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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

転生女装シリーズ

そして、誰もいなくなった

作者: 九透マリコ

こちらは、『転生したら女装するコトになりました?』のサイドストーリーとなっております。

本編はこちらとなります http://ncode.syosetu.com/n7357eb/



 むかしむかし、とある国に可哀相なお姫さまが住んでいました。

 そのお姫さまは、とても可哀相だったので、王様は誰にも会わないで済むように森の奥のお城へとお姫さまを隠してしまいました。

 なぜ、お姫さまは可哀相だったのかというと――


 なんと、そのお姫さまは呪われていたのです。





 そこには、見るからにどれも一級品だと分かる芸術品の数々が所狭しと並べられていた。精巧に掘られた銅像や、大きな宝石と繊細な細工がかった銀細工の宝飾品、それに、滅多に手に入れられない花々をその身に入れて背景を鮮やかにしているのは年代物の壺。

 どこを見ても、目移りしてしまうほどの絢爛さに、少年はしばらく圧巻されるばかりだった。

 だが、ここにいるのは彼だけではない。先程から彼の視界の中には、色とりどりの衣装を身に纏う自分と同じ年代の若者たちが映り込んでいた。彼らも同様に、この鑑賞会に呼ばれたのだなと思いながら、彼は同行する少女と共にその中へと紛れ込む。

 そこに、ここへ来た当初から軽やかに流れていた一流の楽団の音が鳴り止み、この様々な美術品の持ち主が愛妻を伴って螺旋状に作られた階段から下りてきた。

 ミュールズ国の王族の血筋と分かる燃えたぎる炎のような赤い髪、それから相対する者を見定める鑑定眼を持つという兄とは違って、相手を射殺しかねないぐらいに鋭い視線を放つ真っ赤な瞳。戦時中に生まれて、あの戦を終わらせたのは彼の功績だとすら噂されるほど無数の傷痕は、厳つい顔を更に強面に増長させている。

 マティアス・フェル=セルゲイト公爵。国王陛下の弟君でもあるマティアスは、実は武道だけではなく大の骨董好きで様々な年代の絵画や彫刻、工芸品を集めていて、その筋の好事家として有名だった。

 そのため、定期的にそういったコレクターたちの催しも行っているのだが、やはり若い者たちを育成するのが己の役目だと自負している為、年に一度だけ陰干しするこの日に合わせて、若者だけを集めた鑑賞会を開いている。

 その美術鑑賞会に今回初めてお呼ばれしたのは、現在グランヴァル学院に在籍しているアルミネラ・エーヴェリーという女生徒で、彼の双子の妹だった。

 そう、招待されたのはアルミネラなのだが、ここに立っているのは彼――アルミネラの兄のイエリオス・エーヴェリーである。しかし、ちょうど階段から下りてきたこの城に住む主と目が合っても、全く怪しまれる事はなく。それどころか、逆にあの険しい顔を破顔させるほどに好意的印象を受けていた。

 そのギャップに内心驚きながら、今までにないぐらい体中を心臓の音が駆け巡っている彼に声を掛けてきたのは。

「ようこそ、アルミネラ。あの人ったら、ごめんなさいね。あなたを怖がらせたくないからって、遠巻きにしているのよ」

 彼の愛妻であるユーレルシアで。十の歳に政略結婚をした相手でもあるのだが、今年で結婚四十周年という仲睦まじさは噂に名高くこれまたおしどり夫婦としても有名であった。

「いえ。こちらこそ、本日はお招き頂きありがとうございます、ユーレルシア様」

 そう言って、彼は己が着込む初夏にはぴったりのライトブルーのドレスをちょこんと持ち上げながら、軽く膝を曲げてお辞儀する。彼の隣りで同じく礼をする彼の婚約者に、淑女の挨拶を徹底的に仕込まれているため微塵の粗相もないはずである。


