墓場のような町が呼ぶ記憶
フェールは片腕にダニエラを座らせるようにして抱きながら、アルゲオカントゥスの内部に住んでいるというゴーゴナンに囲まれながら歩いていた。
彼らは好意的である。
閉ざされた世界だからこそ外からの来訪者は歓迎し、誰がどんなものであろうと受け入れてきたと、最初の女は言った。
そう、最初の女、とフェールは自分の前を歩く女の背中を睨んだ。
正面はフェールが思い出したくもない過去を思い出させるぐらいに豊満な肉体だったが、後ろ向きの今はそれが嘘だったかのように痩せた背中をフェールに見せつけている。
背中には骨と皮しかないぐらいに、くっきりと骨が浮き出ているのだ。
よって、胸が大きい女性にありがちな大きな尻などもなく、骨盤が浮きすぎの美しくもなんともない後ろ姿である。
まるで乾燥した魚みたいだ。
フェールはそう思い、彼女の後姿が自分から自分の過去の記憶を振り払ってくれたと感謝すべきであるのに、嫌悪感から睨みつける事しか出来なかった。
彼女のうなじの首の付け根辺りから、ゆさゆさと蛇のような毛が大量に生えていいて、時々その蛇がフェールに触れようと蠢くのだ。
そのたびに彼は蛇の毛から紙一重でかわし、そして交わすたびにその蛇が頭の毛髪代わりの蛇と違うと確認していった。
普通は確認すれば安心を導くものだ。
だがそれを確認すればするほどに、ゴーゴナンが全くの未知のものでしかないとフェールに突きつけるだけであり、彼をさらに苛立たせた。
どうして自分にはサーチアイが無いのかと、彼は悔しく思った。
自分とダニエラを囲むゴーゴナンは、実際は六人しかいない。
フェールの索敵魔法で二十名ぐらいとフェールは認識しているのに、周囲の人間達の数と魔法結果が噛み合わないのである。
フェールはそこで、一体でありながら数体の意識を持つ魔物に何がいたのかを、今は必死に思い出そうとしていた。
ゴーゴナンは、アルゲオカントゥスに飲み込まれたデミヒューマンが他種族問わず交わって繁殖したものだと、女は最初に言っていたのだ。
だから客人は歓迎なんです。
フェールは案内人の台詞を思い出してぞっとして震えた。
化け物に餌として喰われるよりも、フェールは繁殖行為そのものを強要される事こそ我慢がならないのだ。
彼が繁殖行為を求められると考えたのには理由がある。
何しろ、彼を取り巻くゴーゴナンの外見に偽りが無ければ、全員が全員、メスであるのだ。
そこで彼は再び考えた。
逃げ道を、どれだけ暴れてどれだけ殺せるか、を。
フェールを囲んで誘導するゴーゴナン達が友好的でいられるのは、フェールが敵対しても完全にひねりつぶせる戦力があると自負しているからであろう。
また、フェールが逃げたとしても彼らにはフェールを簡単に捕まえられるということを知っているからであろう。
つまり、フェールとダニエラの生死は彼らの手の平の上であると彼らが考えてるからであり、フェールこそその状況をひっくり返さなければ生き残れない。
「ふぇーる?ぴゅるぽ戻る?」
「ダニエラ。君はこのままで。俺っちは可愛い女の子を守る騎士の方がいいな。」
幼すぎて自分の言葉の意味が半分も分かっていないはずだとフェールは思ったが、フェールが着ていたタンクトップ型のウエットスーツの上をワンピースみたいにしてきている子供は嬉しそうに笑った。
やっぱり笑顔は母親似だと彼は思いながら、フェールは彼女に笑い返した。
フェールはダニエラが竜だと知られてはいけない気がしている。
窮鼠が猫を噛めるのは猫に油断があるからだ。
敵に渡す情報は少なければ少ない方がいい。
「こちらです。」
女は足を止めてフェールに振り返った。
彼女の髪の毛の蛇は髪の毛がふわっと靡く様に蠢いたが、そのせいで腐った生き物のアンモニア臭がフェールの鼻腔を刺激した。
それでも彼が笑顔を崩さなかったのは、彼女が振り返ってくれたおかげで、フェールの前にはフェールが飛び出せる空間が出来たからである。
振り払って逃げる。
しかしフェールの笑顔は数秒しないで凍ってしまった。
ゴーゴナンの町が眼前に広がっているからだ。
暗くてはっきりと見えなくともわかる、淀んで粘液性もありそうな水を湛えた海のような世界がどこまでも続く。
その腐った海には、化け物の胃液では解けきれなかった犠牲者の骨や金属を使って作り上げた船のような無数の建造物が揺らめきながら浮かんでいる。
そしてそれらは橋のようなものが互いに掛けられて繋げられており、水面が揺らぐたびにぎしぎしと不協和音を立てていた。
「われらゴーゴナンの町にようこそ、お客人様。あちらで我らが族長、ナグルファル様がお待ちかねでございます。」
女が指さしたそこには、それらの建造物の中心だ。
そこには寺院のような丸みのある屋根を持った、水に浮かぶどれよりも大きなものが浮かんでいた。
フェールは幼児をぎゅうと抱きしめて、最初の建造物に続く道である橋に足を一歩踏み入れた。
「大丈夫。俺は強い。」
フェールはガルバントリウムの聖女パナシーアに奴隷にされた時と今の自分は違うだろと自分を奮い立たせるつもりであったのに、彼の眼前に広がる景色がパナシーアよって村を焼かれた時の光景に重なってしまっていた。
家々は燃え尽き黒い木枠や崩れたレンガだけとなり、焼き払われた田畑には作物のかわりに逃げ遅れて焼死した村人の捻じれた死体がそこいらじゅうに転がっている。
そして、フェールは聖騎士という名の大柄な男達に囲まれて、ニヤニヤと笑われながら見下ろされているのだ。
お前の抱いているそれは死んでいるよ。
フェールは笑いを含んだ男の台詞が間違っているという風に、自分が抱いているものを抱え直した。
少しでも人殺し達から隠せるように。
自分はお兄ちゃんなんだから、自分は弟を守り切らなきゃいけない。
「お前は私から逃げられると思うなよ?」
フェールはひいっと息を吐いていた。
彼の腕の中には女の生首があり、その首は嫌らしい笑みで顔を歪めた。
動け。
お前は考えすぎるから出遅れるんだ。
叱責する男の声がフェールの脳裏で閃めいた。
すると、フェールが陥っていた過去の映像が、村の惨劇から別の過去の映像へと勝手に切り替わった。




