帰って来るの早くね?
ここまでのあらすじ
俺の娘の一人、シェーラはガルバントリウムの間者だった。
彼女は姉と父親を人質に取られていたようだが、どちらもすでに鬼籍となっていた。
彼女は大きな後悔と悲しみを背負い過ぎているからこそ、姉の墓があるという北の方へと旅立たせた。
辛い旅路を経験する事で、少しでも彼女の肩の荷が減ればいいと望みながら見送ったのだ。
一週間前ぐらいに。(by ダグド)
俺は一週間前に娘を一人旅立たせたはずだった。
黒い髪に黒に近い琥珀色の瞳というアジア系の顔立ちに姿形をしているシェーラは、頬骨が高いからか女戦士のような格好良さも持つ美しい女性である。
しかしながら、彼女は快活というよりも少々引っ込み思案であり、常に涙に耐えているような脆い儚さを持っていた。
そんな彼女が教会に殺されていた姉の遺体を求め、雪深き北への道を進むことを決意したのはほんの一週間前だったのではないのだろうか。
冬の到来と北の地にはまともな街道が無い事から、想定として、彼女は一か月以上は旅路に時間を費やす事となり、その苦役によって姉ばかりが不幸だったという建設的でない思考による落ち込みから少しは解放されるのでは、という希望的観測によって彼女に与えられたクエストでもあったのだ。
だが、俺の目の前には、その旅立って苦役の中にいるはずの彼女がいる。
ただいるだけではない。
両目に殺意をみなぎらせて、自分が殴りつけた相手を睨んでいるのだ。
彼女に殴られた相手は彼女に対して殺気は無いが、かなりの怒りを身の内から溢れさせている事は一目瞭然で、頬を腫らした姿でありながらいたいけなどと一切誰も言えない、単なる手負いのグリズリーとなっている。
また、被害者であるはずの彼女が周囲にいる人間すべてに恐怖を与える程の怒りを発散させているのは、殴られた彼女こそが暴れないように男三人によって押さえつけられ、殴った方が殴られた女性から守られるようにして宥められている、という逆的事象によるものだろう。
俺はグリズリーと化している方も可愛い娘同然の女性だからと、とりあえずその逆転現象の理由について男達に尋ねた。
男達は普段着姿と言えど、俺の領土で保安部隊をしている人達だ。
こんな暴力行為が起きたのは、俺の領土の保安部隊員の詰所にある会議室という室内においてだったからである。
「ねぇ、君達。どうして殴られて吹っ飛ばされたノーラの方を押さえるの?ノーラが可哀想じゃないの。」
ノーラを押さえながらもノーラの怪我を案じているという、ノーラの恋人になったばかりのカイユーがおどおどと俺を見返した。
茶色の髪に茶色の瞳をした背の高い青年は精鋭の兵士でもあるが、十代特有の線が細くて肢体がすらっとしている体つきの為、俺には彼が大学生になりたての世間知らずな子供に見える。
そう、俺にはいつもお茶らけていたカイユーが子供にしか見えなかったからこそ、彼がノーラと恋仲になっているなど最近まで全く知らないどころか気付かなかったのだ。
カイユーから告白を受けた時は、この世界でもエイプリルフールというものがあったのかと俺は笑い出してしまったくらいだ。
緑がかって見える明るいアッシュブラウンの髪に緑色の瞳を持つノーラだって、俺にとっては、図書館に住まう妖精のように知的で、深い森に春を運ぶ女神のように美しく無垢で楚々とした娘でしかなかったのである。
けれど、俺がその状況に納得できるか納得できないかは関係なかった。
ノーラと付き合わせてくださいと頭を下げに来たカイユーはビクビクとしていて、まるで失敗したら殺される後のない競走馬そのものであり、彼の後ろで彼の背中に手を添えていたノーラが、認めないとやんぞコラ、という字幕が見えるような変顔をして俺を睨みつけてきたことで、俺はカイユーの今後の生存権の為に彼等のお付き合いを認めてやるしかなかったのである。