 双子だからって、今回ばかりはヒヤヒヤものだよ。


 本当であれば、今回のこの行事に参加するのは正真正銘の本物のアルミネラの役目だった。だが、前日になっていつものように彼の部屋へと侵入してきた彼女が、珍しく深刻な表情を浮かべていたので、彼は心配になってどうしたの?と訊ねたのだ。

 ――すると。

「……イオ、聞いて。明日の訓練は、なんと近くの山へ遠征するみたいなんだ」

 ああ、という事は、遠征は僕には厳しいから入れ替わりは止めよう?だとか、山に行くなんて楽しみなのに入れ替わるなんて!という言葉が続くのか、と彼は半ば予想していたのだが。

「しかも、今回はおやつを持って行っても良いんだって!ねぇ!これって、凄くない!?」

 その瞳があまりにもキラキラと輝いていたため、極度のシスコンであった彼は次に彼女の口から飛び出した「行きたいなあ!」という言葉にNOと言えるはずはなかった。彼女がどれだけお菓子好きなのかは、たまに手作りをねだられているため身を以て知っている。

 彼女と共に来ていたフェルメールには呆れた顔を向けられて、同じ空間でお茶をしていたエルフローラとセラフィナには苦笑いを浮かべられてしまっているのだが、猫のようにくっついてくる妹を可愛がっていた彼は全く気付いていなかった。そんな理由で、今回も妹の代わりを果たす事となったのである。


 せめて、目立たないように紛れなくちゃ。


 幸い、セルゲイト夫妻も他の参加者たちとの挨拶や交流もあるため、しばらくするとイエリオスたちから離れていった。後は、自由にこの空間を楽しめば充分だと彼はようやく一息ついた。

「なんとか、乗り越えましたわね」

 横を見れば、同じようにホッとして微笑んでいる婚約者がいてようやく緊張の糸が切れる。

「うん、良かった。君のおかげだよ、エル」

「まあ。そんな事ありませんわ!あなたの努力のたまものです」

 幼少の頃から婚約の契りを交わしたエルフローラ・ミルウッドは、どこまでも真面目で純粋そのもの。だからこそ、たまにイエリオスが意図したものとは違った答えが返ってくる事があった。そこがまた、彼には可愛いと思えて。

「あ、ううん。違うんだよ、そういう事じゃなくって。エルが一緒に来てくれたから、不安が軽減されて良かったなって」

 つい、愛おしさに顔が緩んだ。

「……っ、ふ、不意打ちですわ」

 そんな時は、かなりの頻度で大人数に見られているのを、エルフローラは悔しい思いになりながらも止められるはずがなく、顔を逸らして熱くなった頬を冷ます事に努めるしかなかった。

 ただ、この場面を目撃していた貴族の子弟は、全能の女神様よりも破壊力を持つイエリオスの全開の笑顔と、言葉を失った己を恥じて頬を染めたエルフローラの両方を食い入るように見ていたりするのだが、知らぬは両人のみである。

 噂で聞いた社交界の花たちと何とかお近づきになりたいと思う子弟諸君は多い。だが、二人の間を濃厚な甘い空気が包み込み、近寄りがたい雰囲気を醸し出しているため会うだけで幸運だったと諦めざるを得ない。

「え?なにか言った?」

「い、いえ。それよりも、あちらの廊下には様々な絵画が展示されているようですわ。行ってみませんか?」

「うん」

 そんな貴族子弟たちの気持ちになど露ほども気付く事もなく、アルミネラに変装中のイエリオスとエルフローラは、共に微笑みあいながら廊下の方へと足を向けた。


 先程の煌びやかな造形品が立ち並ぶ場所よりも、絵画は静かに観賞するものだという証しに、ここは柔らかな照明が小さく煌々と絵画を照らし出している。

 前世では、全く芸術に興味は無かったのに、貴族の子、しかも由緒ある公爵家に生まれたというのもあって、幼い頃からそういった知識は培われてきた。だからこそ、イエリオスにはここにある全ての絵画がどれほどの価値があるのかだいたい予測出来てしまう。

