いとこ同士だから気が合う
時間は午後三時半すぎ。次の家庭教師まで少しだけの時間を利用して、僕は自由研究のネタ探しのために図書館に立ち寄った。
ところが、いろいろ棚を回ってみたものの、めぼしい本はなかなか見つからない。ほとんどの本が貸し出し中なのだ。きっと、今頃になって自由研究をやり始めたヤツが借りているからだろう。ホントに迷惑な話である。
次に、閲覧コーナーの奥にある書庫へ向かった。僕の住む町の図書館では、司書だけではなくても、自由に書庫に入れるようになっている。
そこは、普通の閲覧コーナーとはまるで違い、倉庫のような場所に窓もないので薄暗くて、どことなくカビ臭い。大きなファンがゴワン、ゴワンと重苦しい羽根音を鳴らし、不気味な雰囲気を醸し出す。書庫を埋める棚には、古い本がホコリにまみれながらすし詰めに収まり、いつか貸し出される時を静かに待っていた。
さっそく適当な図鑑を棚から抜き出して、近くに座イスに腰を下ろした。時間があまりない。早いところアイディアを探さないと――。
「何読んでるの?」
真横からいきなり話しかけられ、僕は椅子から転げ落ちた。人を驚かして寿命を縮めたヤツの正体を見て、さらに心臓が飛び上がりそうになった。
「葉月ねえちゃん、ビックリさせるなよ」
「また会ったね、タイくん。さっきはありがとう」
「なんでここにいるんだよ?」
「私が図書館にいたらダメ?」
「そうじゃないけど……葉月ねえちゃんって暇なんだなって思ってさ」
「夏休みの日曜日だもの、暇な人の方が多いと思うよ」
「僕は忙しいよ。大事な、大事な中学受験があるからね」
誰かさんとは違うんだよ、と言わんばかり胸を張ってやった。
「ふうん」とつぶやきながら、葉月ねえちゃんが図鑑を覗き込んできた。
「な、なんだよ、見るなよ」
「夏休みの宿題、まだ終わってないの?」
「そんなことない。七月に全滅させた」
「そうなんだ。ゴメンネ。タイくんって、問題集とかはすぐにやっつけられるけど、肝心の自由研究とか環境ポスターとか忘れてそうだから」
葉月ねえちゃんは昔から勘が鋭い。憎たらしいほどに。
「私がタイくんぐらいの頃は、どんな自由研究をしてたかな……」
「くしゃみのメカニズム」
「そう、そう。確か、コンクールで金賞を取ったやつ」
忘れようとも忘れられるはずがない。当時小学一年生だった僕は、五年生の彼女に手伝わされて、先を細めたティッシュで何度もくしゃみをさせられた。おかげで鼻炎にかかってしまい、耳鼻科に通いつめる羽目となった。今となっては、いい思い出である。
「六年生の時はどうだったっけ? ええと、確か……」
「あくびのメカニズムの研究だろ」
「それそれ。本当に懐かしい。確か、あれも金賞を取ったんだよね」
忘れたくても忘れられない。鼻炎がやっと治りかけた小二の夏休み、再びアシスタントとして、二四時間も不眠不休を強制された。眠ろうものならハリセンで叩かれ、欠伸をするところを何度も撮影させられた。
今となってはいい思い出、なわけがない。二年続けて人体実験に付き合わされて以来、僕の中で葉月ねえちゃん=危険人物という扱いだった。
「ところで、そっちは何読んでんの?」
彼女の膝に置かれた本のタイトルに、僕は頭から氷水をかぶったように固まった。本のタイトルは、『日本の自殺問題』。ふと、朝のニュースで報じられていたYくんのことを思い出した。
「悪趣味な本」
「学校の宿題なの」
「ふうん。高校でも夏休みの宿題があるんだ」
「七月中にほとんど終わらせたけど、今朝になって思い出しちゃったの。社会科の宿題で、自由研究みたいなものかな」
「葉月ねえちゃんて、間抜けだよね」
いつも馬鹿にしてたせいか、自分を棚に上げてつい言ってしまった。
「それより知ってる? 日本では毎年一万人以上も自殺している人がいるんだよ」
「けっこう多いね」
「その中で未成年は、十九歳から十五歳が約四五〇人、小学生は六〇人なの」
「六〇人も!」
ちょうど、ふたクラス分くらいじゃないか。一年間で、二クラス分の同い年が自分で命を絶っているなんて、驚きというよりも、少し怖いな。
「理由は主にいじめや進路、家庭内の問題、病気、人間関係。自殺の方法は、飛び降り、首つり、睡眠薬にガス」
