病は気から鼠から
高熱で殆ど意識のないフェールを迎賓館に運び入れると、彼を受け取ってくれたのは物凄い大柄の美女であった。
桜色の地色にシャクヤクや蝶々がプリントされているという柄の丹前で、金色の髪の毛を今日のリリアナのように玉ねぎのように大きくきっちりと結っている。
「ティターヌ、すごく似合うな。そして、柄物の布地はどこで手に入れた。」
大柄でそこらの女性よりも輝いて美しい男は、本来の内面に戻れたというように琥珀色の瞳を金色に輝かせて幸せそうな様子で俺に微笑んだ。
その笑顔はうっとりするほどに美しく、俺は彼に好きなものを着れば良いと言った甲斐があったと感じた。
「素敵でしょう。アリッサが作ってくれました。あの子は領民の希望を聞くや、せっせとハンコを作っては布地にペタペタと絵柄を押しています。今は、ふふ、フェールのトンボ柄を再現しようと頑張っています。この子はそれで罪悪感で潰れそうだったのでしょうね。」
「罪悪感?」
「パナシーアの鼠だったという過去。あら、違いましたか?俺はズッソの生首を台所のゴミ箱で見つけたから、てっきり。」
「え、生ごみ?」
「捨てたのはイヴォアールでしょうね。彼は汚れ物が我慢できない人だから。」
こいつらはあの生首を生ごみ用のコンポストに入れてお終いなのかと、俺の領土にそんな肥料が撒かれたら嫌だなと、その先を考えたくなくなった。
生ごみ塗れの生首を俺が城の焼却炉に持っていく羽目になるのかと、どうして見せてすぐに俺が処分しなかったのかと、今は自分を責めたく無いではないか。
俺はティターヌの手からフェールを奪い取ると、何も聞かなかった事にしてフェールを横にするために上階の一番大きな寝室の隣の部屋に向かった。
アルバートルは一番小さな一階の部屋で寝泊まりしており、二階にある二つの寝室は主寝室であった大きい方がアルバートルが撃ち殺されかけた部屋だ。
今は野郎二人が雑魚寝できるようにと、クイーンサイズのベッドをシングルの二台に交換して二人部屋に作り替えてある。
そっちの相部屋の方にフェールがぶち込まれているのかと思っていたが、好き勝ってやっている割には気配りもある団長のせいか、イヴォアールとティターヌが同室で、フェールはその隣の部屋に一人という配置であった。
「一番の下っ端だからこそ、気兼ねしないで休める様にって君達の優しさか。」
「見張り台から他の子が戻ってきたら、全員をそこの部屋に気兼ねなくぶち込みます。下っ端連中が文句を付けれるわけありません。」
「君達は!ベッドも足りないこの部屋に三人も押し込むつもりか!」
俺はフェールをベッドに横たえ、それから彼の部屋を見回した。
この領地に来るまで前線を渡り歩くだけの流れ者だった彼らには、当たり前だが彼等の物と言える持ち物が武器以外に無いに等しい。
しかし、ここに落ち着くことによって彼らは彼ら好みの物を自分のスペースに飾るようにもなっており、俺はフェールが大事だと考えて飾る物について悲しさが込み上げていた。
ベッドサイドのテーブルに稲の穂が、ほとんど米も落ちてしまったその残骸が、紺色のビロードの上に金貨か宝石のようにして置かれているのである。
「この子も辛い事で一杯だったんだね。」
「団長はそれを見てフェールを追い出せなくなりましたから、彼の策略かもしれませんけれどね。」
「そうなんだ。」
「ええ、突然カイユーの友達ですって宿屋に現れた剣騎士を、俺達が手放しで受け入れるはずないじゃないですか。一応は全部剥いて、尋問ぐらいはしますよ。でも、ええ、団長は持ち物検査の途中でその穂を見つけて、それも自分で壊しちゃったからとそのビロードの布に纏めて彼に返したんです。尋問もせずにそこで終わり。」
「あいつは、フェールが裏切ったそこで自分で殺る覚悟を決めていたんだろうな。なんでも背負い過ぎだよ、いつもあいつは。」
ふふふ、とティターヌは笑った。
買い被りですよ、とも。
「この子は普通に裏切らないってわかりましたよ。団長からビロードの布に包んだ穂を受け取った時のフェールが顔に浮かべた表情でね。カイユーよりも子供じみた顔つきをしたんですよ。いいの?っていうような。」
彼は笑いながらフェールの額に手をやって熱を確かめてから、フェールの顎のあたりを軽く押した。
「ああ、腫れている。人に強く染る風邪でなければいいけれど。あれは人死にが出ることもありますから。」
俺はインフルエンザの事だと受け止めたのだが、その数秒後、中世の人殺し病の名前の方が頭に強く浮かんだだけでなく、頭の中でけたたましくアラームを喚き出したのだ。
ズッソは小型の動物にもなれるシェイプシフターだ。
鼠に化けたら?
鼠が媒介する中世のヨーロッパ人口を半分近くに減らした病気は?
黒死病。
俺はフェールの布団を剥ぐと彼の服までも全部剥いだ。
そして鼠か何かに噛まれた傷は無いか、黒くなっている所がないかと確認していったのだが、フェールの身体は無傷であり、俺はほっと胸を撫で下ろした。
「寒い。ダグド様ったら、えっち。」
「煩い。喋れる元気があるなら答えてくれ。君は変な動物にかまれたり、変な食べ物を口にしてはいないだろうね。」
「あ、ノーラのピザを食べたばかりです。」
「バカ野郎。」
俺は自分の藍染の浴衣と数枚のタオルを呼び出すと、裸にしたフェールに浴衣を着せ付けて背中や胸部分にはタオルを入れ込んだ。
汗をかいた時はタオルを交換するだけでいいからだ。
「あ、俺にも丹前?」
「浴衣っていうんだ。寝間着にはいいからね。」
彼は嬉しそうに微笑んで俺に見せたが、すぐに意識が遠のくようにしてすぃっと眠り込んだ。
「ダグド様?変な動物って。」
「ああ、すまない。俺は人間の病で怖いものを思い浮かべてしまってね。」
「鼠による死を招く病ですね。」
「ああ。君も知っていたか。」
「ええ。そんな刑がありました。わざと鼠に噛みつかせて、その人間に罪があるかないか判定していましたよ、教会は。病死した死体を喰わせた鼠が病気を持っていないわけが無いだろうに。何が公平な神の裁きですか!」
「ああ、そうだね。フェールがとっても教会の事を嫌っていたのも暗部を知っていたからだろうね。フェールの看病を頼んでいいかな。それで、ちょっとでも異常があったら俺に教えて欲しい。」
「彼の病は普通の病では無いとお考えで?」
「いや。慎重にってだけ。ズッソというパナシーアの刺客を俺は領内に入れているのに気が付かなかったんだ。」
「本当に入り込んだのでしょうか。侵入する直前でシロロ様に仕留められただけではないのですか?」
「え?だって、シェーラの行動は奴らが彼女を追いこんだからで。」
「連絡は鳥を使う方が簡単ではありませんか?」
俺は両手で顔を覆った。
俺の頭の中で鳩がくるっぽーと俺を馬鹿にしたようにさえずった。
なんて間抜けな領主なんだと、生ごみ塗れの生首を今すぐ城に持ち帰ってしっかりと反省をしなければ!