 どれもこれも、さすがとしか言い様がない名のある作者が描いたものばかり。既に亡くなられている作者もいれば、今まさに全盛期を迎える作者の絵もある。しかも、宗教画から人物画、更には風景画など。前世では印刷という技術である程度有名な絵画はいつでも見る事は出来るが、ここではまだそこまでの技術が発展していない。なので、大半が見た事のないものばかりだったので、イエリオスは傍にエルフローラがいる事も忘れて魅入られていった。

 そんなイエリオスが、とうとう角にさしあたった時である。

 少し離れた場所だったが、あまりにも小さな蝋燭の明かりに、ぽつんと浮かび上がる絵画があった。たまたまそれが目に入っただけで、興味を注がれた訳ではない。けれども、何かに促されるように、彼はその絵画へと誘われていた。

「……これ、は。……っ」

 それは、先程まで見ていたものと変わらない人物画だった。それに、今まで見てきた前衛的な宗教画よりも難解でもないし、精密さでいえば他の人物画と似たような筆遣いである。

 なのに、キャンパスの中の人物を見ているだけでゾクリと悪寒が走り、イエリオスは思わず片手で己の口元を覆っていた。初夏といえど、こんな屋敷の奥までいけば肌寒さもあるが、それとは全く違った何かだというのは直ぐに分かる。

 目の前の人物画とは決して視線が合っている訳ではない。ないはずなのに、全身に恐怖が纏わりつき、直ぐにでも立ち去らなければという気持ちにさせる。――そこへ。

「いかがされましたか?」

 不意に耳元で声がして、彼は驚いて数歩下がった。


 足音なんてなかったよね!?


 声のした方へ視線を向けると、そこに立っていたのは年若い従僕で。しかも、首を傾げられていたので、恥ずかしくなって俯いて白金色の髪を耳に掛けながら取り繕う。

「……っ、あっ、ええ……少し」

 きっと、彼は自分がこの絵画に魅入っていた間にでも近付いたのだろう、と位置づけて少し乱れた呼吸を整えながら笑みを作った。

「ごめんなさい、戻りますね」

「これから、会場に持っていく飲み物なのですが、宜しければどうぞ」

 普段から自分が軟弱なのは理解しているので、他人からもきっとそう見えているに違いない。

 ――今にも倒れそうに思われたかな。

 そう思うと、この従僕の優しさや心遣いを受け入れなくては、と銀のトレイに並んだグラスを一つ取る。

「あ、ありがとうございます」

「良ければ、休憩出来るお部屋までご案内致しますが?」

「あ、いえ。共に来た友人がいるので」

 そこまで面倒をかける訳にはいかないだろう、とイエリオスは頭を下げて、たぷっと揺れるジュースを一口飲み込んだ。

「こうして、少しゆっくりしていれば大丈夫ですから」

 もうお仕事に戻って下さい――という言葉を続けながら、グラスを見下ろす。


 ……それにしても。このジュース、味も変わっているけど色合いも。


 不思議だなぁと絵画に当てられた明かりを求めてグラスを持ち上げると、ちょうど従僕の顔と同じ位置で。

「……ああ、あなたの右目にそっくりですね。とても綺麗」

 意外にも綺麗な顔立ちだった従僕は、両の瞳の色も違い、グラスを下げても右側の瞳の色は鮮やかな紫色のままだった。


 こういう目の色合いが違う事をなんていうんだっけ。詳しい病名までは分からないけど、前世で部活中に一度だけ話題が出たような。


 懐かしい記憶をたぐり寄せるだけで、眠気が襲う。そこまで疲れているはずではなかったのに、と不思議に思いながらも、あくびをかみ殺し、ジュースを零してはいけないと従僕へと差し出した。

「ごめんなさい、何だか少し眠くて」

「いえ、お気になさらず」

 イエリオスからグラスを受け取り、トレイに戻す従僕の声も妙に遠くなっていく。そして、再び小さなあくびをした彼は、まるで糸が切れたかのようにふわりと前へ倒れていった。

