脅えたいなら俺に脅えろ
路地には聖騎士の衣装を着けた数人の死体が転がり、フェールはそれらの男達が襲い掛かるのを知っていて自分が路地に引き入れた男に拘束されていた。
地面に腰を抜かしたように座りこむフェールは、自分よりも背の高い男の右手によって、顎をしっかり押さえつけられて顔の向きを固定されているのだ。
その男はフェールに自分の両目をに見つめさせるのが目的で、フェールは否応なく見つめられさせながら自分の恐怖が消えていくのを感じていた。
否、殺される事を覚悟していたが、ここで殺される事こそ自分にとっての救いだとフェールは考えていたのかもしれない。
しかし男はフェールを押さえつけるだけである。
「言う事は?」
「ご、ごめんなさい。ぼ、僕のせいです。」
「馬鹿。カッコイイです。流石団長様。だろ?」
呆気にとられたままフェールはアルバートルを見つめるしかなかった。
アルバートルはフェールを解放すると、左手に持つ銃を軽く回してから自分の懐へとフェールに見せつけるようにして片付けた。
フェールは裏切り者として殺されなかった事よりも、殺す価値も無いものとして見捨てられた事が悲しかった。
今日生き延びたとして、フェールの地獄は続くだけなのである。
「動けって言ってんだろうが。」
「あ、あの。もう一度あなたに襲いかかれと?」
「何だお前。俺をそんなに殺したいのか?」
「動けって。」
「俺が定刻通りに宿に戻らないとカイユーが暴れるだろ?面倒だろ?帰るからさっさと動けって言っているんだ。」
「僕が一緒でいいんですか?」
アルバートルは大きく溜息を吐くと、フェールを軽く蹴とばした。
フェールは尻餅をつきながら見上げると、アルバートルは世界を制圧できそうな傲慢な笑みを見せつけて来たのである。
「俺とパナシーアのどっちが怖い?」
フェールはパナシーアにされる事こそ怖かった。
それは幼い頃に虜囚にされてから、体にも心にも刻まれた恐怖である。
フェールは自然に頭を下げてしまったが、襟首を掴まれて持ち上げられた。
これから蹴り出されるだろう捕まえられた猫のようにして、フェールは自分を持ち上げた男を怖々と見返した。
海のように青い瞳は、海のように容赦なく人を殺せると語っていた。
フェールが殺気に震えると、アルバートルは物凄く悪辣な笑みを浮かべた。
「そうだ。お前は今日から俺にこそ脅えろ。どうせ脅えるならさ、最高に恰好良くて最悪な糞ったれの方にしようや。」
フェールは軽く瞼を瞑り、それから一歩を踏み出した。
次に目を開けた時、フェールの目に映る映像は数十秒前のゴーゴナンの町と何も変わらないものだったが、今のフェールには単なる瓦礫にしか見えなかった。
「大丈夫。俺は強い。今は誰よりも糞野郎のはずだし。」
フェールは呟くと、彼らの族長が待つという瓦礫の山へと、一歩、また一歩と進み始めた。
彼の口元は笑みを作り、鼻歌さえもいつのまにやら歌っていた。
「パパのお歌だ。」
「そうだよ、ダニエラ。ポリューシュカポーレ。パパの戦車は足が速い。」
今の彼の腕の中の幼児は生きている。
今の彼は幼子を守り切れるほどに強くなっているはずなのだ。
「フェール。へんなのがくっついている。」
「え?って、ひゃああ!」
フェールは自分を見下ろすや、情けない声を上げてしまっていた。
悲鳴をあげながらぴょんと飛び上った。
右肘には白いミミズのようなものが一匹貼り付いて肌の上でうねっており、足元の板らしきものにも同じような虫たちが無数に蠢いていたのだ。
うなじから出いていた触手。
一人なのに複数人の索敵結果!
「やっばい!」
彼は地面で火傷した様にしてもう一度飛び上った。
着地するやもう一度、とぴょんぴょん飛び跳ねた。
そうすれば嫌らしい虫に取りつかれる事は無いという風に。
「あの!お客人!」
「悪い!巻きでお願いしますっていうか、あそこに行けばいいんだね!」
フェールは声をあげるや、着地と一緒に魔法を唱えた。
すると、彼が足を打ち付けたところから炎が燃え上がり、真っ赤な炎のリボンとなって族長の瓦礫迄の道のりを作り上げたのである。
「お客人!何を!」
「道しるべと、消毒だ~!」
彼は足の裏が火傷しても構わない勢いで、その炎の道を駆け出していた。
族長ナグルファルの住む瓦礫はさらに危険かもしれないが、彼は取りあえずそこをゴールに決めて、後は逃げよう、それしか無かった。
敵の全容を知らないでバカ騒ぎができるのは、カイユーだけの特権である。
「俺っちは今も昔も単なる器用貧乏の普通人だもの!いやいや、カイユーさんには敵いませんよ。ええ、ええ、しっかりとフォローさせていただきますから、今日ぐらいは助けて欲しいな!」
彼は走りながら補助魔法の全身硬化を施し、目的の瓦礫の山に向かっていた。
一分かからずフェールは瓦礫の山、決して館や家とは呼びたくない、ドブネズミの作った巣のような建造物に辿り着いた。
扉だろう物はなく、破れた布、恐らく生き物の腸を開いて縫い合わせた垂れ幕が掛かっている戸口を彼は気分が悪くなりながら潜った。
「りゅみ――。」
「それ、は……止め……てくだ……さい……な。」
女の声にフェールは動きを止め、声が聞こえた方へと顔を向けた。
視界など向けるんじゃなかった、それがフェールが思った事だ。
腕に抱く幼児がそれを見ないようにと、フェールは抱き直して彼女の顔を自分の胸に押し付けた。
「ふぇーる。」
「大丈夫だから。向こうは動けない。」
そうフェールは望むだけだった。




