ずっとベイビーでいたいから
迎賓館のダイニングテーブルには俺とシロロとノーラ、そしてエンプーサが仲良く囲み、まあ、エンプーサには感情の一つも見えないが、必死に生肉を齧っている姿は、……やっぱりなぜか可愛いと少しも思えなかった。
にろにろ姉妹でさえ食事中や寝ている時の姿は可愛いと感じることだってあるのにと、絶対に可愛い魔王様を見返した。
魔王様は世界が滅んでも構わない位の笑顔であり、彼はノーラが作ってくれた軽食という名の重い食事に舌鼓を打っていた。
…………。
午前中の朝ご飯が終わったばかりの時間でありながら、分厚いステーキとは、別の意味で可愛くない子供だ。
「君がいてくれて助かったよ。エンプーサをどう扱ってよいか見当もつかなかったからね。」
「飼い主はどうしたのですか?」
「走って逃げた。」
「まあ!こんなに可愛い女の子なのにね。」
ノーラはエンプーサの頭を撫でようと手を差し出したが、エンプーサはフシャアアという威嚇音を無表情のまま体のどこかから出した。
「ノーラ、怪我をするかもしれないから気を付けて。ねえ、シロロ、エンプーサの習性についてもう少し詳しく教えてくれないかな?」
「え?ただの虫ですよ、食べて子供産んでってだけの虫です。……あ、そうか。常にご飯が食べれる状況で成長したから、この子は子供の姿のままなんですね。この姿の方がご飯が貰えるならって。そうかあ。」
シロロは謎は全て解けたという顔で料理の皿に戻ったが、俺はこのエンプーサの寿命や行動や危険性を知りたいんだよ、と、シロロのつむじにテレパシーをぶつけるしか出来なかった。
前半で死ぬ予定の黒竜の脳みそに後半の魔物データなど記憶に無いし、俺こそエンプーサなど魔族をデザイン設定した覚えはない。
キメラ族だって知らないのにいた種族なんだ!
ああ、勝手にネオテニー化したサキュバス系の魔物を、俺はこれからどうやって育てるべきなのだろうか。
「あれ、ダグド様。まだこちらに。」
台所の戸口で驚いた声を出して俺に挨拶した男の声には、言外にしまったという響きがあった。
「あ、お帰り、お父さん。当り前でしょう。保護者に娘を返すまで帰れないでしょう。」
「ちょっと、誰がお父さんですか。それよりも、彼女がエンプーサというサキュバスなのでしたら、尚更の事この館には置いておけませんよ。この館は性欲の有り余っている若い男だらけです。未婚の女性には危険でしょう。」
どんな戦況でも結果を出して来た男は、こともなげに言い切ったそのまま空いている椅子に滑り込むようにして座った。
そして良いよという前にテーブルの真ん中に置かれているポットを自分に引き寄せ、偉そうに右の眉毛を軽く動かしたのである。
すると、タンと音を立ててアルバートルの前にカップが置かれた。
彼は当たり前のようにしてそのカップにお茶を注いでいる!
俺が何を言うつもりだったのか忘れる程の連携で、俺とエレノーラよりも夫婦みたいだと思ってしまったぐらいである。
え、ノーラとアルバートルって、ええ?
しかし、ノーラはノーラだっただけのようだ。
普通にお茶が飲みたい人にカップを出しただけであり、彼女は言いたい事をずけずけとアルバートルに言い放ったのだ。
「未婚の女性には危険な場所?さんっざん私をここに呼びつけているあなたが何を言っているのよ。」
「だから俺はお前に口が酸っぱくなるくらいに言っているだろ。恋人でもない男の誘いにホイホイ乗るなって。」
ばあんとテーブルの天板はノーラの両手で打ち付けられて大きな音を響かせ、ノーラは天板に両手を打ち付けて立ち上がった姿のまま、アルバートルに対して身を乗り出した。
「だから!あんたが私を呼びつけてんでしょうが!どの口が言うの!」
アルバートルは座ったままだが、彼もノーラに対して身を乗り出した。
「はっははあ。お前には断るって選択肢もあるだろう。」
ノーラがぎりっと奥歯を噛みしめたのはわかった。
「わかった。もう断る!呼ばれても来ないから!」
アルバートルはノーラに対して身を乗り出したままだが、彼はノーラの返答を聞くや挑発的どころかカイユーがノーラを見上げるような笑顔に表情を変えた。
「でもさあ、俺はお前を呼んじゃうんだよね。団員がさあ、お前の美味しい飯もお前が洗ってくれたシーツも嬉しいと喜んでいる姿を見るとねぇ。ついさ、いいだろ、俺にはこんな可愛い妹ができたんだよって、あいつらに自慢するために呼びたくなるのよ。」
頬を真っ赤に染めたノーラはすとんと椅子に座り直し、もじもじした感じで、皆は何が食べたいって言っているの、なんて聞き返しているではないか!
俺はアルバートルになりたいと久しぶりに思ってしまった。
こいつのこの口先が俺にもあれば!
「きゃあ!」
俺はノーラの悲鳴で物思いから引き戻され、ノーラの脅えた目線を追えば、なんと、エンプーサがノーラの姿に化けていた。
アッシュブラウンのさらさらとした真っ直ぐな髪に、緑がかった琥珀色の美しい瞳という、深い森の中で出会いたい春の女神のような美女がもう一人出現していたのだが、ただし、ノーラにはない大きな胸がある代わりにノーラにあるはずの親近感などが消えている、という姿であった。
「うっそ、マジかよ。」
いつの世も、男が困った時の台詞は同じであるようだ。