「そうなるように仕向けたのは、私ですから」

 片手にトレイを持ちながらも、上手く彼を受け止めた従僕はもう彼にその声は届かないというのに、そう呟いて闇の中へと引き返す。

 ――現れた時のように、音も立てずに。




 ***




 クスクスと、鈴が鳴るような笑い声がして、白金色で縁取られた瞼が開く。少し古びたシーツからはかび臭い匂いがして、イエリオスはその不快感で意識が醒めた。

「……ん。ここは」

 夏の初めとは思えないほどの寒さを感じて、思わず身をすくめながら室内を見渡してみる。すると、この部屋は珍しい事に円形で客室にしてみれば、やや狭く。しかしながらに、置かれた調度品はどれも古びてはいるがかなりの一級品ばかりが並べられていた。


 ああ。あの後、やっぱり倒れたんだ。


 だから、きっとマティアスの好意で客室に寝かされていたのだろうと思って、とりあえずベッドから下りるべく足を下ろす――と、同時にジャラと金属が摩擦する音がして、次に足首へと重さが加わった。

「……え?どういうこと?」

 イエリオスが驚いた視線の先にあったのは、紛れもなく自分の足で。けれども、おかしな事に右の足首には獣の革がしっかりと巻かれており鎖がそこから伸びていた。――ずっと。ずっと、目で追えば壁の方まで。

「ど、どうして」

 一体、自分の身に何が起きたのか分からず、もう一度部屋を見渡してみる。

 どこか違和感はなかったのかとか、窓と扉といった部分に視線を巡らせ――そして、ある事実に気が付いて愕然とした。

「……嘘でしょ」

 まさか、そんなはずはないと否定しながらも冷たい金属音を鳴らしながら、彼は窓辺へと近付いていった。

「そんな」

 その窓は、上手くすれば抜け出せるほどの広さなのに鉄格子で覆われており、両手で動かしてみてもただ頑丈さを確認出来ただけだった。だが、イエリオスが驚いたのはそれだけではない。

 今、自分がいるのはどうやら高い塔のようで、夕焼けがかる窓から見下ろす景色は緑一色。どこを見ても、木が生い茂りここがマティアスに招待された場所ではないという事は自明の理だった。


 ……こんな事って。


 もはや、彼は次から次へと知らされる衝撃に驚きを隠せないでいた。

 一体、どうして?と自然と眉間に皺が寄ったところで、不意に後ろの方でガチャリと明らかに鍵が外される音がして咄嗟に振り向く。

「目が覚めたのですね」

 と言って、お茶の道具を一式持ってきた青年は、あの時の従僕で間違いはなく。

「あなたはっ!あの時の……こっ、これはなんの真似ですか?」

「なんの真似とおっしゃられても。私は、主の指示に従っただけですので」

 やや長めに伸びた赤茶色の前髪からのぞく顔はやはり綺麗で、表情を変えないため冷たくも感じる。

「主?それは、ど」

「やぁーっと起きたのね!このわたくしを待たせるなんて、なんて罪な子!」

 そこへ、ひょっこり顔を覗かせた少女がイエリオスを見つけた途端、好奇心旺盛そうな目を輝かせながら飛びついてきた。

「っわ、あ、あなたは?」

 年齢は、彼よりも数歳ほど上だろうか。しかし、まだあどけなさが残るその顔は、二十歳を過ぎてはいないようだ。

 受け止めた少女の髪は、見覚えのある緋色をしており、腰まである長さだがひらひらとそれは綺麗に巻かれていて美しい。そして、抱きついた彼を見下ろす朱い瞳もイエリオスが見慣れた色だった。――と、くれば。


