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二人が最後にすべきことは


 我が家のリビングでは、僕達二人と親達が対面する形で座っていた。足元の床では、ドンちゃんが居心地よく寝そべって、口をくちゃくちゃ動かしていた。

 葉月ねえちゃんにシャワーで洗った方がいいと母さんの申し出たが、本人が答える前に伯母さんがぴしゃりと断った。

「二人でどこまで行っていたの?」

「海まで」

 葉月ねえちゃんはあっさりと答えた。

「どうしてそこまで行っていたの?」

「……」

「答えなさい、葉月。太陽くんまで連れ回して、あなたは何を考えているの?」

「僕が誘ったんです」

「太陽は黙ってなさい」

 母さんが先手を封じた。見事な連携プレーだと、敵ながら感心する。この姉妹は最近まで会っていないなのに、我が子の尋問では阿吽の呼吸を見せる。

「一葉姉さん。知ってのとおり、うちの太陽は今年は受験生なの。母親一人で子供を育てる苦労は買うけど、うちの息子は今人生で一番大事な時期なの。分かるでしょ」

「ごめんなさいね、二葉……さあ、葉月、こんなバカなことをしでかした理由を答えなさい」

 葉月ねえちゃんは黙ったまま、顔を下に向けていた。

「なあ、太陽はどうなんだ?」

 父さんが僕の方を振ってくれた。母さんの前ではなかなか弱腰になってしまうが、今日は違っていた。

「さっきも言ったけど、葉月ねえちゃんと海に行こうと言ったのは僕の方なんだ。おねえちゃんは無理な頼みを聞いてくれたんだ」

「葉月ちゃん、そうなの?」

 母さんが彼女を睨んだ。僕が言わされていると思っているに違いない。

「よければ、太陽くんの話を聞かせてくれませんか?」

 今まで沈黙を守っていた中年女性が口を開いた。静かで優しい声だった。しかし、眼鏡の奥では物事を観察する眼差しを向ける。僕の心を読んだかのようによそいきの笑顔を向けると、一枚の名刺を取り出した。

「私は片桐といいます。太陽くんのご両親と、葉月さんのお母さんの連絡を受けたの」

 名刺には交通安全課とあった。

「警察の人?」

「そんな大袈裟なものじゃないわ。太陽くん達みたいに夜中に出かけて親に心配をかける子に話を聞くために来たの。もしも、何か事情があるなら聞かせてくれないかしら」

 僕は自殺しようとした事は伏せて、ゆっくりと始め始めた。

「僕らはあすなろ海岸まで行こうと、夜中に電車に乗りました。でも、途中で降りました」

「よるのとり町のみちなかば駅ね?」

「はい、そうです」

「昨日、小学生ぐらいの男の子と女子高生を見つけて逃げられちゃったって連絡があったの。君達だったのね」

「一つ聞いていいですか? 僕達、警官から逃げたから逮捕されちゃんですか?」

 片桐さんはアハハとあっけらかんと笑った。

「心配しなくても大丈夫よ。怖がらせた方も悪いんだから」

 富本さんのデコトラでヒッチハイクしたことも正直に白状した。父さんは感心する一方、姉妹の怒りのボルテージがぐんぐん上がりつつあるのを感じていた。

「ひき逃げ犯に誘拐されかけました。その時、葉月ねえちゃんは助けてくれて――そうだ! 富本さんは? あの人は大丈夫だったの?」

「トラックの運転手ね。あなた達と同じことを聞いたわ。あの二人は無事かって。さっき向こうの署に連絡したわ。病室では、娘さんとも国際電話で話してたわよ。虫の知らせがしたとかって、娘さんの方からかけてきたらしいわ」

 それを聞いて、僕は二重に安心した。

「あの人は、警察に捕まったりしないですよね? 富本さんは僕らの事情は知らなかったんだ。親戚の家に帰ると所だって嘘をついたの」

「分かったわ」

「ひき逃げした人はどうなったんですか?」

 葉月ねえちゃんが口を開いた。

「あの子は今、警察から事情を聴いているわ。犯行を全面的に認めているわ。弁護士はいらない。一番重い刑を受けさせろ、そうじゃないと絶対に反省できないって言っているらしくて、取り調べの刑事も驚いているらしいわよ」

