。ぐるぐるしているお船の中だけって、つまんな~い!」
「お前の完全防御っていうチートが必要なんだよ。」
「完全防御だって僕が忘れたら意味無いのに!」
「忘れんなよ?ぜったいぜったいに忘れんなよ?」
モニターは海中怪獣映像から切り替わり、アルバートルの自撮り画像となった。
めっちゃ見ている。
めっちゃ忌々しそうに俺を見ていやがる。
俺が邪魔をしてからのアルゲオカントゥスとの交戦であるが、奴は魚程度の知能しか無いのか、絶対防御があった硬いものは自分の食べ物じゃないと認識したようなのだ。
そこで、自分に近づく潜水艦を邪魔な小石か何かのようにして振り払おうと動くが、再び口を開けての喰らいつきをしてくれないという状況なのである。
「悪かった。最初のあれを台無しにしちまって。だが、今回はシロロがいるから艦は沈黙しない。もう一回あれをトライしてくれ。」
「簡単に言う!大体あなたが俺達を見失わなければ大丈夫なのでは?」
「それが分かんないから強制終了させたんだよ。アルゲオカントゥスの中に入ったお前らをサポートできるかわからない。俺との交信が切れてもその船が生きていれば動く。お前達の行きたいところにそいつはちゃんと進むんだ。」
アルバートルはフフッと笑った。
それでもって髪をかき上げやがった。
右手で前髪を押さえて額をまる出しにしたまま彼は動きを止め、何かを考えているようにして両目を伏せた。
クッソ、男が見惚れるぐらいにいい男だ!
「俺はあなたが俺に向ける愛情を軽く見ていましたね。」
「と、ととと突然何を言うのかな?」
「俺はあなたからの寵愛を失う失態をしたならば、死を持って償おうとまで考えておりましたが、あなたはとっても深かった。」
俺は背筋がぞくっとした。
アルバートルが辞世の句を読みそうな言い回しを始めて来た事で、彼を失うとかいう真っ当な恐怖でなく、彼によるこの先の告白がろくでもないだろうとピンと来ただけである。
「わかってくれたんだったらいい。ほら、敵さんに集中して。」
「やっぱり俺に死んでお詫びをしろと?ハハハ。アルゲオカントゥスの中で死んじまったら、屍も無い状態だ。俺は永遠にあなたの心に残れますね!」
「俺を挑発しても聞かないよ?ヤダよ。またなんかやらかしていた事を告白されるのは。頼むから俺が君を直に叱れる状態の時に言ってくれ。」
「叱られたくないからここで告白しようとしているのではありません。心構えの話です。ダニエラと再会した時のあなたの気持です。」
「ダニエラがどうかしたのか?」
「半日行方不明の時におっきくなっちゃったの。」
「おっきくなっちゃった?え?」
アルバートルは言い淀んでいた真実をシロロに簡単に言われた事で俺から視線を背け、口元を結んで平べったくして、いかにもしまったの顔付である。
こん畜生め。
「それで俺達夫婦から子供を取り上げていた格好になったのか。そんでもって、ダニエラの機嫌を取ってあやしていたら、こういう事態になっちゃったと。」
真正面を向いて来たアルバートルは、嘘くさい笑顔だった。
彼にしては安っぽい爽やか笑顔である。
「再会の心構えをお願いします。」
「ふざけんな!」
再びモニターが切り替わった。
画面にはアルバートルの代りに床に転がったままのシロロが映し出され、俺の赤ん坊よりも赤ん坊みたいなそぶりで面倒そうにうねった。
「僕はやっぱり陸の魔王様なんだな。クラーケンとの戦争は楽しかったのに、アルゲオカントゥスは何にもできないからぜんぜん面白くない。」
ぶつん。
強制的にモニター通信は切られた。
後に残るのは俺による俺が作った潜水艦を介しての映像だ。
俺はその映像を見ながら、本当にあの野郎は、と笑うしかなかった。
潜水艦内でのお喋りは敵艦に察知される愚行である。
アルゲオカントゥスは騒々しい金属の塊を餌と完全に見做したのか、大きく口を開けて真っ直ぐに向かって来ているのである。
俺は化け物に飲み込まれていく艦に向かって敬礼をした。
「絶対に帰ってこい。糞野郎ども。」
そうして彼らは俺が骨を拾ってやれない場所に消えていった、のだ。
俺が見通す事の出来ない、もう一つの世界に。