 彼女は、まさか。


「わたくし?わたくしを知らないの?なんて罪な子。いいえ、だけど教えてあげるわ!わたくしは、アルレット・エルフェ=ミュールズ。アルって呼んで!」

 ミュールズ、という国名が名に付くのは王族しかいない。それは、ミュールズ国民の間では周知の事実で、もちろんイエリオスも知っている。

 だが、父親が現宰相を務めている彼にとって、その名前にも驚かずにはいられなかった。

「失礼ながら、アル……レット様は御年おいくつであられるのでしょう?」

「アルよ、アル!初対面だというのに罪な子ね。でも、いいわ。許してあげる。わたくしは、今年で十七になったのよ!来年、ようやく王宮へ戻れるの!」


 ……十七歳、ということは――

 彼女は、何かしらの理由で存在を秘匿されたお姫さまか、もしくは。


 もうしょうがない子ね、とでもいうかのようにイエリオスへ無邪気な笑顔を浮かべるアルレットだったが、急に首を傾げてあれ?と呟く。

「でも、変ね?もう迎えの馬車が到着しても良い頃のはずだわ。だって、一年待ったもの。……一年?いいえ、もっと……もっと、わたくしもっと待ってるわ!なのに、どうして迎えがないの!?どうして!?ねぇ、」

「っ、」

 掴まれた腕にかかる指の力はやけに強く、それに虚ろな瞳と焦燥感の満ちた顔にゾクリと背筋が凍りついた。イエリオスを見ているようで、彼を通してどこか違うものを見ているような。

「アルレット様。それより、女の子のお友達が欲しかったのでしょう?彼女がびっくりしておりますよ」

「あら?そうね、ごめんなさい」

 もう少しで悲鳴を上げてしまいそうだったイエリオスも、我に返ってホッとする。それと同時に、青年が放った『女の子』という単語を聞いて、自分がまだ女装している事を思いだした。


 いや、まあいいんだけどさ。……それって、アルに見えるって事なんだし。


 それでも、男として胸中では複雑な思いがしたが、ここは穏便に黙っておくことにする。

 それは、いつもの直感だった。

 ここは、何かおかしい。

 違和感は常にあるのに、それが何であるのかまだ把握出来ていない。

 だからこそ慎重であるべきだ、と彼は思った。

「うふふ。わたくし、今までずうーっと一人ぼっちだったから、お友達が欲しかったのよ。だから、ねぇ?わたくしとお友達になってちょうだい!」

 両手を合わせて微笑む姿は、十四歳の彼よりも純真な少女そのものだったが、イエリオスは直ぐにイエスと答える事は出来なかった。それというのも、やはり。

「お友達、というのならこの拘束を取ってもらえませんか?」

 少し動くだけで部屋に響く金属の音、そして目に映る自分とこの部屋を繋ぐ鎖が目に入るからだ。

 友達とは、対等であるべきなのに。

「まあ!なんてことを言うの、罪な子ね。それは、わたくしとあなたを繋ぐ唯一のものなのよ。それを外すなんて出来ないわ!」

 しかし、アルレットもそれを拒絶し、イエリオスは唇を噛む。

「こんな高い塔の上からは逃げるなんて出来ません。だから」

「しつこいわね。出来ないったら出来ないのよ!罪な子ね。あなたも前のお友達と同様に死にたいの?」

「え?」


 今、姫君はなんて言ったの?


 『死』という不穏な言葉に驚きを返した彼に対して、アルレットは全く狼狽えることもなく首を傾げた。

「あなたの前にここへ来てもらった子がね、鎖を外してというから外してあげたの。なのに、あの子はいつの間にか死んでしまったわ。……罪な子よね。あれから、わたくしはずっと一人ぼっち。何年も、ずっと何年もよ。だから、わたくしとお友達になってちょうだい。ねぇ?」


