真夜中のマヌケなヒッチハイカー
繁華街の外れにある道路をしばらく歩いた後、僕らの足は高速道路の入口の料金所近くで止まった。ここからは車に乗せてもらうしかない。葉月ねえちゃんの提案でヒッチハイクをする作戦を始めて、もうすぐ一時間が経過しようとしていた。
その間、道に向かって、手を突き出しながらじっとしていた。銅像みたいに瞬き一つせず。
コイツに題名をつけるとしたら、こうだ。
『バカでマヌケでアホなヒッチハイカー』
うん、お似合いだ。
「もう午前一時になる」
「そうね」
「こんな深夜にヒッチハイクなんて上手くいくと思う?」
「ここら辺でヒッチハイクをする少年と女子高生の幽霊が出るって噂がなれば」
「ヒッチハイクは初めてだけど、はっきり言うよ。絶対うまくいきっこない」
「すぐに諦めるのはよくないわ。継続は力なりって言うじゃない」
「無理。絶対無理だね。止まってくれる車なんてあるわけない」
「タイくんのことをダメくんって呼んじゃうよ」
「僕が運転手なら絶対に止まりたくないね。そのまま通り過ぎてやる。もっと腹が立ったら、そのまま轢き殺してやろうと思う」
「どうして、そう思うの?」
「自分の手を見なよ」
道路を行き交う車に向かって突き出している手を見つめながら、葉月ねえちゃんは首を傾ける。まだ気づいていないのか?
「何もおかしくないなんかないじゃない。テレビの旅番組でさ、お笑い芸人がこうやって指を立てていたら、すぐに車が止まって乗せてくれたよ」
「ヤラセだと思うよ、それ」
「しかもね、乗せてくれた車の運転手が、偶然にも芸人の知り合いだったの」
「ヤラセ以外の何ものでもないね。それとさ、その芸人は親指を立ててたんじゃないかな? 乗せてくださいっていうジェスチャーだ。でも、今の葉月ねえちゃんを乗せてくれる車はない」
「なんで?」
「中指なんか立ててるからだよ!」
こみ上げていたイライラを一気に噴火させ、僕は大声で言った。
天然気味の葉月ねえちゃんは何も知らないくせに、行き交う車に向かって中指を立てていたのだ。時々、クラクションを鳴らされたし、ついさっきだって、強面の運転手が窓から顔を出して、「バカヤロウッ!」と怒鳴ってきたのも、これが原因なのだ。
さすがの僕も気づいたけど、あえて言わないでおいた。本人が気づいてくれるのを期待したのだ。だが、この従姉の答えは、
「あんなに怒ることないのに。変な人だよね、タイくん」
変なのは、あんただよ。
やっぱり、他人に対して、自分くらいのレベルがあると期待すべきじゃない。
「ヒッチハイクって中指じゃなかった?」
「乗せて下さいって頼んでるのに、ケンカを売ってどうすんだよ」
僕は地面の石ころを蹴っていたが、とうとう我慢できずに親指を立てる仕草をした。一人より二人でした方が拾ってくれるかもしれない。
持久戦を覚悟していた矢先、なんと、一台のトラックが目の前で停車した。大きなトラックでクリスマスツリーみたいに電飾をたくさんつけて、目が痛くなるほど車体を光らせている。
ぜいたくは言っていられない。止まる車があっただけでも御の字と考えるべきだと、「ありがとうございます」と運転手に挨拶しようとして、僕は言葉を失った。
トラックの運転手は、いかにもガラの悪そうなおじさんだった。パンチパーマにサングラス、クマのような無精髭に笑顔で輝く金歯ばかりの口。ハンドルを握る手はつゴツしていそうで、丸太のような腕には刺青らしきものまで見える。
ヒッチハイクのデメリット、それは地獄に仏の運転手を選べないことだと思い知らされた。
「どこまで行くんや?」
運転手のおじさんはガラガラした低く渋い声で聞いてきた。
「あ、あの、僕達、その、ええとですね」
僕の舌は氷の上でスリップしたタイヤみたいになって、ろくに呂律が回らない。こんな怖そうな人と話すのは初めてだし、普通なら一度も関わり合わないはずだから。
「私達、あすなろ海岸まで行きたいのですが、近くを通りますか?」
葉月ねえちゃんだけはブレない。度胸があるより、無神経なだけかも。
「あすなろ海岸かいな。ちょうど、途中通る道やから乗っていけや」
僕の背中を葉月ねえちゃんが突いた。先に乗れ。仮面のように固い表情がそう命じる。仕方なく車の中に乗り込んだ。次いで、葉月ねえちゃん。
恐ろしいことに気づいた。僕は怖いおじさんの真横。彼女は、いざという時に一番先に逃げられる窓側の席だった。僕は見事にはめられたんだ。
「ありがとうございます」
「気にせんでええ。世の中は助け合いやからな」
運転手のおじさんはギアをあげると、デコトラがけたたましい唸りを上げて発進した。座席が高いので、目の前の道路を上から見下ろす形になる。
このおじさんはきっと堅気の人じゃない。僕は改めてそう思った。こんな人が通学路にいたら、防犯ブザーの大合唱が起こる。
「ボウズと嬢ちゃんらはどこから来たんや?」
「この近くに住んでまして……」
「なんで、こんな夜遅くにあすなろ海岸まで何しに行くんや?」
「自由研究です」
「ほうか。あそこは空がきれいやからな。今夜は晴れやし、星も少しは見えるな。でもな、子供が二人だけやと危ないで。オトンとオカンには言うてるんか?」
「こっそり家を抜け出してきたんです」
