〇肉〇食の世界から逃げ出すために
アリッサを連れ去られた俺はかなり混乱を極めたが、俺もイヴォアールもアルバートルをまだよく知ってはいなかった。
いや、知っていて見誤ったのだ。
人情味のある俺達は、あいつを良い方に解釈してしまっただけだ。
畜生!
あいつはただのろくでなしだって、付き合いの長い俺達はよく知っていたはずじゃないか。
全く、俺よりも付き合いの長いイヴォアールこそ、何を勘違いしているのだ。
何が、女の人を猫と揶揄する、だと?
アリバートルが撃ち方を止めてアリッサを担いで洞窟に逃げたのは、第三の敵、洞窟周りにグールを導いた奴らが参戦してきたからでしかなかった。
あいつこそ危険察知能力が猫並みに高い男じゃないか。
何も知らない俺は、意識だけだったが、娘を心配しながらもイヴォアールを見捨てられずに洞窟前で右往左往し、イヴォアールは、アリッサの身に何かが起きれば自分と新妻の仲を台無しにされると脅え、一分一秒でも早く自分の親友を咎められるようにとグールに対して猛攻を仕掛けた。
俺はさっさと意識をダグド領に戻し、イヴォアールだってグールに奮闘などせずに洞窟の中に引っ込めば良かったものを。
まず、けたたましい鳥のようなざわめきが頭上の木々から起きた。
次に、イヴォアールが切り裂いたばかりの敵の死骸が、緑色の影によって彼の目の前から消えさったのである。
既に切り倒されていた死骸も、奴らによって次々と拾い上げられ、奴らの小さな手に抱えられた肉片が木の幹に次々と引っ掛けられていった。
「ろろろ。めぎゅされ。にゃくにゃく。にゃくにゃく。」
「にゅくにゃく。めぎゅされ。めぎゅされ。」
「……何と言っているのです?ダグド様?」
「俺が分かるわけ無いだろ?」
分かるわけ無いが、アルバートルがヤクルスの雌達に口説かれていた時に聞いた言葉なら思い出せる。
――ろろろが肉を狩ってきたら来たら焼肉にしましょう、お兄さん。
だからあいつは適当な所で逃げたんだ。
凄い銃を使ったのは、ただ単に凄い銃を試射したかっただけなのだ。
そして、この島のどこかでダラダラしていたグールが急に襲ってきたのは、自分達に襲いかかって自分達の肉を奪った生き物を、純粋に追いかけて来ただけだという事だ。
人がグールになってからは、時間が経つごとに生前の思考力など消えていき、受けた呪いの命令通りに動くか、本能の「食う」に従って動くしかないものとなるのである。
「おもてなし精神って、ありがた迷惑な事が多いよね。」
「ダグド様?」
「俺はここにいない。君が頑張って。」
「ダグド様?」
「ダグド様?お肉あげます。一緒に食べましょうよ。」
太い幹の上に立った長老らしき安彦が、腐ったグールの肉を両手に掲げ、俺はいないが俺の意識の目線ドンピシャにその顔を嬉しそうに歪めてみせた。
逃げ切れなかったと臍を噛んだ俺は、現代人らしい逃げ方をする事にした。
「すいません。俺は妻が二つ身になるまで絶食中なんです。」
安彦はなぜか残念そうな顔をして見せた後、イヴォアールに微笑んだ。
「そちらの方、食べる。お客人、いいね?」
真面目なイヴォアールは、顔からは血の気を失わせて真っ青になっている癖に、それでもヤクルスに対して引き攣った笑みを返した。
「あなた食べる。いいね?」
凄い、イヴォアールは安彦に頷こうと頭を動かし始めたのだ。
彼はダグド領の代表として、グールの肉を食べようと覚悟を決めたのか?
俺は真面目過ぎる男に白旗を上げた。
「すいません。そいつは俺の息子で、俺が絶食している限り肉が食べられない縛りを受けているんです。あなた方の好意を受けられない無作法のお詫びに、あなた方が希望する場所に大き目の家を建てましょう。それでいいですか?」
皺だらけのヤクルスは、安彦の顔であることが分からなくなるぐらいに顔を歪め、さらにさらに皺くちゃな顔にして見せた。
シロロがヤクルスの対処を「殲滅。」と即答した意味が身に染みたと感じながら、思い出の人の顔をした奴らに弱いのは仕方がないと自分を慰めた。
そして、自分の息子をちらっと見ると、イヴォアールは俺に剣を掲げる騎士の礼をして見せた後に、親友をぶちのめしに洞窟へと走り込んでいった。
「っとに、アルバートルはって、おや?」
洞窟を見返すや否や、シロロの見ているものとアルバートルの百鬼眼映像が俺の意識に飛び込んで来たのである。
なんとまあ。
俺がこんな不甲斐無い父をしている一方、我が息子の魔王様はちゃくちゃくと目的地へと進んでいらっしゃったようだ。