 ――そんな。


 ここへ連れてこられたのは、自分が初めてではなかったという事に息を飲む。

 しかも、その彼女は既に他界しているという。

 目が覚めてからここまで、あまりにも情報量が多すぎて。そのどれも衝撃が大きすぎて、イエリオスは頭痛を感じて頭へと手をやった。

「あら、どうしたの?」

「アルレット様。彼女は、起きたばかりで疲れているのかもしれません。今日はこの辺で、また明日にでもお話されてみてはいかがでしょうか?」

「まあ、罪な子ね。でも、いいわ!許してあげる。これから、たっくさん時間はあるもの。わたくし、あなたと絶対にお友達になると決めたんだから!」

 王族ならではの、燃えるような真っ赤な瞳をキラキラとさせながら、アルレットはそう言い残すと、あっという間に部屋から出て行った。

 残されたのは、お茶を淹れ直す従僕とイエリオスのみ。

 彼女が去ると急に部屋が静かになって、ベッドまで引き返す彼の鎖の音だけがやけに響く。ベッドに備え付けられたテーブルに置かれたお茶から湯気が立ちあがっていくのを見て、彼はようやく息をついた。

「お姫さまについていかなくて良かったんですか?」

 どうぞ、とは言われたものの、彼に貰ったあのジュースで拐かされたのもあって、イエリオスは軽く頭を下げながらもそれを飲む気にはなれない。

「私の他に、侍女や従者は数名いますので」

「そうですか」

 鬱蒼と生い茂る青い木々の中を、くり抜かれたように作られたこの塔からでは全体は見えなかったが、やや小さいながらも確かに並びに城があった。

「まさか、こんな森の中にお城があるなんて知りませんでした」

 それに、ここがミュールズ国のどの辺りかすらも分からないでいる。せめて、何かヒントでも貰えればと、イエリオスは世間話がなるべく続くように言葉を紡ぐ。

「民家も全く見当たりませんよね」

「私を、批難されないのですか?」

 そんなイエリオスに、両の目の色合いが違う青年は、静かに呟いた。

「え?」

「主のために、あなたを連れ去った私を責めないのですか?」

「……それは」


 そうなんだけど。この世界に生まれてから、何度かこういった目に遭ったけど、この人は何か違う気がするんだよね。


 それが何かは分からないけど、という疑問を飲み込んで、ここでようやく同行していた婚約者の安否が気になった。ここで目が覚めてから、次々と襲いかかる展開についていくのが精一杯だったせいもあって、彼女がどうしているのか気にかかる。


 まさか、エルも――


 それを想像するだけで、ゾッとする。

「あっ、あの、私がいた近くに女の子がいたはずですが、彼女は」

「お連れの方でしたら、ご心配なく。他の者から、あなたはご気分が優れずお帰りになったとお伝えしておいたところ、帰られたようですよ。心配でしたら、その者を呼んで直接話をさせましょうか?」

「い、いえ。そこまでは結構です。彼女が無事なら、それで」

 両手を振って、苦笑いを浮かべながらもイエリオスは全く別の事を考えていた。


 そっか、良かった。エルが何も言わずに帰ったという事は。

 それなら、きっと――


 誰かに乱雑に塗りつぶされたクレヨンの世界のようなこの場所で、ようやく僅かな光が見えたような気がする。

 ただ、それを悟らせる訳にはいかないので、イエリオスは表情を変える事なく俯いた。

「夕食は、どうされますか?」

「……あ、いえ。結構です」

 こういった事態には多少慣れてきているとはいえ、やはり精神的ダメージは強く何も喉を通らない。

「そうですか、では本日は私も下がらせて頂きます」

 と、そこで、ああもしかしてこの人が僕の世話係だったんだ、と気が付いた。そのわりには、随分と目鼻立ちの良い人を選んだんだなぁと思いながら頭を下げる。

 従僕の青年も、静かに頭を下げて扉まで進み、そして、そういえば、と言って振り返った。

「どうしました?」

「すっかり忘れておりました。ここでは、何もかも不必要なのですが、便宜上お尋ねします。あなたのお名前をお教えください」

 嘘でしょ、と思いながらも、その青年の表情や態度をみるからに、それは嘘や偽りなどではないと分かる。それでも、しばらくの間驚いて固まっていると、彼は眉根を寄せて首を傾げた。

