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人情噺は計画破綻の前兆


 トラックがトンネルの待避所で停車した。カーラジオから流れていた演歌が終わり、車内が一気に静かになる。

 おじさんはサングラスを外した。外見には似合わないつぶらで、この上なく真剣な瞳を向けた。

 バレてしまったのだと、僕は心の中で観念した。この人はもう気づいている。そうでなかったら、さっきの検問であんな嘘をつくはずがない。

「俺も子供を説教できるほど偉い大人やないけど、そのまま無視もできへん」

「ごめんなさい。嘘をつくつもりはなかったんです」

「嘘をついたのはどうでもええ。正直に話せない事情もあったやろからな。俺が言いたいのはそこやない。お前達が自分らの家族を大事にしないことや」

 一体どこで感づかれたのか。思い当たる節はない。少なくとも、僕は下手なことを言った覚えはない。じゃあ、僕以外の誰かが富本さんに話したとか? 

 例えば……と、僕は隣に座る従姉を思った。いつ? 僕が寝ている間しかない。それ以外はずっと三人でいたんだから。

「いけないことをしているのは分かっています。でも、僕も、葉月ねえちゃんも限界だったんです」

「だからといって、お前ら、家出はあかんぞ」

「家出?」

「お前ら、家出をしとるのと違うんか?」

「はい、そうです」

 葉月ねえちゃんは即答した。最初からそう問われるのを知っているかのように。僕も間髪いれずに「その通りです」と同調した。

「富本さんの言う通りです。自由研究じゃなくて、僕ら、実は家出中なんです」

「あっさり白状するんやな。まだ何か隠しとることあるんとちゃうか?」

「とんでもない。僕らは自分達で生きていこうと思って、親に黙って二人で家を出ました。だよね、葉月ねえちゃん?」

「そうそう。決して自殺なんかではなく」

「自殺?」

 どうして、いつも余計なことが次々口から出るんだろう。

「自炊です、自炊。二人で生きるなら、自分でご飯が炊けないとダメでしょ?」

「確かにそうやな。飯を炊くんは暮しの基本や。でもなあ、他にも問題はあるで。家はどこで住むつもりや? 学校はどうする? 先立つ金も働かんと手に入らんし」

「そこまでは考えてませんでした」

「いや、そんな問題やないな。そもそも家出をして、お父ちゃんとお母ちゃんを心配させるんはあかんで」

「心配してくれる人達が身近にいたら、最初から家出なんかしません」

 葉月ねえちゃんの冷たい一言だった。演技ではない本音の響きがあった。

「何か事情があるみたいやな。まあ、わしもどうこう言える立場やないな。お前の家出の手伝いもしてもうたし」

「警察の人に捕まっても、富本さんのことは絶対に言いません、ねえ、タイくん」

「はい」

「仲のええ姉弟や。なんで、家出なんかした?」

「僕は中学受験を控えてるけど、本当はやりたくないんです。でも親がやれってうるさくて。塾や家庭教師ばかりの毎日が嫌で家出しました」

「私も将来がなんとなく不安になって、なんとなく家出をしました」

 従姉のすごく曖昧な回答に、具体的な理由を話した自分に後悔した。

「そうか。そら、家を出たくなるわな。家にくすぶってるよりマシや。親子は仲がいい時もあれば喧嘩をする時もあるわな。話し合いっていうても、大人と子供ではどうもならん。でも、自分の子供が突然いなくなったら、どんな親でも悲しむで」

「ホントですか?」

「おう。だから家出してみんと分からんな。だから、いっぺんぐらい心配かけさせた方がええ。腹ん中に嫌なもんため込んだまま、仲よくしててもいつかはダメになる。人間はな、一人になって自分ちゅうもんを考えてみなあかん。今はメールとかケータイとかあって、それも難しいやろけど」

 カーラジオから再び流れ始める演歌に耳を傾けて、僕は将来のことを考えてみた。自分だけがいなくなった後の世界。父さんと母さんはどう過ごしていくつもりだろう? 

 もしも今、自殺を思いとどまって家に帰ったとして、心に重りを残したまま、僕とお父さん達と今までのように暮らせるのか?

 ダメだ。そんなの考えるな。もう一人の自分が脳をかき混ぜてしまう。

「俺もな、お前らの頃に家出したことがあるねん」

「富本さんがですか?」

「俺の親父は、働き者だが酒癖がちと悪うてな。よく警察の世話になってるのが恥ずかしくて、この家から出ようと思うたんや。と言っても、またガキやったから金もあらへん。それで考えたんが、川下りやった。ゴムボートで近所の川を下ったんや」

「目的地も何もない。ただ遠いとこまで行きたかったんや。行けるとこまで行ったら、数日後、河口から海に出た。そこで漁船に拾われた」

「お父さんに怒られた?」

「いや、何も言わんかった。わしも一発叩かれるものやと覚悟しとったんやが、帰り道は互いに無言でな。代わりに、お袋に怒られたがな。親父は相変わらず酒好きのままやったが、前みたいに酔っ払うまで飲まんようになった」

「富本さんが家出して、お父さんは反省したんでしょうか?」

「分からん。そんな親父も二十年前に亡くなってしもうた。死ぬ数日前に、あの時になんで怒らなかったのか理由を聞いたらな、ただ一言だけ口にしたんや。『すまんかった』てな。わしもあの時家でなんかせんで、面と向かって言えばよかったと反省しとる。人はな、知らない間に愛想をつかされていなくなられるのが一番辛いものはない。それやったら、ガチで喧嘩した方がええ」

「それでもお互いに分かり合えなかったら?」と葉月ねえちゃんが言った。

「その時はさすがに別々に暮らすしかないな。うちの娘がそうや」

 富本さんに子供がいることに驚いた。そんなガラには見えないから。

「まあ、娘いうても、もう三十になる子持ちやけどな」

「喧嘩して別れたの?」

「昔、進路のことで言い争いになった。あいつは留学をしたいと言うて、アメリカへ行ってしまった。住所は知ってるけど、ろくに連絡はしてへん」

「そんなのあんまりですよ」

「そうやろ、ボン。ええか、人は世の中で生きると、絶対にそいつを大事に思うやつが一人はおるもんや。本人が気づいとらんだけでな。大事なんは、絶対にそいつを悲しませたらあかんちゅうことや。結局、自分も悲しむことになる。俺も、あいつとはもう仲直りできへん気がする」

「絶対に娘さんだって富本さんに会いたがってますよ。ただ、きっかけがないだけで」

「ほうか?」

「きっとそうですよ!」

「よし、ボンを信じよう。病気か事故にでもなれば、あいつも飛んできてくれるやろ」

 今の僕は、自分でも恐ろしいほど、心の中で冷静に考えをまとめつつあった。

 計画がおかしくなりそうだ。修正しないといけない。

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