世界でいちばん危険な計画
暗い部屋に戻ると、葉月ねえちゃんは開口一番に言った。
「さて、どうやって死ぬ?」
「食事中に話す内容じゃないよ」
「そうよね。私達、死のうと思っているのに、のん気に食事なんて変だよね」
単に食が進まなくなると言いたかったのだ。仕方がないので、カレーを口に運んでから、言葉を選びながら提案してみた。
「まずは場所を決めようよ。家の中はどう?」
「親に見つかるリスクが高いからダメ。病院に運ばれて助かるのがオチだわ」
「じゃあ、自殺の名所は?」
「ああいう場所は怖いから、もっとイヤ。係員とかが見張っているだろうし」
「外で死ぬって、意外と難しいな」
「どうせ死ぬなら、きれいな場所で死にたい」
「葉月ねえちゃんは、どこがいい?」
「夜景の見えるような所かな。東京タワーとかスカイツリーの展望台とか」
「却下!」
僕は強く言った。葉月ねえちゃんはキョトンと首を傾げる。
「なんで?」
「忘れたなんて言わさない」
「忘れた」
「僕は高い所が苦手なんだ。夜景の見える所で死ぬとしたら、飛び降りしかないじゃないか。怖い死に方だけはしたくない」
「タイくんって、高所恐怖症だったの。知らなかったわ。あれって生まれつきなの?」
「とぼけないでよ。葉月ねえちゃんが植え付けたんじゃないか」
あれは忘れもしない七年前の夏祭りの夜。
幼稚園児だった僕は葉月ねえちゃんに連れられ、町内の河原に行った。そこでは花火大会が毎年の夏に行われていたのだ。
しかし、土手はすでに他の見物客が陣取りして、二人の座る隙間もなかった。人混みのせいで花火は全く見えなかった。葉月ねえちゃんにおんぶしてもらったが、それでも観客の頭を見るので精一杯だった。
「全然見えないよぉ!」
半泣きしながら駄々をこねていると、葉月ねえちゃんが言った。
「もっと高いところで見ようか?」
「うん」
葉月ねえちゃんに命じられるままに、河原からほど近い鉄塔の上を登らされた。
目もくらむ高さに、強風が激しく吹き荒れ、近くの電線からバチバチと小さく放電する音がしたのを今でも耳に残っている。思わず下を見ると、眼下の草むらと鉄塔の柵が豆ほど小さく映るほどだった。僕は頂上に着く前にとうとう動けなくなってしまった。もう花火どころではなかった。
大泣きした僕を見かねて、葉月ねえちゃんは、幼い僕一人を残して、大人を呼びに下りてしまった。救出されるまでの間、恐ろしく長い時間を目をつぶってじっと耐えるしかなかった。
後始末もひどかった。地元の消防団に救助されて地上に降り立った僕は、お母さんに死ぬほど怒られた。従姉の証言によると、僕が一人で勝手に鉄塔へ上ったことになっていた。
この一件以来、根っからの高所恐怖症になってしまったのである。
「タイくんと私の希望を合わせると、景色のきれいな低い場所か……」
「低くてきれいな場所……そんなのあるのかな」
僕らはカレーライスとポテトサラダを食べながら黙り込んでいた。葉月ねえちゃんも人参ばかり食べつつ、苦手なジャガイモをちゃっかり僕の皿に移している。
僕らはおかしい。食事をしながら、どうやって死ぬのかを考えているなんて。普通ならば、残り少なくなった夏休みの日々をどう楽しく過ごすかとか、友達と遊園地に行く予定とか、残りの宿題を早く終わらさないといけないと焦っているはずだろう。
先に食べ終えると、僕はベッドの上に寝そべった。天井のスローガンをボンヤリと眺めて、あれこれと考えてみたが、妙案はなかなか浮かばない。景色に恵まれ、地に足がついていて、なおかつ人気のないところ。そんな場所が、この地球上のどこかにあるとしても、飛行機に乗らずに着けるほどの近い場所じゃないとダメだ。
「ねえ、タイくん」
「何かアイディアでも浮かんだ?」
「食べてすぐに横になると、牛になるよ」
