不信と不安と不条理
「ああ、アール。」
「愛している。美しい人。」
娘を守るつもりの覗き見だったにもかかわらず、娘の痴態を知るだけの覗き見になったと、俺は苦い気持ちに襲われるだけだった。
俺の目の前で、ノーラはアールの手に完全に身を任しているのだ。
アールは自分の手によるマッサージで言葉通りに完全に手中に収めたノーラを我が物顔で後ろから抱き締めて、そして自分の印をつける様にして彼女のうなじにそっと唇を寄せた。
「うわ!」
唇がうなじに触れた途端にノーラはびくりと頭を上げ、その頭はアールの鼻を直撃していたが、俺はアールをざまあ見ろと思うよりもノーラの表情の変化に驚かされていた。
なんと、数秒前までの男の愛撫を誘うような気怠そうなぞっとする色気が消え、代わりに俺の大好きないつもの清廉なノーラに戻っているのだ。
「なに、何が起きたの!私はあなたを恋人といつの間にか思い込んでいた!ねぇ、あなたは私に一体何をしたの!」
ノーラが今回口にした「あなた」には普通の一般的な呼びかけの「あなた」しかなく、俺はノーラの口調に安心しながらもアールを殺してやりたい気持ちで画面を食い入るようにして見つめて耳を澄ました。
「君は誰の口づけを受けていたんだ!」
「そんなことは良いのよ!」
彼等の諍いの言い合いの結果で分かった事だが、呪印を受けている女性であれば、呪印をかけた相手の事を考えさせながら何かに集中させることで、心までも掌握できるということだったらしい。
呪印を受けた女性が想い人としたキスと同じキスをすることができるのならば、であるが。
俺はノーラがアールの魔の手から逃れられた事にはほっとしていたが、新たな情報に心がゆらゆらと揺れていたのは言うまでもない。
「誰にうなじなんかにキスされていたの!」
「あ、俺です。アールを脅しつける必要がありましたのでね。」
ふふんという風にアルバートルは俺に報告してきたが、散々に報告するべきところをしなかった男に対して俺は不信感しか抱かなかった。
呪印を知っていた癖に俺に報告をしなかったんだ、と。




