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死にたくなる日曜日の朝


『中学二年生の男子、マンションの屋上から飛び降りか?』


 牛乳でふやけたコーンフレークを口に運びかけ、僕は思わず手は止めた。どうしても気になるニュースが、テレビから流れたからだ。今日は八月三十日の日曜、時間は午前八時一五分くらい。小学生最後の夏休みが明日で終わろうとしていた。

(きのう夕方、H県のI市に住む中学二年生のYくんが、自宅近くのマンションの真下で倒れているのが発見されました。病院へ緊急搬送されましたが、全身を強く打ち、現在も意識不明のままです。マンション屋上には本人が書いたとされる遺書が見つかっており、警察は、少年が自殺をはかったと見ており、関係者から事情を聞いています。Yくんはクラスでは人気者で、自分から掃除当番をしたり、友達に勉強を教えるなど、リーダー的な生徒でした。事件を知った関係者一同は困惑しています。

 ……今入った速報です。M高速自動車道で大型トレーラーが横転する事故が発生しました。幸い、運転手は軽傷でしたが、横転したコンテナから、出荷された子ブタ数十頭が逃げ出し、今なお道路を封鎖しているとのことです)

「そろそろ支度なさい、太陽。今日は塾で模試じゃないの?」

 キッチンの奥から、お母さんの神経質そうな声が飛んだ。

「ごちそうさま」

 僕は急いで階段を駆け上がった。二階にある自分の部屋へ飛び込み、ホラー映画の怪物から逃げるかのように、ドアを内側から慌ててロックする。

 薄暗い部屋に立って、乱れる息が静まるのをひたすら待った。

 少しホコリが舞っている。きれいな空気を取り入れた方がいいと思ったけれど、窓を開けるのが面倒なので止めた。換気をしたぐらいで、重苦しい空気が軽くなるわけでもない。

 この部屋に置いてある物を説明しよう。勉強机とベッド、参考書に受験生必須の赤本などが入った棚。はい、おしまい。本当にそれだけしかない。お母さんが言うところの、脳みそをにぶらせるテレビもゲームもパソコンもマンガの類もない。代わりに、部屋の壁にスローガンを書いた紙がペタペタと貼られているが、殺風景な部屋を明るくする効果にもなっていない。

『試験まであと×日』、『桜咲くまで集中あるのみ!』、『時間はお金。一秒も無駄にするな!』などなど……。天井にまで『寝るな!』、『睡魔はぜいたく。ぜいたくは敵だ』。そう、ちょうどベッドで仰向けになるとイヤでも目に入る仕組みになっている。

 この独房の囚人の名前は、宮島太陽という人らしい。

 身長はクラスに三番目に背が低く、運動はからっきしだが、勉強ばかりしてた甲斐もあって、成績はクラスでは一番。普通なら自慢するだろうけど、今年、晴れて受験生になったせいで、本人はそれどころじゃない。

 来年の一月に親の決めた学校を受験するまでの間、起きている間は休みなくペンを走らせなくてはいけないし、頭をフル稼働で働かせていないといけない。

 宮島太陽、小学六年生にして哀れな受験生。

「そう、この僕さ!」

 誰もいない壁に向かって、僕はまた独り言をしてしまった。

 おかしなやつって思ったろ? だけど、僕は幼稚園に入る前から足し算や引き算や平仮名を習わされた。小学校に上がって間もなく、九九をみっちり覚えさせられ、六年生の内容を四年で習い終えた。その間、友達と呼べるやつも作らずに、一人で教室の隅でもくもく自学自習をしていたんだ。誰だって、頭のネジの一本や二本は落とし、周りから浮いてしまうものだろ。

 どうしてそこまで頑張るかというと、すべてはあなたの将来のためなのよと、お母さんは常日頃言っている。僕も疑問を持たず、親孝行なガリ勉になったつもりだった。よく、世間では僕らのことをゆとりだとかバカにする人はいるが、勉強している人はいるし、死ぬほど頑張っている奴だっているのだ。

 けれども――そんな僕でさえ、今、頭を抱える問題に直面していた。

 あれはさかのぼること七月末――受験生の僕は、二つの塾と家庭教師を同時進行に受けながら、わずかな時間を使って夏休みの宿題を仕上げていった。受験勉強に多くの時間を割きたかったので、八月を迎えるまでに必死で終わらせた。

 そう、終わらせたはずだったのに……。

 今朝、トイレに入った時、宿題のいまいましい生き残りを思い出した。

 その名は自由研究。読んで字のごとく自由な研究。問題集みたいに問題も答えもないので、自分で考えなくてはいけない。当然、数時間かそこらで終わる代物じゃない。

 おまけに僕のクラスでは、二学期最初のホームルームを使い、自由研究の発表会をすることになっている。一人につき三分間、夏休みに作った研究の成果をクラスの前で披露する。そして、発表ごとに担任の柴田先生が感想を述べていく。

 しかも、今年は小学校最後の自由研究である。最後ぐらいは、少し背伸びをしてでも独創的な研究を発表して、先生からほめられたり、クラスの皆から喝采を浴びたい。だって、六年生だよ。来年には中学生なはずの最高学年にもなって、研究のお題がヒマワリの観察はさすがにないよね? それじゃあ、自分がバカと言っているようなものだろう。

 でも、時間が絶対的に足りない。提出が明後日だから。インターネットからネタをコピペして提出、なんて考えたけど、この方法はムリ。柴田先生のチェックが厳しいから。発表の前に『自由研究、パクる』とか、『読書感想文、丸写し』とかのキーワードをネットで検索しまくり、生徒が利用しそうなサイトをしらみつぶしに調べているらしいのだ。

 しかも、去年の夏、自由研究が市のコンクールで金賞を取ったせいで、今年も頼むぞ、期待しているぞと、僕に勝手にハッパをかけている。

 自由研究のネタなんてすぐには浮かぶはずもない。一日が過ぎるたびに焦りは募るばかりで、いっそ忘れたままの方がよかったかも。

 夏休みの一日は、日中は別々の学習塾を掛け持ちし、夕方は家庭教師が埋まり。ファッションモデルの体脂肪みたく、余分な時間は削られ、消しゴムのカスみたいな休み時間といえば、風呂とトイレ、そして夢の中くらいしかない。

 チリも積もれば山となるように、焦りも積もれば絶望へ変わっていく。僕の頭は冗談抜きで爆発寸前だった。

「はあ……死にたい」

 最近、この口癖が口から出るたびに、面倒なことがどうでもよく思えてしまう。

「太陽、早く塾へ行きなさい! 遅刻するわよ!」

 一階から母さんの怒鳴り声(怒りはおよそ六〇%)で我に返った。机に出しっぱなしだった画用紙を丸めて、机の引き出しの奥に入れて鍵をかけると、急いで着替えを済ませた。

 自由研究、自由研究。どうしよう、ホントにどうしよう……。

「もうダメかもしんない……死にたいな」

 ああ、また言っちゃったよ。今年のマイ流行語大賞が、“死にたい”なんてかなりヤバすぎる。

「太陽! 早くなさい!」

 ヒステリックなキィキィ声(怒り度は八〇%超え。そろそろ危ないな)が響いた。

 僕は塾のダサいロゴ入りのカバンを持つと、ため息だけを残して部屋を出た。

「マジで死にたい」

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