「それから、あんた達はどうしたの?」

 伯母さんが低い声で聞いた。

「朝が明けるまで埠頭で海を眺めていました」

「その石は何?」

 葉月ねえちゃんはこの場でも記念の重石を膝に乗せていた。時代劇に出てくる刑罰みたい。

「漬物石にピッタリだと思って、一緒に持ち帰ってきました」

「ふざけないで! あんたは何をしたか分かってんの。夜中に太陽くんを連れまわして、そんな泥だらけに帰って来て、本当に馬鹿なんじゃないの?」

 普段は優しい伯母さんが嘘のようだった、もしかしたら、今が本当の姿なのかもしれない。こんな親と一緒にいたら、葉月ねえちゃんだって息が詰まってしまう。

「高校受験で失敗してからのあなたは何? 無為な暮らしばかり送って、まるで負け犬じゃない。おまけに誘拐騒ぎまで起こして!」

「まあまあ、義姉さん。落ち着いて」

 父さんが宥めようとするが、聞く耳を持たない。足元でドンちゃんが擦り寄りながら、ブルブルと震えている。

「あんたなんか私の子じゃありません。欠陥品の娘を生んだ覚えはないですもの。自分の責任は自分で取っていなくなってちょうだい!」

「いい加減にしてよ!」

 僕は思いっきり机を叩いた。ドンちゃんが驚いて飛び起きる。

「太陽くん?」

「伯母さんには、葉月ねえちゃんの気持ちが分からないの? どんなに頑張っても認めてもらえない。ちょっと失敗しただけで叱られる。息苦しくなるに決まってるよ」

 目から涙が零れ落ちていく。

「僕だってそうだ。自分が憶病なばかりに、母さん達のレールを歩くのに疑問も持てなくなった。自分の人生なのに、自分のこと何もしようとしていない。でも、憶病なだけで何も考えていないわけじゃないんだ」

「太陽……」

「お母さん、それに伯母さんも聞いて。葉月ねえちゃんはいつも苦しんでいたんだ。だから、同じ苦しみを持つ僕を理解してくれて、僕の誘いに乗ったんだ」

「いいえ」

 葉月ねえちゃんは咄嗟に立ち上がった。

「タイくんを誘ったのは私です。年上の私がしっかりすべきでした」

「違うよ。最初に思いついたのは僕だ」

「一緒にやろうと言ったのは私よ」

「やる気満々だったのは僕」

「最後まで引率したのは私」

 またもや売り言葉に買い言葉になっている。

「ところで、あなた達はあすなろ海岸まで何をしに行ったの?」

「私達は、じ――」

 片桐さんの質問に、葉月ねえちゃんが、自殺しようとしたと言おうとしたのかもしれないけど、僕は約束を守るために先んじて答えた。

「僕達は一緒に暮らそうとしました!」

「一緒に暮らす……? どういう意味なの、太陽?」

「僕達は駆け落ちしようとしました」

「駆け落ち?」

「僕は、葉月ねえちゃんが大好きです。将来結婚したいと思いました。でも、いとこ同士は結婚できないってテレビか何かで知りました。結婚できなくてもずっと一緒にいようと駆け落ちを計画しました」

 葉月ねえちゃんはいつものように首を傾げた。動揺のドの字もない。その代わりに、お母さん達が唖然とした。母さんと伯母さんはそろって口を開けたまま、双子みたいにそっくりだった。父さんはなぜか笑顔のまま固まっていた。

 片桐さんの「あらまあ!」と感嘆を上げて沈黙を破った。

「太陽、ちょっと待ちなさい。落ち着いて、気を確かに持って、一から話してちょうだい」

「話した通りだよ。僕は毎日の生活で今にも死にそうだった。特に、あの家庭教師、僕をミスターマッシュルームとか呼んでバカにしてた。もう、窒息寸前だったんだ。葉月ねえちゃんが救ってくれた。僕は彼女が好きになったよ。でも、きっと皆に反対されるだろうから、一緒に駆け落ちしたんだ。でもこのままじゃいけないって思って帰ってきたんだ。今の僕らは子供だから、自分達だけで生きていける訳がないって気づいた。大人になったら、今度こそ本当に駆け落ちして結婚しようと誓って帰って来たんだ。最後にもう一度はっきり言うよ。僕は葉月ねえちゃんのことが大好きだ! 結婚したくて、死ぬまで一緒に添い遂げたくて、それで一緒に駆け落ちしました! 以上です」

