家族
俺は舞台でシロロがぴょこぴょこ踊る姿を眺めながら、横に座るエレノーラの手を握っていた。
前世でもしも俺が結婚していて、それで出来た子供が幼稚園児になったら、きっとこんな風にして妻と子供の発表会を見に行く事になったのだろうと考えながら、俺は自分の今の幸せを噛みしめていた。
「リリアナはバルマン達にまでこれを躍らせようとしたのか。あの子は時々凄い事をしようとするよね。」
「ふふ。そのおかげでバルマン達はダグド領を出ていくと言えるきっかけを得たのよ。彼等はここに居座るつもりは最初から無いし、庇護される事こそ侮辱的に感じていたのだもの。」
「そうだったね。」
シロロによって再生されたバルマン達であったが、肉が足りないとのことで十歳ぐらいの少年の姿であったのだが、それでもグールでない死ぬことができる体だと彼等は喜び、喜んだ彼等がお礼に何をしましょうかと俺達に申し出た。
そこで、なんと、リリアナが自分の音楽発表会に参加して欲しいと言い出したのである。
「シロちゃんと一緒に踊る相手が欲しかったの!」
半世紀ほど仲間を守りながら生きてきた族長は、全てを知っている賢者の顔でリリアナや俺に失礼が無いように丁寧に辞退し、その上、すぐにでもダグド領を去って故郷に帰りたいとまで言い切った。
まあ、ウサギの着ぐるみ姿の魔王を目にすれば、誰だって尻込みするよな。
「グールでは無い、健康な元の身体を頂けたのです。俺達は俺達を蘇生したばっかりに死ぬこととなった家族がいた村を守り、発展させ、そしてそこで土に還りたいと望んでいます。」
俺は娘達が彼等の服を作っているからと、服が仕上がるまでの彼等の滞在を勧めたところ、彼らは寄せ集めで無理矢理に着ている互いの服を見あってから、そこは願ったりですと俺に頭を下げた。
「シェーラは大丈夫かな。」
この音楽会が終われば、バルマン達はこのままこの地を去るのだ。
「ミアがバルマンと出て行った後は、少しは落ち着くと思うわ。ミアはシェーラに世話をされる事こそプライドが許さないみたいで、シェーラにはひどく当たっていたから。」
「そう。君は大丈夫なのかな。」
俺はエレノーラと繋ぐ手に力を込めた。
ここ数日のエレノーラはシロロが自動テレポートする前に俺のベッドから消えていて、結婚前の時のように俺に朝食を作るようになっているのだ。
「君は食べているの?果物ジュースしか最近は飲んでいないでしょう。」
俺の手はエレノーラに強く握り返された。
「ふふ。私の様子に気付いていらしたのね。ええ、そう。最近むかむかして朝まで眠っていられなくなったの。」
俺の隣はそんなに嫌になったのだろうか。
確かに、大きなベッドで一人で眠りたくなる気持ちはわかる。
エレノーラの長い足が俺の腹にドカンと乗って夜中に起こされたりすると、俺だって一人で眠りたいと思うのだから。
「そうか。ゆっくり君が眠れるように、隣の部屋の壁を取っ払って、そこを君用の寝室に作り替えようか。あの、俺が嫌になった時に君が逃げ込めたりも出来るし。」
俺の手からエレノーラの手がするりと引き抜かれ、物凄く強くばしんと手の甲を叩かれた。
周囲にいた人間どころか舞台のシロロまで、真ん丸な目をして俺達に注目の視線を向けている!
