ゴーゴナンの町に向かって
フェールは右手の小型懐中電灯が作り出している仄かな灯りの中、自分と幼い子供がいるこの世界について見回して溜息を吐いた。
化け物の大きさもわからない勢いで飲み込まれたが、彼が大量の海水や大量のサメや魚たちと一緒に吸い込まれたそこは、今ではがらんどうで無駄に大きな洞窟にしか思えない風景であった。
飲み込まれた時の水圧での圧死や溺死などにフェールが陥らなかったのは魔王が守ってくれたからだと感謝しているが、自分と幼児を残して消えてしまった魔王には苛立ちばかりである。
「一緒に飲み込まれる時に一緒にテレポートしてくれれば良かったのに。」
恨み言を呟いてみたが、フェールはシロロが素直に化け物の体内に飲み込まれた理由が何となくわかっていた。
魔王は召喚されたのだ。
恐らく、自分のようにこの化け物に飲み込まれた生存者によって。
ただし、魔王がお昼ご飯タイムだけは誰の干渉を受けないどころか、お昼ご飯を邪魔されたら邪魔したそのものを破壊しつくだろう事も知っていた。
知っている上に、自分自身に自動魔法をかけている魔王の昼飯への執着に脱力するばかりである。
フェールはもう一度周囲を見回し、シロロを呼び出したであろう生存者達の存在を探すように目を凝らした。
生存者がいるならば、自分と自分が守るべき幼子が化け物に消化される事など無いだろう、そんな淡い期待を込めて、だ。
「フェール。火、消えない?」
「消えないよ。この小さな松明は君のお父さんが作ってくれたものだもの。」
舌足らずな喋り方をした五歳くらいの幼児に対し、フェールは見下ろしてから安心させるような笑みを向けた。
フェールを仰ぎ見ていた幼児は、フェールににっこりと笑みを返した。
薄暗い中でも、母親似の幼児の可愛らしさは輝いていた。
光が足りないために幼児の髪は白髪のようにしか見えないが、フェールは幼児の肩までの髪の毛が淡い桜色である事を知っている。
自分を見上げている大きな瞳が、母親譲りというよりも伯父となる自分の上司にこそ似ているという事も知っているのだ。
フェールは無意識に彼女の顔が下を向く様に彼女の頭を撫でていた。
そう、彼女だ。
フェールは自分に言い聞かせた。
ダグドの子供の性別は竜という生命体の為か、今の時点では目に見える雌雄の証が無くてどちらなのかわからない。
それでもフェールや自分以外の隊の連中は、彼女を女の子として扱っている。
いや、女の子として取り扱うべきだと隊の連中全員が考えているのだ。
それは、隊をまとめる団長の死んだ子供が男の子だったことを隊の連中全員が知っているからかもしれない。
フェールの上司であるアルバートルは、彼女が生まれた日から見るからに酷くふさぎ込んでいるようなのだ。
「そこで団長を励ますために催した海中散歩大会だったのに、こんなことになるとはなあ。呪われてんのかな、あの人。」
これは幼児に聞こえないぐらいの小声で呟いたのだが、ぴゅるぽと呼ばれる幼子は竜だけあって耳が良いようだ。
フェールの水着の裾をひっぱって尋ね返して来たのである。
「おじちゃん。呪われている?」
「ううん。呪っているかな。ほら、君のおじちゃんは経験値稼ぎに命を懸けている人だからね。」
フェールはどうしてナイフの一本も持ち歩いていなかったかと自分を責めながら、懐中電灯を消すと幼子に手渡した。
「持っていて。で、しばらくの明かりは、ええと、リュミエール。」
フェールと幼児の頭上に丸い輝きの玉が出現し、その光の玉は懐中電灯とは違うオレンジ色に近い輝きで周囲を照らした。
魔法の灯りを作ったフェールは右手のひとさし指と中指だけを立て、その手を手刀のような形にした。
「クレイモア。」
フェールの指先がキラキラと輝きだし、輝きが消えた後にはフェールの右手には透明な赤い刃の形をした水晶片のようなものが握られていた。
「フェール、しゅっごい!」
「ありがとう。ダニエラ。でも、お兄さんがいいというまで動いちゃだめだよ。それで、お兄さんがやられたらシロロ様を召喚しよう。」