葉月ねえちゃんの一言に、僕は色々な意味で焦って、こう付け加えた。
「二人とも仕事で行けなくなったんです。代わりにお姉ちゃんが一緒に付いて来てくれたんです。でも、親にはちゃんと言ってます」
「ほうか。弟思いのええお姉ちゃんやな」
「あの、おじさん」
「俺は富本っていう名や。ボンとお嬢ちゃんのなんていう名前なんや?」
「私は葉月といいます。この子は弟の太陽。あの、富本さんは運送屋さんですか?」
「うん、そうや。なんちゃって」
唐突に放たれた寒いダシャレに車内は凍った。葉月ねえちゃんが僕の脇腹をつつく。一瞬だけ笑みを浮かべた。(笑ってあげて)という合図だろう。
「あははは」と適当に笑っておいた。
「まあ、運送屋いうても走るんは夜中ばかりやけどな」
「夜に走るんですか?」
「そうや。例えば、ボンが遠くにおる親戚に歳暮を届けるのに、翌日に指定するやろ。するとな、俺みたいなドライバーが夜の間に渡す先の営業所に持って行くんや」
「でも、夜に走るのって大変じゃないですか?」
「楽やないな。夜の高速道路は昼間よりも混んでへんからビュンビュン行けるけど、時間通りに目的地へ着かんとあかんしな」
「大変なのに頑張るんですか?」
「大変やけど、車の運転が楽しいからかもしれへんな」
「おじさんが少し楽できるように、荷物をたくさん出さないようにしないと」
「ハハハッ! そしたら、わしの仕事が減ってまうで」
富本さんが豪快に笑った。顔をよく見ると、案外年をとっている。五十歳後半くらいかな。
「富本さんはおいくつなんですか?」
葉月ねえちゃんがふいに尋ねた。僕の心を読み取ったのか、同じタイミングで同じことを考えていたのかは知らない。
「まだ六十三や。二十で免許を取ってからは、車を走らせる仕事ばかりしてきた。観光バスを二十年、トレーラーを十年、タクシーを十年、ほんで、三年前に運送屋に鞍替えして今に至るちゅうわけや」
「本当に車の運転が好きなんですね」
「そうや。わしからハンドルを奪ったら何も残らん。だから、今こうやって高速走っとる途中にポックリ逝けたら本望やな」
「そうなんですか、アハハハ……」
僕はなんとか相槌を打ちながら、このトラックが海岸近くに着いてくれることを祈った。知らない大人と世間話なんて長く持つわけがないし、下手に口を滑らせてしまいかねない。
葉月ねえちゃんなんか、テレビに出てくる政治家みたいに何度失言するか気が気じゃなかった。瞬間接着剤があれば、今すぐにでもその薄く軽い唇を塞いでしまいたかった。
「ところで、ここからあすなろ海岸ってどれくらいかかるんですか?」
「そうやのぉ……あと三十キロくらいで県境やから、そこから二十キロ行った先のインターチェンジで降りて、二時間くらいやろかな。順調に行けたら、もっと早ようなるかもしれん」
現在時刻は午前一時半ちょっと過ぎ。到着時間はおよそ午前三時くらいか。夜明けは五時なので、時間は余裕にある。今までの遅れを十分取り戻せる。
もっとも、トラックが予定通りにスムーズに行ってくれたらだけど。
「しかし、こんな夜更けに自由研究か。ギリギリやのお。ボンは夏休みは遊びすぎたんか?」
「いいえ、勉強のしすぎです」
これだけ言っておきたい。神様に誓ってもいい。一秒だって遊びほうけたことはない。
「ホンマかいな。でも、最近は物騒やさかいな。帰りは電車か?」
「はい」
「よかったら、途中の駅まで送ってもええねんで」
「でも、富本さんは仕事が」
「時間は十分余裕があるから大丈夫や」
この人の申し出は嬉しいけれど、僕らの体を家に届けるのは、おそらく霊柩車になる。
「それでは、お言葉に甘えて」
葉月ねえちゃんが平然とそう言いかけたので、脇腹をつついた。甘えるんじゃない。
「ありがとうございます。でも、僕達は心配には及びません。お父さん達が朝に迎えに来てくれるんです」
「そうか、よかったな。おっちゃんも安心したわ」
僕は、この少ない時間で嘘をつくのがうまくなった気がする。これなら受験の面接でも心にもない志望動機を即興で言えるかもしれない。
「よっしゃあ、おっちゃんも頑張って急ぐからな。急がんと星が見れんかったら大損や」
「綺麗な星が見えたらいいね、お姉ちゃん」
「そうね、タイくん。二人のはかない命が夜空に上がって、きれいな星になれるといいね」
僕は大きく咳払いしてごまかした。この人は従弟の努力を水の泡にしようとしている。天然なのか、わざとなのか。どちらにせよ、腹が立つことに変わりはない。
「はははっ。おもろい姉ちゃんやの」
富本さんはゲラゲラ笑いながら、タバコを吸おうして途中で止めた。僕は遠慮はいらないと申し出たが、「今晩だけ禁煙や。これもいい機会やからな」
富本さんは本当にいい人だと思った。最初は怖そうな人だと思ったけれど、本当にこの人の車を拾えてよかった。よくよく考えたら、この人は、僕らが人生最後に出会った相手になるかもしれない。
トラックは果てしなく続く高速道路をひた走った。夜中なのに自動車がチラホラ走行している。普段寝ている時間帯もこうして働いている人がいるから、皆は便利な暮らしができるんだろうな。今までの僕らも含めて。
七色に輝くテールランプをぼんやりと眺めながら、僕はまぶたが重くなっていく。