「やっぱり、原因はいじめがダントツじゃないの」
「そうかも。今朝のニュースに出てたYくんも、やっぱり学校でのいじめが原因だったみたい」
「そうなの?」
「さっき、ネットのニュースで確かめたの。遺書の内容から発覚したんだって」
「でも、クラスでは仲良しの人がたくさんいたんでしょ?」
「掃除当番を自分から買って出てたわけじゃないみたい。単に押し付けられてたの。勉強を教えたというのも、宿題を代わりにさせられていたというのが事実みたい。いじめをしていた人が『僕らがやりました』なんて簡単に白状するはずもないし、教師も学校の評判を落とさないために、いじめはありませんでしたってとぼけていたの」
「ひどすぎる。僕なら真っ先に親、いや、警察に言うね」
「よく、いじめられている子供に対して、こういう人がいるでしょ。『苦しいなら、無理をせずに逃げろ』って。あれを自殺に結び付ける子もいるというのに。そもそも、どうしていじめを受けている人が逃げなきゃいけないのかなって思う。その人たちを逃がすよりも、いじめをした人を追い出した方がいいと思わない?」
僕は何度か頷いた。うちの学校でも他のクラスでいじめがあったのに、話し合いがあっただけで終わった噂を小耳に挟んだことがある。いじめられた子は別の学校へ引っ越している。まるで、その子が最初からいなかったように。いじめなんか初めからなかったように。
「その方が楽なんだと思う。今の親ってうるさいから。手早くすまそうとするんだ。いじめられている方は、本当は周りの大人に助けを求めたいけど、実際にはできないんだ」
「家族を心配させたくないし、いじめの被害者になるの怖かったのかもね」
「誰だって仲間はずれされるのが一番怖いのよ。Yくんも親に心配をかけさせないために、悪く目立とうとしなかったのかも」
本人は、平和で楽しい日常であってほしかったに違いない。誰もが望んでいるはずなのに、自分勝手な誰かが、それをたやすく破壊してしまう。
「タイくんって賢いね。自由研究もとっくに終わっているんだろうなあ」
なぜ、自殺問題から自由研究につなげてくるんだ? まさか、勘づかれてるのか?
その時、僕のスマホから着信音が流れた。嫌な予感がしたと思ったら、やっぱり、お母さんからだった。すぐに、また大きな失敗をしでかしたのに気づいた。四時から家庭教師があるのに、今の時間は四時ちょうどを指していた
案の定、お母さんはカンカンだった。
(太陽、いつまでほっつき歩いてるの! 久保塚先生はとっくに来られているのよ)
(ゴメンなさい、すぐ帰るから!)
着信を切ると、僕は深いため息を吐いた。
「お稽古?」
「カテキョ。完全に遅刻だ。模試も遅刻したし、結果もひどいときて、最後にこれだ」
「タイくんって、まるで、ミヒャエル・エンデの『モモ』に出てくる時間泥棒に、時間を盗まれちゃったみたいだね」
「とにかく、早く帰らないと。ああ、どうしよう。自由研究のネタも浮かばないままだし、家に帰ったら怒られる。明日は、遊園地に行く約束があるし。はあ……死にたいな」
僕は思わず口をつぐんだ。束の間の沈黙が生まれた。自由研究が終わってないことを口走っただけでなく、いつもの口癖が出てしまった。しかも、葉月ねえちゃんの目の前で。彼女が耳栓をしてくれていたら、どんなによかったか。
「私とタイくんっていとこ同士なんだよね」
「うん」
「だから、やけに気が合うのかも」
「合ったためしはないよ」
「私もなんだ」
「私もって?」
青白い顔が僕の目の前まで近づけてきた。ほのかに甘い香りがする。やや厚ぼったい唇は、血で塗られたように赤い。彼女の手が、僕の膝の上に置かれた。
「は、葉月ねえちゃん……」
「タイくんさぁ、私と一緒に自殺してみない?」
寝ぼけた犬みたいな眼差しは真剣そのものだった。仮面のように顔が凝り固まっている。あまりにもじっとしているので、周りの時間が止まっているかと思った。ファンの音だけが耳に入ってくる。
結局、僕はその場から逃げ出した。怖いからじゃない。ただ単に、家庭教師の時間に遅れていたから、焦っていたのかもしれない。たぶん。そうだと自分に言い聞かせた。
これが僕の日常なんだ。変わることのない、変哲もない……。