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看護師ミツルの事件簿  作者: 瀬夏ジュン
7/12

第6話 大学病院外科病棟

 当時はスマホなんてモノは、なかった。

 今でいえばガラケーのような携帯だった。

 ピッチと呼ばれるPHSというヤツもあった。

 携帯アプリは貧弱。SNSは盛んではなかった。

 つまり、メールはパソコン同士でするものだった。


 築25年のアパートの小さなワンルームは、リビングであり、キッチンであり、かつ書斎でもある。その真ん中に大きな面積を占領するテーブル。自分で組み立てたせいなのか、足の高さがそろわずカタカタ微妙に傾く。頭上の蛍光灯は、いつになってもLEDに置き換わらない。降りそそぐ青白い光のもと、林檎マークのノートパソコンが孤独に輝いている。なけなしの貯金とひきかえに来てくれたそれを、ぼくはひらく。


 サユリさんから返信が届いていた。

 


メールありがとう!

うれしい!

入院中はたいへんお世話になりました。

いろいろミツルくんがしてくれたから、楽しかったです!

ぜんぜん腫れなかったので、おどろきました!

さすが渋谷先生!

わたしの父のお店、もちろん、モツ鍋のお店もあります! 

病院の近くだったら「モツ鍋 七天皇塚しちてんのうづか」

澄んだスープがおいしいの!

ほんとは恵比寿のお店が一番おいしいんだけど!

でもどこでもいいわ! ミツルくんと一緒なら!

都合のいい日をお知らせいただければ幸いです。


サユリ♡


PS:たくさんお話ししたいです。



 びっくりマークがやけに多いよね。

 いろいろしてくれたって、ちょっとヘンだよ。

 七天皇塚って、なんか伝説っぽくて怖い名前だなあ。

 でも、モツ鍋に澄んだスープっていうのが、めちゃウマそう。


 そう。

 病院で起きた事件のことは、書いていない。

 けれど、サユリさんはうち明けるつもりだ。

 PSはそういう意味だろう。

 動機も教えてくれるだろう。

 これで、スエヒロ病院の怪事件は一件落着。


 落着?


 まさか。

 すっきりしないよ。

 まだ何かある気がするんだ。

 旭先生がどんな人なのか、知りたい。

 ここは肝胆膵の名医に会いに行かなくちゃ。

 シッポがつながる時代遅れのマウスをクリックする。

 安アパートの一室に灯る蛍光灯が、50Hzで点滅している。

 そのまわりを、ちいさな羽根を持つ虫が何度も輪を描いて飛んでいた。

 




 スエヒロ記念病院の形成外科病棟に、ひとりのおばさんが入院していた。農作業中に長いクギを腕に刺して、化膿させてしまった。赤く腫れあがった前腕は、渋谷先生の最小限の切開と連日の適切な洗浄、投薬で速やかに軽快した。明日は、もう退院だ。

 農家のおばさんは、10年前に胆嚢の石を体外超音波で破砕したことがあるそうだ。現在までに新たな胆石は出現していない。

 けれど、彼女はいうのだ。


「痛いような気がするんだよねえ。なんかあるような気がするんだよねえ」


 画像診断では何も見当たらない。痛みがあるの? ときいても、


「そんな気がするだけなんだ」


 という。

 まあ、何もないだろうな。

 けど、こういうのを見過ごしてガンだったりすると困るので、かかりつけとは別の専門医に見てもらうことを、ぼくはオススメしていた。


 この症例を、ぼくは利用した。


 スエヒロ病院の看護師のコスチュームは、東和大学病院のそれと全く同じ。

 すっとぼけて、ぼくは大学病院に潜入した。

 何科の者ともつかない看護師が、偶然を装い、助教授に接触した。東和大学病院外科病棟のナースステーション。回診から戻った直後の空隙を突いて、ぼくは旭先生に話しかけた。


「先生、お忙しいところ、ちょっといいですか。胆石破砕後10年になる患者さまが、腹部に違和感があるとおっしゃっていて……」


 名医がふり向いた。浅黒い肌と、20代といっても通用しそうな精悍な雰囲気は、ぼくが知っているそのままだった。けれど、ニガ虫を嚙みつぶして味わっているような頬の引きつれ、はるか上から視線を降らせるような目。

 ポスター写真のさわやかな表情は、どこにも見つけることはできなかった。

 気にせず、ぼくはいう。


「画像では石は確認できませんが、胆石後の悪性腫瘍はよくあるときいたもので。なんでも、胆石患者の60%が、胆嚢ガンを併発するとか——」


「なにをいってる」


 りりしく浅黒い顔が、エサに食いついた。


「それは、胆嚢ガンの手術をした患者の60%に胆石が見つかっている、という話だろ、間抜け。見ない顔だな、どこの科の者だ? お前みたいなゴミがのさばっているから、東和大学は一流になれないんだよ」


 怒りとも蔑みとも、あるいは小さな虫を踏みつぶす快感ともとれる色を瞳に宿し、名医がにらむ。

 ぼくは愛想笑いで頬を盛り上げる。


「勉強不足で失礼しました。超音波(エコー)をお願いしたほうがいいでしょうか?」


「うちは忙しくてだめだ。紹介状を持って西分院に行け。三流病院はヒマだから。あと、エコーより造影CTだ、バカ」


 たしかにこの医者は、凡庸な人間にはない切れ者の貫禄を発散している。

 しっかりとした考えを持ち、手術もうまそうに感じる。

 それに、20才若く見えるイケメンだ。

 けれど、こんなヤツより横芝先生のほうが100倍尊敬できると、ぼくは思った。


 彼が去ってからも、ムシャクシャしたものが腹から消えそうになかった。自分でも意外だった。その時のぼくは、シッポを丸めつつもキバを見せている野良犬のようだったろう。よほど哀れに思ったのか、ひとりの看護師が小さく声をかけてくれた。


「いちいち気にしてたらソンよ」


「先生、いつもあんななの?」


「みんな慣れてるわ」


「でも、かっこいいからモテるでしょ」


「美人には態度が全然違うの」


「遊び人?」


「ん〜、わたしの口からはいえないわ、ははは」


「泣かされた女のひとは数知れず?」


「ん〜、ノーコメント、ははは」


「60才以上はオペしないの?」


「ん〜、はははは」


 だいたい分かった。

 ぼくの隠密調査は、一定の成果を終えて終了した。


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