よって、彼が脅えた目を俺に寄こすのは、ノーラを怒らせちゃったからお父さん助けて!的なヘルプを俺に求める目ともいえるだろう。
「何を言ってんですか。ダグド様は。この姐さんは怖いの。シェーラちゃんの攻撃がヒットポイント三ぐらいの可愛いものなのに、この姐さんはオーバーキルなクリティカルヒットをぶち込めるんですからね。」
カイユーの親友にして相棒のフェールが、前世時代の俺がネットの大型掲示板で見た、またまたご冗談をと言っているアスキーアートの猫そっくりな表情で言い返して来た。
黒い髪に黒い瞳をした彼は童顔で、彼は二十歳だが外見は俺には高校生にしかみえず、また、彼は俺がカイユーを可愛がると寂しそうに落ち込んでみせてくるとう面倒な男でもある。
そして、俺がフェールに何かを言い返す前に、ノーラはフェールの脛を蹴っていた。
「誰が、何よ!大丈夫も無いの!この馬鹿!」
「いった!姐さんをちゃんと押さえてよ!このぼんくら銃騎士!」
ノーラを後ろから羽交い絞めしてる貴族的な顔立ちの男性は、シェーラと旅立ったはずの今も旅装束姿のエランである。
彼は誰よりもこの事態に責任感があるという罪悪感に塗れた顔をして、今にも殉死してしまいそうな程でもある。
焦げ茶色の髪に青緑色という宝石のような瞳を持つこの美青年は、銃騎士になる前は司祭見習いだったという真面目過ぎる程の品行方正な男なのだ。
そして、真面目過ぎるほどに目的を達成しようとする男は、叱責してきた仲間のノーラの絶対的な拘束という期待に添おうというのか、彼女を後ろ手にして縛り始めたのである。
「きゃあ!エラン!」
慌てたのは彼女を何とかしろとエランに怒鳴ったはずのフェールだ。
「ちょ、ちょっと待って。エランさんちょっと待ってください。姐さんが縛られたら可哀想じゃないって、ちょっと、あら。ほら、お前。恋人!何とか!」
「ちょっと!何をするのよ!」
ノーラは確実にじたばたと暴れているが、制圧術を持っている経験値の高い兵士に適う訳もなく、また、熟練者であるエランはノーラを後ろ手にしたうえで自分の肩に俵のようにして担ぎあげた。
当たり前だがカイユーは哀れなノーラの助けには全くなれず、ほけっとするだけの役立たずのかかし状態である。
きっと今後のノーラの怒りを浴びる事だけに脅えて、脳みそが現状に付いていかないのだろう。
脊髄反射で戦場を乗り切ってきた男が、一体どうしたというのか。
「頭が冷えるまで独房に入れておきます。俺の部屋は使っていなかったのですから、そこでいいですね。」
「まって、まって。エランの部屋って、君自身が片付けちゃって何もないでしょ。ねぇ、俺の部屋にして。毛布も無いんじゃノーラが可哀想じゃない。俺がノーラを見ているから、俺の部屋にしてあげて!」
ようやくカイユーの脳みそは動き出したようだが、男の部屋に未婚の女性を入れる話になっているじゃないかと、俺は彼等を止めなければと少し慌てた。
だが、冷静で融通の利かない男はすらっとカイユーに言い返した。
「毛布ぐらいは残してあるから大丈夫です。俺が見張りますし。」
「え、待って。本気で待って。ノーラ返して。お願い。俺に返して!」
縋りつくカイユーを引き連れながら、エランはノーラを担いだままずんずんと歩いて俺達のいる会議室から出て行った。
「よし。ひとまるごうごう。状況終了。シェーラ疲れただろう。君はまず旅の汚れを取っておいで。」
シェーラに最大限のほほ笑みを向けながら無理矢理に場を収めたのは、シェーラを今まで押さえていた男であり、俺の領土の保安部隊の長となるアルバートル様だ。
小麦色の肌によく似合う白に近い金髪は太陽のように輝き、瞳は海よりも青いという、神様を模した石膏像に色付けしたら動き出したと思わせる程の完璧な造形をした男は、臨機応変に動いてしまう適当な男でもあるのだ。
彼は俺に顔を向けると、完了しましたと魅力的な笑顔を俺に寄こした。
俺は、ねえよ、と奴に言ってやった。