「モオー」
僕は投げやりにそう返すと、ヘッドホンで耳を塞いで静かな音楽を聴き始めた。葉月ねえちゃんも壁にもたれながら目をつぶり、静かに瞑想している。
僕も目を閉じて、今年の思い出を振り返ってみた。連日の塾通いと家庭教師。受験予定である学校のオープンキャンパスにも行ったかな。ついでに有名な神社に寄って、合格祈願までした。三年前からの恒例行事だった。今の志望校は、低学年の頃から受験を宿命づけられていたことになる。
これが普通の家族だったら、海にでも行ったのかもしれないと思った。長いトンネルの先に広がる白い砂浜、青い海での海水浴。ホテルの露天風呂、バーベキュー、帰りの高速道路の渋滞。
そんな思い出なんてない。きっとこれからもだろう。
「海、行きたかったな」
「私も。最後にいつ行ったのかも覚えていない。夜の海なら綺麗かもね。星空が反射して海面が輝いて見えるかもね」
「うん、そうかもね――そうだ!」
突然、全身を電気が流れるような衝撃が走った。まさに天才のひらめきだった。僕はヘッドホンを投げ出して、気だるい体を起こした。
「海にしようよ。低くてきれいな場所だ」
「何の話だったけ?」
「僕らの死に場所じゃないか」
「ああ、そうね。入水か。まるで、太宰治と山崎富栄ね。悪くないかも」
「じゃあ、決まりだ。死に場所は海。自殺の方法は溺死だ。どこの海がいいい?」
「ここから一番近い場所にしよう」
社会科の地図帳で一番近い海岸を探してみる。目的地はすぐに目と鼻の先にあった。隣の県の端に位置する『あすなろ海岸』。
あすなろ海岸といえば、一年生の遠足で行ったことがあった。近くには水族館があり、遠くには港と漁船があって、浜辺から少し歩いた先に最寄りの駅があったはずだ。
パソコンのインターネットを開いて、さらに路線経路を調べてみると、ここから近い駅から六駅、乗り換えをして三つ目の駅から出て、隣接する別の鉄道会社に乗り換える。さらに七駅先で降りて、モノレールに乗って四つ目の駅、『あすなろ海岸前』がゴールになる。少し遠いが、ネットの画像を見る限りでは、海と砂浜はきれいで死ぬにはぴったりだと思った。
往復で利用した場合の運賃は……「うわあっ」と僕は声を漏らした。
「往復で四千円だってさ。中古のゲームソフトなら三本は買えちゃうよ」
電車に乗るだけでこんなにかかるとは夢にも思わなかった。
「片道の二千円で大丈夫だよ」
「なんで?」
「どうせ、行き先で死ぬんだから、帰りの分はいらないじゃない」
「ああ、なるほど」
まさに死への片道切符。
「決まりだね。で、いつにする?」
「今夜」
葉月ねえちゃんは即答した。
「いくらなんでも早過ぎるよ」
「こういうのはね、思い立ったら即行動に移さないと駄目なんだよ。日が経つと心変わりするから。鉄は熱いうちに打っていうじゃない」
「そうかもしれないけど……」
「それに、タイくんの夏休みは明日で終わるけど、私は明日、学校へ行かないといけないの。もしかして、タイくん、怖いの?」
「こ、怖くなんかない!」
「無理なんかしなくていいんだよ。死ぬのは一人でもできるもの」
「一人で死ぬ方が怖い」
「じゃあ、お互いに約束を交わしましょう」
葉月ねえちゃんは一途な女の子だ。昔、僕が約束を破ると、裁縫針のお得な千本セットを買ってきて、本当に飲まそうとしてきた。
だけど、今度ばかりは約束を守るつもりだった。もう後には引けないんだ。こんな人生なんか絶対にいらない。
葉月ねえちゃんが小指を差し出した。僕も自分の小指で絡ませる。
「指きりゲンマン」
「ウソついたら針千本のーます」
「指きった! じゃあ、今夜の十一時に駅前で集合ね」
窓から差し込んでいた夕日がいつの間にか消えてなくなり、夜の帳に変わり、ささやかな夏の風が吹き込んだ。
僕の小指はまだ震えていた。