第2話 美少女看護師リエ
ぼくは鴨川ミツル。看護師3年目。
スエヒロ記念病院で働いている。
男。
中肉中背。
ロン毛まではいかない。
彼女いない歴、もうすぐ1年。
あごがれの人は、いる。
いるんだけど、飲み会でヒゲづらの男に口びるを奪われた。
ほぼ1年ぶりのキスだった。
なんでこうなるかなあ。
「そりゃあ、いわゆる美少年だからに決まってるでしょ」
タバコをくわえながら、リエはアヒル口をとがらせた。
石母田リエ。同僚の看護師。
女。
スリムなはずが、すこし体重増加中?
ベリーショートまではいかない。
彼氏いない歴、不明。
サユリさんから逃れてぼくがやってきた場所は、いつもの溜まり場、喫煙室。患者さまもスタッフも関係なく、ヤニが大好きな猛者たちが集う場所だ。見捨てられていた物置スペースを急ごしらえで改造したような部屋の作り。それはこの先、世間が彼らをどう扱うかを暗示しているようだった。
リエは、あさってのほうを向いて煙を吹き出す。
「あたしが思うに、横芝よこしば先生は女にフラれまくって、もう男でもいいと思ってるのよ」
「そうかなあ。ぼく、オモチャにされただけのような気がするよ。それに、いま先生はサユリさんに気があるかもしれない」
「だれ? それ」
「形成外科うちに入院中の患者さん。色っぽい美人」
「あんた、なんで患者さまをファーストネームで呼ぶの」
「あ、しまった。いや、本人が名前で呼べって——」
「バッカじゃないの? ほんとダメねえ、男ってヤツは」
そう吐き捨てると、リエは荒くれ者のような仕草でタバコをくわえる。化学添加物をいっさい使っていないという、めずらしいタバコだ。
彼女のきゃしゃな口びるは、害が少ないらしいプレミアムな煙を大きく吸い込んだ。この時ばかりは彼女の胸がけなげにふくらみ、ピンクのナース服がピチッと張った。タバコの微粒子たちは、少女の肉体の奥深くに向けていっせいに侵入し、末端の肺胞すべてに到達した。
そうして彼女に麻薬的なリラックスを届けた。
と思われた直後、大きな圧とともに勢いよく戻ってきた。
つまり、リエは見つめるぼくの顔にプーっと吹きかけた。
もう、煙たいってば副流煙。
「それこそ遊ばれてるのよ。わかんないの?」
「そうなの?」
「そうよ。男を惑わすのが、そういう女の生きがいなのよ」
「決めつけは、よくないよ」
「まあ、惑わされるかどうかは自己責任」
もしもリエがタバコを吸わずに、黙って大人しくしていたならば。
きっとスゴイことになっている。
なぜなら、そこらのアイドルたちよりルックスは確実に上なんだから。
天井に向かって、リエが煙を吹き上げる。
欲がないよなあ、この子は。
「そんなことよりさあ。今朝のこと、きいた?」
向き直ったリエが、耳元でささやく。
「分娩室のベッドに、血だらけの胎盤があったって。もう知ってる?」
知ってる。たいがいの職員はもう知っている。
「昨日の晩、お産さんはなかったっていうのに、おかしいわよね」
誰かがひとりで出産したのだろうか。時間がなくて、そのまま置いていったのだろうか。
「入院中の妊婦さんはいま5人いて、お腹が大きい職員はふたりいるの。でも、ぜんぶ無関係」
それ以外の患者さんで、妊娠中だった人物を探れば……。
「周囲に血は一滴も落ちていなかったってさ」
美少女の目は、なぜか輝いていた。
「なんか、不思議だよね」
ここは、スエヒロ記念病院。
6階建て、クリーム色、築20年、ボロい。
何の落ち度もなさそうな職員たちが働く総合病院。
その院内の空気が、ちょっとした非日常の色に染まっていた。
みんな気味悪がっていたし、診療の妨げにならないかと心配していた。
ワクワクしている人間なんて、探偵を気どるぼくと、相棒のリエだけだったかもしれない。