イグナンテスの秘密の部屋
シロロとエランは目的の地に到達した。
シロロはエランの言葉によって自分を取り戻すや、自分を惑わせていた幻術そのものを目的地へと誘う目印の綱としたのである。
木の葉を隠すには森の木の葉の中に。
その通りに、イグナンテスの隠し部屋は三階の図書館にあったのである。
その他大勢が行き交う場所だからこそ、そこに隠し部屋など作らないであろう、という灯台下暗しだ。
教皇様が地下に毎晩降りて行けば良からぬ噂になるが、誰もが閲覧できる図書館の、それまた稀覯本を収めた権限者しか入れない鍵のかかる閲覧室に毎日訪れる行為ならば、それは勤勉としか受け取られない。
さらに、教皇様が訪れる時間がいつも正確ならば、教皇様の邪魔にならないようにと、下々の者達が敢えて図書館に近づかないでくれるという人払いも出来るのだ。
シロロは閲覧室の扉を壊し、中に飛び込み、そして、棚を蹴倒して隠し扉を簡単に見つけ出した。
「僕は一度バラバラになったんだ!ここには僕の破片があるはずなんだ!」
そう叫んでいたかはわからない。
俺が解るのは、シロロ達が閲覧室の隠し扉を破って中に飛び込んだそれからだけだ。
シロロは隠し部屋にあったイグナンテスの隠していたものを見つけ、絶望で自分を隠していた魔法干渉の解除をしてしまったのである。
俺はそれで彼らの行動が再び見通せ、そして、見通せて良かったと安堵の吐息を吐いた。
俺はシロロという子供の絶望に立ち会えたのだ。
イグナンテスの隠し部屋には様々な人体の一部が標本となっている瓶が飾られているが、一つだけ金魚鉢のようになった標本瓶が祭壇のようにしつらえた机の上に飾られて目を引くという状態だ。
目を引くだろう。
シロロの生首の標本だ。
いや、シロロがもう少し成長したぐらいの顔立ちだろうか。
しかし、その悪趣味なものは美しいがオブジェでしかなかった。
それは確実に死んでいる。
シロロの絶望は、自分の首が挿げ替えられたもの、という思考によるものに違いない。
――これが僕、本当の僕。
あの獣の首に納まる脳みそによって今のシロロが作られた、か?
「シロロ。お前は人体錬成の時、死体の脳みそはどうやって作っているんだ?他の生き物の脳みそを持ってくるのか?」
彼はゆっくりと俺がそこにいるかのようにして振り返り、真っ黒く絶望していた瞳を星空のように輝かせ始めた。
「違います!いちから作ります。そこに魂を入れての再構築です!ああ、そうか、僕は粉々になった自分をそうやって作ったのですね!でも、獣の顔は。」
「エラン。君の意見はどうかな。」
過去のシロロの生首に驚くでもなく、静かに見つめていただけの男は、やはりシロロと同じように俺に振り返った。
「君はどう思うのかな。」
「聞いていてご存じでしょう。人の美しさは外見にはありません。外見などいくらでも変えられ、いくらでも人の望む姿を与えられるものです。」
「君が与えたあの姿か?」
「いいえ。シロロ様が自分を卑下し、自分に脅えてあの姿になられたのです。恐らく、この過去の頭部が生み出す瘴気で一度死んだ自分を思い出されでもしたのでしょう。」
「君は素晴らしい司祭様だよ。神の存在を信じすぎるために、腐った世界を魔王を使って滅ぼそうとまで考える。」
「使うなど、そんな厭らしい事は考えていません。望んでいるだけです。自分の欲望でこの世界を壊したら、それはイグナンテスと同じです。純粋に、神のようにしてこの腐った世界を破壊して下さらねば、そこに人の再生は起きえない。」
「でもね、俺は必要以上の死は望んでいないんだ。そんな殺戮をシロロにさせたいとも思っていない。シロロ、帰っておいで。アルバートル達を連れてね。エランは俺がダグド領に戻すから心配いらない。」
シロロは俺とエランを交互に見やり、俺の言う通りにアルバートル達はダグド領に送還してくれた。
けれど、彼は自分がそこから帰ろうともしない。
「シロロ?」
「お父さま。エランを置いていけない。」
なぜイグナンテスは、教会の人々を掌握出来るほどの力を持ちえたのか。
エランはシロロの頭部が入っているガラス瓶を抱き上げた。
それは死んでいても、魔王の遺骸なのだ。
これはシロロが失った魔王の力が封じ込められているに違いない、魔道具ともいえるガラス瓶なのである。
「エラン?僕達は一緒だよね。僕はエランがしたいことなら――。」
「いいえ。あなたが俺の為に何かをするという事は、そこに俺の欲望を包括してしまうという事です。純粋な粛正にならない。」
「エラン?」
「帰りましょう。俺もダグド様と同じ気持ちなのです。人を殺したくないからイグナンテスの死を、腐った教会の粛清を望みましたが、何も知らない信者達の命を失う事などしたくはありません。彼等は毎日神に祈りを捧げ、神に感謝の言葉を述べ、神の国を良きものにしようと良き行いを心掛ける人々です。ええ、純粋な愛すべき人々なのです。」
「エラン。」
「先にお帰り下さい。俺はやるべきことをやります。」
「だって、エラン!」
「帰っておいで、シロロ。エランはその瓶を割るつもりだ。つまり、お前の力の開放だ。俺はお前がどんな姿になろうと大事な子供として抱きしめていたい。帰って来てくれ。」
シロロは大きく鼻をすすると、俺がいる会議室、アルバートル達の詰所に戻ってきた。
シロロによって戻されたアルバートル隊は俺の周りで静かに控え、俺達の会話をモニターを見ながら聞いていた。
だから、誰一人として戻ってきたシロロと俺の邂逅を邪魔する者はいない。
シロロは俺に両手を伸ばした。
真っ白の髪に真っ白の肌は人であれば気味の悪いものだろうが、魔王である彼には美しく純粋無垢な証でしかない。
涙をためた真っ黒な瞳は俺を真っ直ぐに見つめ、俺は彼の今の姿を心に残るようにしっかりと見つめ、そして、彼を失ってはいけない子供として抱きしめた。
「さあ、エラン!やってくれ!シロロの力が他の馬鹿者に二度と使われるなんてことの無いように、その瓶を割ってくれ!」
俺は強く強くいとし子を抱き締めた。