「……ア、アルミネラ、です。アルミネラ・エーヴェリー」

 一応、男だとは気付かれていないので、妹の名を騙る。現宰相エーヴェリー公爵には、双子の兄妹がいるという事実ゆえんに。

「エーヴェリー?」

「はい」

「……そうですか」

 

 ああ、なるほど。


 その時、ようやくイエリオスは腑に落ちた。

 今、初めて『エーヴェリー』というあざなに僅かな驚きを露わにしたこの青年が貴族であること。

 そして、今までの拉致と違うのは、家名も含めて己の欲望を充たすためにイエリオスを拐かした訳ではないということ。

 そう。

 それは、本当に『偶然』の産物だったのだ。

 たまたま目に付いたという理由で、彼はここへ連れてこられた。

 その偶然が、婚約者や別のご令嬢じゃなかった事に、何より彼は安堵した。




 ***




「そうか」

 彼がその報告を聞いたのは、状況は既に二日目にかかろうとしている時だった。今日は、たまたま期限付きの仕事があって、彼は珍しく夜遅くまでそれに取りかかっていたのである。

 時刻は、もう零時を過ぎようとしていた。

 まんまるに満ちた月の明かりが背中を照らしている中、彼はその報告を聞いて机の下に隠れた手を握りしめずにはいられなかった。

 机を挟んで、彼に相対するのは三人の男女。

 その真ん中に立っていたまだ幼さが残る少年のような少女が、前に出る。その顔は、悲痛というよりもどこか昏く、虚ろだった。

「遅くなってごめんなさい。私も、まだ信じられなくて……でも、さっきエルからちゃんと話を聞いて本当なんだって思って」

 でも、信じたくなくて、と。いつもなら強い意志が感じられる蒼い瞳も焦点が合わない。

「……アルミネラ」

「ミルウッド嬢も、現地で先に帰ったと聞いて、あまり目立たないように探し回ったようですが見つからず、そこからずっと憔悴しておりました。責任感が強いご令嬢ですからね」

 そう言って、彼女の右横に並んだのはフェルメール・コーナーで。イエリオスに言わせるといつもは悪ガキのようにニヤニヤとした笑みを浮かべているという彼のデフォルトはそこにはなく、今日はいつになく真剣な顔付きとなっていた。

「ああ、そうだろうね。あの子もイエリオスを愛しているから、きっと自己嫌悪に苛まれている事だろう。だけど、君こそ自責の念に駆られていないかい?アルミネラ」

「……」

「確か、父上の美術鑑賞会に行くのは君の方だったよね?それをイオに任せてしまったのは自分の所為だって、自分を追い詰めているだろう?」

 双子の入れ替わりを知っているコルネリオは、フェルメールを通して彼女たちがいつ入れ替わるのかはだいたい把握している。彼が聞いていた話では、己の父であるマティアスの鑑賞会に行くのは本物のアルミネラだったのだが、彼女が遠征を選んだためイエリオスが代わりを務める事になったとか。

 それは、いつもの彼女の我が儘だが、それこそよくある出来事に過ぎなかった。

「……だって」

 そう呟いて、また口を閉ざした彼女は俯く。

 ぎゅっと握りしめた両の拳は戦慄いて、いつより小さく見えるのは彼女がまだ一滴も涙を流していないからだろう。コルネリオは、老若男女だれもが見惚れるその美麗な顔を少しばかり歪めながら、小さくため息をはき出して席を立った。