フェールはここにいるのが自分でなくエランだったら良かったのに、と幼児に対して申し訳なく思った。
魔王シロロの右腕にして第一の従者になったエランであれば、シロロから与えられている権限、魔王召喚を何の生贄も無く行う事が出来るのだ。
だがエランでない自分では、その他大勢と同じく魔王召喚には生贄が必要だ。
「やるだけやって。駄目だったら自分の命で魔王召喚か。ちょっと勇者っぽくていいかもね。俺っちにしてはカッコイイ死に方かな。」
フェールは口元に笑みを作りながら、彼のサーチ魔法によって索敵された敵が近づいてくる方角を静かに見つめた。
現在逃げ場も状況もわからないのであれば、敵と一度交戦して情報を手に入れるべきではないか。
破れかぶれの戦法かもしれないが、フェールはいつだってフェイルセーフという考えで生きてきたのだから、最悪の状況だって常に覚悟しているだろうと自分に言い聞かせた。
俺の本当の名前を知って下さい、ダグド様。
君の本心から俺を好いて欲しいからそれは聞けないね。
「もう!主従の関係が出来ていたらさあ、俺があんたに助けてって呼びかけだって出来ただろうにさ!あんのピンクの竜が!」
フェールは大声を上げていた。
そして、彼の大声にびくっと足が止まった敵に対して、彼は疾風の如き動いて迫り、敵がたった一人だと知って驚きながらも敵の細い腕をねじ上げていた。
「動くな。敵意を見せたらその場でお前の首を切り裂く。」
「あ、あたしは、漂流物を拾いに来ただけだよ!」
フェールは自分が捕らえた虜囚が上げた声は、水の中で響かせたような鈍い音に多重に聞こえるエコーがかかっているものだった。
それでもその声が女性のものだと知って、彼はびくりと震えた。
いや、女だから彼は震えたのではない。
女の頭の髪の毛が、しゅうしゅうと音を立てて蠢いているからだ。
その髪の毛は太いミミズぐらいの太さがあるという、蛇、である。
「ひゃあ!」
フェールは女を放るようにして手放すと、守らねばならない幼児の元へと飛ぶようにして戻った。
「ダニエラちゃん!逃げるよ!」
幼児を抱き上げ、フェールは駆け出そうとした。
「お待ちください!救いの神よ!」
「え?」
女はフェールに突き飛ばされたまま立ち上がるどころか地に伏せていた。
フェールが動きを止めて見守る中、女は顔をあげた。
丸い輪郭だが頬骨は高く、大きすぎる丸い目は離れている。
ダグド領のピピという名のウーパールーパー竜に似ている外見だった。
「我らはゴーゴナン。アルゲオカントゥスで生きているだけの種族です。アルゲオカントゥスが飲み込んだ生存者はすべからく我らが客人で同胞です。」
フェールは女の台詞によって完全に動きを止めた。
女がダグド領の女達が水着と言って着ているような布の少ない衣服を身に着け、その体がダグド領の美女軍団のように出るところは出ているというものだったからではない。
フェールの索敵魔法が更なる敵を彼に教えて来たのだ。
その数、二十はいた。
客人と呼ばれたならば無理に戦いを挑むことはないだろうと、フェールが判断しただけである。
「大丈夫。俺はいつだって生き抜いてきた。」
それは幼子を安心させるための呟きというよりも、自分に言い聞かせているようだな、とフェールは思った。
「この間フェールにフェイルセーフ?なんて言ってませんでした?どういう意味ですか?」
アルバートルはなんてことないように尋ねてきた。
俺とフェールの内緒ごとを聞いていたのか。
アルバートルは適当なようでも部下を一人一人大事にして気を付けているのか。
そう俺は親友の責任感や情の深さを改めて喜ばしく思いながら答えてた。
「すべては壊れる。それを想定して安全策を取ることだよ。あの子の行動はそういう所があるでしょう?」
「フェールだけに新しい武器を作るとかいう話では無いならどうでもいいです。」
「本気で鉄の棺桶で海ん沈めたくなる奴だな、お前は。」