 近所中の窓を割る勢いでまくし立てた僕の舌は、煙が立ちぼるほどカラカラに乾いていたかもしれない。コップの麦茶を飲み干してしまった。

「よく分かったわ。でも、一つだけ教えてちょうだい」

「なんでしょうか?」

「あなたはもういいから。葉月ちゃんに聞くの。太陽の言葉は本当なの? 悪い言い方になるけど、あなたがあの子を唆して、そう言わしているとかじゃないでしょうね?」

「私もタイくんを愛しています。従弟としてではなく、一人の男性として。お互いに悩みを打ち明けるうちに、彼に対して恋愛感情を抱きました」

「あらまあ!」と、片桐さんがまた驚いた。

「でも、あなたはまだ高校生で、太陽くんだってまだ小学生なんですよ」

「愛に年の差は関係ありません」

「確かにそうだけどど。太陽くんが最初に駆け落ちを持ちかけてきたのは本当なのね?」

「私もタイくんと同じ気持ちだったから。二人で一緒になら大丈夫、何でもうまくいくと思ってた。でも、タイくんの方が大人だった」

「太陽くんが大人?」

「私の方が子供だったの、ママ。家に帰りたくないって駄々をこねて、石と足をくくりつけて、タイくんを困らせてしまって。でも、彼が石を持ってくれた。二人三脚で頑張っていこうって支えてくれた。だから、私も頑張って大人になると誓いました。この石は、天然の漬物石でもあり、二人の愛の印でもあるの」

 あの自殺用の重石を持ってきた理由をうまく処理してしまうなんて、呆れたというより、もう感心するしかない。

「つまり、二人が家出した理由は、駆け落ちだったというわけだね」

 僕らは二人ともほぼ同時に「はい」と答えた。

「そうか、そうか。若いっていいなあ」

「感心している場合じゃないでしょ、あなた」

 母さんが頭を抱えながら、テーブルの上に突っ伏した。伯母さんも同じ仕草でこめかみを手で押さえている。

「まあ、よかったじゃないですか。たまには、こうして親と子が面と向かってぶつかり合うのもたまにはいいと思いますよ」

「元はと言えば、太陽の苦労に気づいてやれなかった私と主人の責任だわ」

「うちだって同じよ。母子家庭で頑張ってきたけど、母親として至らないところもあったのも確かだわ。知らない間に葉月を傷つけてしまったのね」

「ごめんなさいね、二人とも」と姉妹揃って頭を下げた。

 次に僕らも謝った。「心配をかけて、本当にごめんなさい」

「ところで、このブタはどうしたの?」

 ついに話題はドンちゃんに回ってきた。僕は勢いの炎が疲れで消えてしまう前に言った。

「この子は捨てブタのかわいそうな子なんだけど、頭はとっても賢いんだ。飼ってもいいでしょ」

「でも、犬猫はともかく、ブタはねえ……」

「私もタイくんと分担して世話を見ます」

 葉月ねえちゃんが加勢してくれたおかげで、ドンちゃんは僕ら二人が月毎に交代で世話をすることに決まった。僕の受験が終わるまでは、葉月ねえちゃんが当番をかって出てくれた。

 こうして、親族会議は波乱と円満のうちに終わった。片桐さんが帰る際、両親と僕らは何度も頭を下げた。

「本当に、このたびはご迷惑をかけて申し訳ありませんでした」

「いえいえ。二人とも無事でなりよりです。私も朝一番からいいものを見させていただきましたし。それでは、今回は双方同意の上での駆け落ち、自分達の意志で帰宅しましたし、非行の恐れはなしという方向で処理させていただきますね」

 片桐さんは帰り際、思い出したかのように僕の方に寄って来ると、耳元でささやいてきた。

「念のために言っておくけど、いとこ同士は結婚できるわね。今度、駆け落ちする時はご両親に心配をかけさせない程度にしておきなさい」

「はい」

「よろしい。頑張ってね、おませさん。年上の女性は結構手ごわいわよ」

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