お前はどうしてそこにいる
俺とエレノーラの夫婦の大きなベッドの真ん中にエレノーラだけが横たわり、ベッドの脇には俺が作った保育器が置いてあった。
保育器の前には男が立っていた。
俺が作った制服でもなく、ノーラが縫ったという浴衣でもなく、この領地に来た時に着ていたガルバントリウムの聖騎士の衣装を羽織った男がいた。
「俺の城に、よくそんな敵対者の格好で入りこめたな。」
「ガルバントリウムのポータルを使いました。」
俺達に破壊されたガルバントリウムの本拠地に飛び、そこから聖騎士だった彼が知っていたポータルに飛び込んで、我が城のポータルから出現したのか。
「くそめんどうくせえことをしやがって。お前は素のまんまでもこの城に入れるのによ。わざわざ聖騎士の格好か?それは何の冗談なんだ?アルバートル。」
「これから俺はあなたに叛意を翻すからですよ。あなたの子を殺すんです。あなたの騎士のままではいられない。」
「俺はお前を永久に俺の竜騎士にしたんだけどな。」
「ははは。ごっこですね。ご存じですか?竜騎士って名乗りは、本来は竜を倒した者が名乗れる肩書きなんですよ。」
「俺のガキを、それも生まれたばかりの赤ん坊を殺しても、お前の誉れにはならないと思うがな。」
後ろ向きの男は、俺が与えたものではない、自分の相棒だと磨きに磨いて本来の長さの半分ぐらいなっている不格好な剣を、腰の鞘から引き出した。
不格好だが切れ味だけは良さそうな、彼自身だと言える鉄の剣だ。
「俺は赤ん坊殺しの男です。我が子と妻を自分の感情で見殺しにした男です。そんな男に名誉なんてもともとありませんよ。」
アルバートルは剣を掲げた。
「待て!待ってくれ!」
俺は咄嗟に右手を横に払っており、アルバートルは俺による突風を受けた。
だが、それだけだった。
俺の飛ばした空気圧の塊は、彼の体をしたたかに打ち付けたが、彼は吹き飛ばされるまま上手に床を蹴って飛び上り、壁を蹴って再び同じ場所に舞い降りるなんて神業的な動作をして見せたのである。
彼の身体能力に溜息が出るどころではない。
これが対ラスボス仕様の騎士の真髄か。
否、誰よりも小賢しい戦闘狂と言うべきか。
「馬鹿野郎が!黙って俺の風に吹き飛ばされておけ!」
「ハハハ。これだけは完遂せねばならん最後の殺しなんでね!」
アルバートルは再び剣を振り上げた。
どうして俺の子供を奴が殺す必要がある?
俺の視線はアルバートルの狂気から逃げるようにして、いや、難題が降りかかった時にいつもそうするようにしてエレノーラの方へと流れていた。
エレノーラは静かに目を閉じて眠っているだけだ。
ぴゅるぽにするなら、次の満月に目を覚ましてあげます。
ぴゅるぽにしないなら、エレノーラはそのままです。
エレママの体に響くからエレママを眠らせたの。
俺は過去のシロロの台詞を思い出し、そこでようやくはっと気がつき、自分が辿り着いた思考による恐怖のままエレノーラの所に駆け寄った。
彼女を抱き上げれば、彼女が生きているという鼓動が辛うじて生きているぐらいで、命の灯だって今にも消え入りそうだったと見る事が出来たのである。
俺はぎゅうと彼女を抱き締めた。
「エレこそ命が尽きかけようとしていたのか!どうして俺は目を背けていた!」
「ぴゅるぽだったら、エレママは大丈夫だったの。でも、竜だった。エレママの命を吸い取って産声をあげる竜だったの。」
「だからぴゅるぽにして、エレノーラに命を返す?と。」
俺はそれではアルバートルが子供を殺す意味が分からないと、彼の後姿を見つめていると、剣を持ち上げたままの彼はその剣を一度床に振り下ろした。
「くそ。あくどい竜ですよ。あくどいガキだ。殺されるのが分かっているから、人間の赤ん坊の姿のまま俺を見つめていやがる。きっと俺の子も同じ目の色だったと思うような、真っ青な瞳で見つめていやがるよ。」
「アルバートル。」
「ダグド様。決めてください。この赤ん坊竜を殺せば、妹から吸い取った命は妹に還ります。いや、俺の妹こそを思い切って下さい。あいつは自分の子供が作り替えられるぐらいなら自分が死んだっていいと思うはずだ。あいつがあんたに子供を残したかったのは、竜の子供ならば永遠の命を持ってあんたに寄り添っていけるからだ。だけど、あんたは妹が死んだら、この領地ごと滅んじまうつもりだろう?それじゃあ、妹の想いはどこに行くんですよ。」
アルバートルが必死に動いていたのは、俺が滅びの道を選ぶからだということなのか。
エレノーラしかいない俺が、エレノーラの死でこの世界を放棄すると、彼はわかっていたからこそ甥か姪を殺そうとしていたという事か。
俺はエレノーラを手放してベッドから立ち上がり、ふらふらと我が子の眠る保育器にまで歩いて行った。
そこで見たものは、アルバートルが言った通りに、人間の赤ん坊そのものの姿をした我が子だった。
保育器に入れた数時間で、彼?彼女?は、ほんの少しだけ成長していた。
何もなかった頭部に真っ黒な髪が生え、目鼻立ちがエレノーラに似ているとわかる顔立ちになった目元には、真っ黒なまつ毛がふさふさと茂っている。
なんてエレノーラ譲りの美しさを持つ赤ん坊だろうか。
そして俺をじっと見つめるのが、エレノーラと同じ青い瞳だった。
空を自由に飛べない黒竜が望む、青い青い空の色だ。
「君が殺せるわけはないな。俺こそ殺せやしない。そして俺の可愛い子供だ。エレノーラの可愛い子供だ。エレノーラが命尽きるとしても、その前にこの子を抱かせてやりたい。」
俺は保育器のふたを開け、中の子供に手を差し伸べた。
俺がそこに入れた時よりもほんの少し体重が増えた子は、俺の手が自分に触れたそこで、真っ青だった人間の瞳を竜の目玉に変え、俺の手を焼きつかせようと炎を纏ったのである。
「大人しくしな。俺はお前の父親なんだよ?」