俺達は周囲に何でもないという笑顔を作って見せ、シロロには両手で最高だという風にジャスチャーをして見せて踊りを続けることを促し、そして俺達は再び座り直して手を握り合った。
「ごめんなさい。俺は馬鹿だから。まあ、エランほど鈍感では無いと思うけど、君を怒らせたのなら教えて欲しい。」
「もう!あなたは簡単に謝りすぎよ。兄なんか、自分が悪くったって絶対に謝らないじゃない。嘘ばっかりの男だし。シェーラに聞いたわ。あいつブランデーを隠し持っているみたいね。私はあいつに渡さないようにしているのに!全く、領民の誰を誑かして奪い取ったのかしら。」
ダグド領に来るまでブランデーを飲んだ事の無かったアルバートルは、エレノーラ達の屋敷でブランデーを見つけただけでなく、水あめのツボを空にしてしまった昔話の小坊主のようにブランデー一瓶を空にしてしまったのだ。
酔っぱらった彼の醜態はエレノーラには思い出したくない過去どころか再び経験したくないと、彼女はアルバートルにはブランデー禁止法を打ち立てた。
「ハハハ。ごめん。俺が渡していた。ブランデーの度数も今は知っているし、もうあんな馬鹿な酔い方はしないと思うよ。彼だって飲みたい事があったのだろうし、いいだろ。」
「あなたは!」
「いいだろ。彼だって酒にかこつけて人生を嘆きたい時だってあるでしょう。」
「ええ。わかっているわ。兄さんの人生は辛いばっかりだったもの。でも、あの酔っぱらった時の醜態と戯言は、私は一生忘れられないわ。」
俺は素面の時のアルバートルに妻と子を亡くした話を聞いた事があるが、エレノーラはアルバートルを介抱した時に彼のその過去を聞いてしまったのかもしれない。
俺は妻を慰めるために彼女の手をぎゅうっと握った。
「今度は俺があいつを介抱するよ。」
「いいえ。あいつは誰にも介抱させたくないわ。」
エレノーラはアルバートルを扱き下ろしているが、やはり大事な兄なのだろう。
「全く。子供の出来やすい体位とか、月の何日目を狙って襲えとか、恥ずかしい事しかがならないんだもの。あんなの他の人に聞かせられない。次に酔っぱらったら介抱なんかせずに私が撃ち殺してやるわ。」
俺は乾いた笑いを立てるしかなかったが、しかし、聞き捨てならない言葉があったと笑いを止めてエレノーラを見返せば、彼女こそ自分の言葉に真っ赤になって俯いてしまっている。
「もしかして、実践、していた?」
彼女はこくりと頷いた。
頷いて、効果があったみたい、と俺の脳みそが理解を拒否した事を言い放った。
いや、雪が降っているから鼓膜の調子がおかしいのかもしれない。
「ごめん。エレ。俺の耳がおかしいみたいだ。なんか、子供が出来たっぽいニュアンスのフレーズを聞いた気がするんだが。」
エレノーラは俺を殺すという目線を向けてから、そのとおりだと、俺の固くなった脳みそにまで情報が行き渡るようにはっきりと言った。
「こ・ど・も・が・で・き・ま・し・た。」
「うわあ。」
結婚したのが十月一日で、リリアナの音楽祭の今日は十一月二十六日だ。
子供はいつできてもおかしくないが、子供ができたのに気が付くのは早くないか、え、えと、やっぱり竜と人間じゃあ体に異常が出るのか?
「き、君は大丈夫なんだよね。」
俺の心配はそれだけだ。
エレノーラは俺に毎日見せてくれるいつもの素晴らしい笑顔を俺に向けた。
「当り前じゃないの。」
「そうか、それなら。」
「ええ。シロロちゃんが絶対に私も子供も大丈夫にしてあげるからって言ってくれたもの。魔王様のお墨付きよ!大丈夫!」
大丈夫にしてあげるって、それは確実に大丈夫じゃないだろ。
舞台の上では魔王様が俺の葛藤も知らずにウサギになり切っている。
俺はそんな魔王様を必死に見つめるしか今はできなかった。
「ねえ、君はさ、エレノーラに何を言ったの?」
「何ですか?」
「いや、あの、ほら。最初にブランデーでぐでんぐでんになった日。なんか色々とエレに言ったらしいじゃ無いの。」
アルバートルは哲学でも考えているかと思うような考え深げな表情を俺に数秒見せつけて俺を虜にした後、俺が奴を蹴りだしてやりたいと思うような返答をしやがった。
「ああ。あんときはシスターズ全員があなたのお手付き済みの愛人かと思っていましたからね、エレを煽っただけですよ。ガキを作ってあなたを縛り付けろってね。」
「で、体位か?どすけべぇ。」
アルバートルはふふんと鼻で笑って見せた後、俺の耳に囁いた。
「今度俺が全ての体位を実演してあげましょうか?」
たぶん俺は真っ赤になっていただろう。
アルバートルは俺をピンクの竜だと笑いやがった。




