妻と夫
リリアナは気に障ることをされると、その相手にしっかりと嫌がらせが出来るという、立派な独り立ちをした女性だ。
そして彼女は魔王様には先生と崇められて慕われており、俺はあの純粋な魔王様がリリアナの甘言に乗ればどんな行動を取るのか考えるだけで怖いと脅えた。
そこで臆病な俺は大きく舌打ちをさせるとまず自分の妻の所に戻り、ぐっすりと眠っている妻をゆさゆさと揺すって起こす事にしたのである。
しかし、夫婦の部屋のベッドには空から落ちた女神が転がっていた。
月の光を浴びた妻の髪は金色に輝いて美しく、陽の光の下では本人が浅黒いと悩む肌だって月夜の明りでは青白く、大理石でできたアフロディーテの像を彷彿とさせる美しさだった。
「俺のガラテア。」
彼女の寝姿は胎児のように横になって丸まっているが、そのような格好なのは妊娠して膨らんだ腹が彼女を圧迫してきたからだ。
起こそうと思って寝室を尋ねてきたにもかかわらず、俺は彼女を起こしたくはないと彼女をそっと持ち上げて柔らかなクッションを彼女の下に押し込んだ。
少しでも支えがあれば彼女が楽になるかもと、その場しのぎの俺の浅はかな考えでしかないが、ゆっくりと下に降ろされた彼女の寝顔が安らかにも見えて俺は彼女の寝顔にほっと溜息を吐いた。
涙もぽたりと彼女の頬に落ちて、俺は慌ててしまったが。
子供を産んだことがある領民に聞けば、妻の腹は五か月半という月数の割には少し大きすぎるという事なのだ。
ただでさえ相手が竜という尋常でない妊娠であるため、俺は彼女の姿を見るたびにびくびくと脅える様になっている。
そういえば最近は彼女と会話をどれだけしただろうかと、眠る彼女の手を両手で握って涙をまた一つ零した。
「ああ、怖い。君がいなくなってしまう事が一番怖い。赤ん坊など出来ない方が良かったと考えてしまう自分が嫌だ。ああ、君がいなくなってしまったら俺はどうなってしまうのだろう。」
ベッドの脇にしゃがみ込み、彼女の横にありたいとベッドに頭だけでも乗せ上げると、彼女の腹から太鼓を打ち鳴らすような心臓の音が聞こえた。
雷鳴のように俺に響き、俺は自分の子供という存在を初めて受け取ったと完全にその音に感動して痺れ切っていた。
そのうちに俺は自分が無意識に右手を伸ばしており、エレノーラの腹を撫でていたという事に気が付く有様だ。
「お前は力強い子だね。ぜったいにお母さんを守るんだよ。」
俺は左手で掴んでいたエレノーラの手の甲にキスをすると立ち上がり、それから彼女達の安寧を守るための仕事に戻ることにした。
アルバートル達が戦闘を始めるまであと少しだ。
「あなた?」
俺の足は止まり、俺は後ろを振り返った。
エレノーラは起き上がって俺を見つめて微笑んでおり、俺は彼女の美しい笑顔に頭がぼうっとなった。
「あなた?どちらに行かれるの?私で役に立つことがあるのかしら。」
君の笑顔で俺は全てが報われた、とか俺は言って妻を横にさせるべきだろうが、エレノーラがこの領地にやって来てから十四年間、俺に染み付いた習性は抜けないようだ。
「ごめん。アルバートルに頼まれて、えと、あのさ、起きたのだったらリリアナを起こすの手伝ってくれる?」
エレノーラはうふっと素晴らしい笑顔を俺に見せると、さっさと横になって寝直し始めた。
「え、どうして!起きて!エレ!お願いだよ!助けて!」
俺は大事にしなければいけないはずの身重な妻をゆさゆさと揺さぶっていた。




