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看護師ミツルの事件簿  作者: 瀬夏ジュン
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第4話 渋谷ヒカル先生

 イジワルをする前の高揚のような。

 あるいは、怖いもの見たさのような。

 久しぶりの気持ちがぼくをせかした。

 個室のドアをあける。

 するとやっぱり、いいにおい。


 いいにおいなのに、サユリさんはもういなかった。荷物もない。空っぽ。


 あらら、出てっちゃったか。

 仕事が終わるの待っててくれるはずだったのに。デートだったのに。

 フラれてしまった。

 モツ鍋食べるのも、ちょっと先になったなあ。


「つい、さっきよ」


 背中に声。

 ふり返ると、そこには、ぼくの……。

 

「退院した。あなたのサユリさん」

 

 もう少しで肩に届く栗色の髪。

 背が高く見えるのは、小ぶりな顔のせいだ。

 黒ブチのメガネが大きく見える。

 ぼくは知っている。

 メガネを外した時、けだるい瞳は大きくきらめくことを。彼女は別人になることを。


「渋谷先生」


 渋谷ヒカル先生。

 女性。

 去年専門医になったから、年齢はギリ20代。

 独身。

 形成外科うちには医者は渋谷先生しかいない。

 いわゆる、ひとり医長。

 オペの時だけ、彼女はストレートの髪をうしろにまとめる。

 まとめると、人が変わる。

 手術の鬼、完璧主義者。

 彼女はぼくの……。

 ぼくの女神。

 美の女神、知の女神、愛の女神。


「残念だったね、ミツルくん」


「い、いや、その……」


「メッセージを預かってるわ」


 小さなものを、ぼくに差し出す。

 滑らかな白い頬をわずかに盛り上げて、彼女は笑みを作った。

 メガネの奥の瞳は、深い湖のよう。

 たくさんの秘密で満ちて、湖面が光る。

 いつか誰かが解き明かしてしまうのだろうか。

 そんな大それたこと、いつの日かぼくに出来るだろうか。


 紙切れを受け取ったぼくは、そそくさと退散した。

 なんでこうなるかなあ、もう。





『用事ができちゃったのぉ(>_<) 近日中に連絡しまぁす! あたしのメアドは↓』


 あふれる萌えの手書き文字を、にらむぼく。

 場所は男子トイレ、ほそ長くて白い便器の前。チャックはあけないまんまで、仁王立ち。


「イチモツ出さずに、なにやってんの?」


 となりに来た人物が、いきなりぼくの便器をのぞき込む。


「わっ、横芝(よこしば)先生」


 横芝サトル先生。

 男。30代とっくに突入。

 彼女いない歴、たぶん1年以上。

 皮膚科の医者。

 手術が大好き。で、渋谷先生にいろいろ教えてもらっている。

 そう。横芝先生の本命は、ぼくの女神なのだ。

 この男は、まさに恋敵こいがたき。


「はやく出して見せてよ。意外に大っきいんだろ? ミツルくんの」


 医者にはめずらしく、このひとは女の子にモテない。早く気づくべきだ。デリカシーが欠如していることと、ヒゲ面がダサいことに。


「大っきくないです。おそまつです」


「またまたぁ〜。てか、タマタマぁ〜」


 ギャグのセンスも救いようがない。


「いや〜しかし、目障りだよな、これ」


 ジッパーを下げながら、横芝先生がアゴをしゃくる。

 正面の壁に、ポスターが貼ってある。


 そこには、

《スエヒロ記念病院に、肝胆膵センター建設計画中》

 という大きな文字。

 写真もある。

 ひとりの医者の浅黒く、りりしい顔。


(あさひ)先生って、好きじゃねえんだよな、おれ」


 名医50選にも載る、東和大学の助教授、旭ツグトシ。40代なかばと若いのに、肝臓、胆嚢、膵臓の手術のエキスパートとして名をはせる。

 そんな先生をエグゼクティブ・マネージャーとする「肝胆膵の総合センター」を、この病院に大々的に設置するという。


 たいへん良いことのようだが、じつは反対の意見が多い。

 高度な治療に注力すると、地域に根ざした一般の診療が手薄になる、という声。

 または、大学でした手術の術後の管理だけうちの病院でやるのは損だ、という声。

 あるいは、かわりに切られる部署や従業員はどうするのか、とか。

 はては、もしも病院に残れても仕事が増えるのはイヤだよ、とか。

 最後のは、ぼくの心の声なのだけれど。


「形成外科おまえんとこは、真っ先になくなっちまうだろ」


「入院患者さん、少ないですからね。リストラ必死です」


「もっと美容整形をハデにやりゃあいいのに。美人のボスは、なんでも出来るじゃねえか」


「混合診療には制限があって、実質、できません」


 保険でする診療と自費の診療を、同じ施設ですることを混合診療と呼ぶ。

 渋谷先生は自費の美容領域でもピカイチのウデだ。みんなインチキ美容外科になど行かないで、先生にしてもらったほうがいいのだけれど。

 

「病院もバカだよな。旭先生と大学が笑うだけなのに」


 顔をひずませる横芝先生。

 ぼくは、こういってみる。


「患者さんのためになるでしょう、肝胆膵のエキスパートが診てくれるんですから。とくにガンの患者さんたちには朗報です」


「ほんとにそう思うか?」


 先生の目は憎悪と怒りの色に染まった。

 このひとは、根っから正直なのだ。

 ぼくの1年ぶりのキスの相手。

 イケメンと正反対のヒゲ。

 性格も、超ガサツ。

 恋のライバル。


 先生の便器には、勢いよく液体が流れる。

 じつをいうと、ぼくはこの先生が好きだ。

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