遅れてきた相棒
葉月ねえちゃんが帰った後、僕は綿密な計画をさっそく実行に移した。
まず、押入れにずっと眠っていた骨格模型の人形を取り出した。理科室の隅に置いてある、あのガイコツである。去年の自由研究のコンクールでもらった金賞の品だ。
僕と同じ大きさのこいつに自分の服を着せて、適当な帽子を被らせて、机に向かっているように座らせる。すると、僕の完璧な身代わりが出来上がりだ。本当は、銀賞の顕微鏡が欲しかったけど、大きすぎて置く場所に困っていたこいつが、初めて役に立ってくれた。
さらに部屋に誰も入ってこないよう、ドアに『徹夜で勉強中。集中してるので部屋に絶対入らないで』と張り紙をしておいた。我ながら完璧なトリックだと思った。
リュックに必要なものをつめ込むと、僕は十一時に家を抜け出した。この時間帯が好都合な理由は、お父さんはビールを飲んでほろ酔い気分になり、お母さんも録画した好きなドラマを見直しているからである。
とはいえ、完璧な計画など存在しない。今晩に限って、お母さんはテレビを見てないかもしれないし、お父さんもビールを飲んでいないかもしれない。ここが伸長に行かないといけないところだと思いながら、ゆっくりと階段を降りた。
ところが、僕の心配は杞憂に終わった。二人はいつもの習慣に従っていた。おかげで、僕は家の外へ出ることに成功した。
「さようなら」
そう言うと、夜の道を走った。
駅の改札口の前に到着してからは、もう一人の相棒である葉月ねえちゃんが来るのを、僕は首を痛めるくらい長くして待っていた。
そして、四十分が経過しようとしていた。
「遅い」
約束の時間より三十分の遅刻。時間にルーズなやつは嫌いだ。これから自殺しに行くというのに、この相方は自覚が足りなくて困る。やはり、杞憂じゃなかった。
「タイくん!」
時計の長針が十一時四十五分を差した頃、ボストンバッグを持つ葉月ねえちゃんがやっと姿を現した。
「遅いよ! 何やってたの?」
「ゴメンなさい。ちょっと支度に手間取っちゃって」
頬がほのかに赤い。長い髪から湯気が上がっていた。
「お風呂でも入ってたろ」
「すごい。正解」
「バカじゃないの? 海に飛び込むんだからお風呂に入っても仕方ないだろ」
「……あ、そっか」
「はあ。葉月ねえちゃんってさぁ、ホントにバカだよね」
「うん、そうかも」
つまらない問答をしていると、電車が駅に着いた。僕はあらかじめ買っておいた切符を従姉に渡した。急いで改札を通り、停車中の電車に飛び乗った。
「タイくんは後悔してない?」
「しない。もうあとには引けない。乗りかかった船ってやつだよ」
「私も迷いはない」
扉が閉まる、電車は車輪をきしませて動き出した。
僕らは窓に映る故郷の町を眺めた。二人の足が、この町に降り立つことはもう二度とない。さようなら、お父さん、お母さん。クラスの皆。かりん、遊園地に行く約束ができなくてゴメン。友美もどうか怒らないでよ。秀矢も受験をせいぜい頑張ってくれ。
「タイくん、家はうまく抜け出せた?」
「完璧さ。そっちは伯母さんに怪しまれなかった?」
「ママは大丈夫。あの家では、私は透明人間だから」
「そうなんだ。ところでさ、何か持ってきた?」
まず、僕が持ち物を見せた。地図、懐中電灯、冷蔵庫から適当にくすねてきた薬。そして、長いロープと十徳ナイフ。この二つのアイテムは、お父さんが昔、ボーイスカウトをしていた時に使っていたものらしい。まだ使えると思ってこっそり持ってきた。
ちなみに、スマホは親に探されると厄介なので部屋に置いてきた。
「準備万端だね」
「まあね。相方が少し足りないところがあるから、僕がしっかりしとかないとね。一応聞くけどさ、そっちは何か持ってきた?」
「持ってきてるよ」
葉月ねえちゃんはバッグから色々なものを取り出した。
「ハンカチとティッシュ、酔い止め薬、替えの下着と服。パジャマに体操服、ジャージ、目覚まし時計、歯磨きセットとタオル。ウォークマンに読みかけの文庫本、トランプにUNO、花札、それに――」
「バカじゃないの! 僕らは旅行に行くんじゃないんだよ。今から死にに行くんだよ。なのに、なんで修学旅行のノリで来てんのさ!」
「ごめんなさい」
「僕は本気なんだぞ。ふざけて死ぬようなバカじゃない。葉月ねえちゃんもそうだろ? そうじゃなかったら、今のうちに帰りなよ。僕一人でも大丈夫だから」
思わず強がって言ってしまったが、実は心細くて仕方がない。
「ううん、帰らない。私も本気だよ。本気じゃなかったことは一度もないわ。でも、一番大事なことを忘れて家を出ちゃった」
「どんな?」
「明日、学校を休むの電話しなきゃ」
僕は椅子に深く座ってから目を閉じて、そのまま何も言わないでいた。葉月ねえちゃんと話しているだけでも神経をすり減らしてしまう。あすなろ海岸に到着までに過労死してる。
それってさ、すごくマヌケな死に方だと思わないか?