どちらもいらない子
僕らは公園を抜けて、大きな夜道に出てからひたすら進んだ。横の大きな車道では、車が何台もが通過していく。ヘッドライトがまぶしく、行ったり来たりしている。
「おととい、マンションの屋上から飛び降りた中学生二年生のYくん、家を出た時間とマンションに入った時間まで二時間も差があるんだって」
葉月ねえちゃんがスマホを眺めながら言った。
「どういうことなの?」
「近くのショッピングモールの監視カメラで映ってたとか、公園で彼を目撃した人とかいるんだってさ」
「歩きスマホは危ないよ」と注意したそばから、彼女は電柱に頭を打った。
「大丈夫?」
心配して呼びかけたが、葉月ねえちゃんは頭を抑えながらも平然と歩き始めた。
「どうして、彼は死ぬまで二時間も歩き回ってたと思う?」
「死ぬための場所を探してなんじゃないかな。最後に行き着いた飛び降りたマンションが、たまたま目に入って、そこを選んだのかも」
「私は少し違うと思う」
葉月ねえちゃんは暗い空を仰いだ。周りが明るいせいか、空には星が見えない。
「Yくんは、たぶん、きっかけを探していたの」
「きっかけ?」
「自分が死ななくてもいい理由。さっきの私達みたいに警察官に補導されるとか、面白そうな漫画やゲーム、映画のポスターを見つけるとか、おいしいお菓子を買うとか、死ぬどころじゃないような、トラブルに巻き込まれるとか」
「生きていて楽しいことか。でも、結局は見つからなかったみたいだね」
「そうね。小さなことでもよかったの。そうすれば、Yくんも考え直したかもしれない」
葉月ねえちゃんの話を聞くうち、僕は少し不安になった。話題を変えようと、さっきの逃亡劇で疑問に思ったことを打ち明けた。
「あのさ、ゲーセンから逃げた時、なんで女子トイレに逃げられる窓があるのを知ってたの?」
「タイくんは男の子だから知らないけど、女子トイレの個室には、必ず一室に一つずつ窓がついてるんだよ」
「そうなの?」
「今度、学校の女子トイレで確かめてみて」
「バカ。ところで、さっきのクローディアとジェイミーって誰だよ?」
「昔、家出をした姉弟。私達と違って計画的で、ニューヨークのメトロポリタン美術館に住み着いたの」
「へえ。すごいね」
この従姉はよく与太話をするから、僕は信じていない。
その時、不気味なメロディがけたたましく鳴り響いた。葉月ねえちゃんのスマホの着信音だ。
「ママから」
「取るなよ」
言うより早く、葉月ねえちゃんは電話に出てしまった。
(葉月、あんたは今どこにいる?)
「家の外」
(そんなの分かるわよ! 明日から学校だというのにどういうつもり? そんなので大学受験がうまくいくと思ってんの。あんたには高校受験の失敗をキッチリ埋め合わせしてほしいっていうのに! お母さんがどけだけ恥ずかしかったと思ってるの。二葉や太陽くんも慰めてくれたけど、影ではあんたを笑ってるわよ。少しは性根を入れ直しなさい)
「……うん」
(それより、あんた、太陽くんを知らない? 今、二葉から電話があって、太陽くんがいないって私に聞いてきたの。あの子が勉強のし過ぎでガイコツになったとか、訳のわからないことをわめくのよ)
二葉というのはお母さんの名前、ちなみに、おばさんは一葉。名前は似ているけど、双子じゃない姉妹である。おまけだけど、僕のお父さんの名前は幹夫。
ていうか、あの偽装トリックは二時間くらいしかもたなかったのか。あのガイコツ、最後まで役に立たなかったな。
(あんた、太陽くんを知らない?)
「知らないって言って」
僕は声を拾われないように耳元でささやいた。
「え、何が?」
「だから、僕と一緒じゃないって言って」
「聞こえないよ」
「だから、僕は一緒にいないって言えって言ったんだよ!」
つい大声で喚いてしまった。当然、向こうにも丸聞こえである。
(その声は太陽くん? 太陽くんだよね。どうして、葉月と――)
葉月ねえちゃんはスマホを力一杯に投げた。スマホは放物線を描きながら、車道の向こうにある堤防に消えた。
「行きましょう」
葉月ねえちゃんは何もなかったかのように歩き始める。顔は下に向いたまま。
「ママは、私は社会不適合者なんだってさ」
「社会不適合者?」
「社会に出られない人のこと。滑り止めの高校に入ってから、毎日のようにそう言われてるの。あんたは不適合。葉月はもうダメ。うちの娘は失敗作って」
「葉月ねえちゃんはおかしいところもあるけど、いくらなんでも言い過ぎだよ」
「でもさ、毎日言われると、本当にそうかもしれないって気がしてくるの。私は社会不適合者かもしれない。ううん、きっとそう」
「ネガティブになる必要ないよ」
「私、ポジティブになれるほどの能天気に生きられないの」
いや、僕の目からは脳天気に生きているようにしか見えない。
「それが葉月ねえちゃんが死のうと思った理由?」
「理由の一つ。他にもたくさんあるの」
「学校でいじめられてるの?」
「ううん。誰も話しかけないだけ。悪口を言われたりしないけど、相手にもされない」
「そういうのを、ハブられてるっていうのだよ」
「そうかもね。でも、本当の理由は、私はこの世界の住人じゃない気がするから」
「この世界の住人?」
「この世界ではね、他の人達と同じものを好きになって、嫌いになって、同じ考えを持たないといけないの。個性を尊重って言われているけど、それはみんながいいと思ったものだけ。私って、そういうのダメなの。人に合わせて生きるなんて、死ねって言われてるみたい」
「でも、葉月ねえちゃんは出来そこなんかじゃないと思う」また自然と口が出ていた。「誰も、悪く言う資格なんてない」
「タイくんは、私のことをバカって言ってるよ」
「おかしいところもあるからね。でも、葉月ねえちゃんは賢いよ。きっと、将来は偉い人になるかもしれないし、アーティストになってるかもしれないよ」
「タイくんだって自分を分かってる。きっと、大人になる前に目が覚める。まだまだやり直しができるよ」
「葉月ねえちゃんだって、まだ遅くないよ。今からでもやり直しが――」
そこまで言うと、僕は口を閉じた。葉月ねえちゃんはキョトンと首を傾げた。
何をするためにこんな場所を歩いているのか忘れたわけではない。
今の現実が辛いから脱出するために自殺するんじゃないか。どうして、お互いに慰め合っていてどうする? ここで逃げたら駄目だ。死ぬのを怖がるあまり、こんな世界にもいいことがあるんじゃないかと期待すべきじゃない。
将来、どうなるかなんて分からない。葉月ねえちゃんは伯母さんの言う通り、ろくに初回に適応できない大人になっているかもしれないじゃないか。僕はいい歳をして親のレールしか歩けないダメな大人になっているかもしれない。
今を頑張って生きたからといって、明るい未来が待っているとは限らない。
「僕は諦めないよ。絶対、あすなろ海岸を目指すから」
「わたしも」
僕らは、正午の少年とは違う。寄り道もせず、わき目も振らずに夜道を歩き始めた。迷うことなく、死に場所に向かって。