「アル」

 その声は、あまりにも穏やかだった。

 だからこそ、アルミネラはびくりと体を震わせて、顔を上げる。

「後悔とは、先に進む一歩だよ」

「……よく分かりません」

「そうか。でもね、これなら分かるよね?イオは、アルが連れ去られたら悲しむだろうけど、きっと必死で取り返す」

 イエリオスならば、後悔を次への原動力にするだろう、と。そうでしょう?と、コルネリオはアルミネラの白金色の髪を優しく撫でながら微笑んだ。

「……うん」

 アルミネラは、何よりイエリオスを失うよりもイエリオスに捨てられる方が恐い。

 それは、以前に隣国の王子にイエリオスを奪われそうになった時もそうだった。彼女たちの間に何か深入りできない事情が絡んでいるという事は、コルネリオも察していた。

 だからこそ、彼は双子に寄り添うのだ。

「なら、私と一緒に助けに行こうか。そのために、彼も連れてきたんだよね?」

 彼女の小さな肩を抱いて振り返らせる。

 その二人の視線の先には――血のように赤い瞳で彼女を見返す、元暗殺者の青年が立っていた。




 ***




 その日の朝は、空腹で彼は目が覚めた。

 あれから、何も食べていないのだから無理もない。だからといって、どうしても食事を目の前にすると、気分が悪くなってしまうのだ。それは、お茶も同様で二日目に入っても何も口にしていないため、彼はベッドに横たわっていた。


 ここで死ぬわけにはいかないのに。


 朝の訪れを告げる鳥たちの鳴き声を聞きながら、ぼんやりと思い出すのは妹の顔で。それから、次から次へと大事な人の顔が浮かび上がる。


 これって、走馬燈とか言わないよね。


 うっすらと開けた蒼い瞳に、今度は何故か怒りの表情を浮かべる緋色の髪の少女が映り――

「いい加減になさい、罪な子ね!ここに来てから、お茶の一滴すらも飲まないなんて、あなたはどれだけ意地っ張りなの!?」

「わっ!」

 まさか、それが空想ではなく本物の少女だったので、思わず驚きの声を上げた。

「ア、アルレット様、おはようございます」

「おはよう!全く、何をそんな悠長に挨拶してくるのかしら?罪な子ね!でも、いいわ。今日は、わたくしと一緒に食事をしましょう?」

 という彼女の言葉を合図に、二人分の食事が並べられていく。昨日までは、両方の瞳の色が違う青年のみだったが、二人分を運ぶとあってか初めて見る侍女が一緒だった。どうやら、彼の言っていた事は本当らしいとイエリオスは内心で思いながらも、侍女も容姿が整っている事に気付いた。

 しかも、彼女は以前出会った事のある女性と同じく鉄色の髪色をしており、それを綺麗に結わえているので見惚れてしまうほどである。

 従僕の青年といい、侍女の女性といい、ここまで珍しい者たちが集まるのは滅多にない。

 どういう理由で集められたのかは不明だったが、それを聞くのも憚られた。


 ――それに。


「……あの、用意していただいて申し訳ありませんが、やっぱり……私、食欲がなく」

「じゃあ、スープだけでも飲みなさい」

「いえ、それも」

 お城の厨房からこの塔まで持ってくるのに、毎回大変な労力を使っているだろうが、食材を目の前にするだけで今の彼には不快感が増すほどだ。せっかく作ってもらったのに、というのもあって、苦い思いをするばかりだった。

 だからこそ、油断していた。

 ベッドから動く事すら出来ず視線を逸らせていると、目の前に立っていた少女が先程よりも更に怒りを露わにしたのだ。

「……許さない。そんなの、絶対に許さないわ!!」

「えっ」

 驚く間もなく、イエリオスは自分と同じぐらい華奢な手に顎を掴まれ、彼女と目が合う。

 その緋色の瞳は、恐ろしいほどに冷たさを帯びていて背筋が震えるほどだった。

「またわたくしを置いて死ぬなんて許さないわ!ほらっ、飲みなさいな!早くっ!」

 そう言って、並べられている最中だというのに、アルレットはスープの皿を取って彼の口元へと傾けていく。それも躊躇いもなく。

「っう、」

「ほらっ!飲むのよ!簡単でしょう?飲みこむだけよ!」

「っ、あっ、ごほっ!ごほっ」

 容赦なく流されるスープの量を嚥下出来ずにむせていても、彼女の手は止まらない。それどころか、狂気にも似た笑みを湛えるほどだ。

「ああ、そうだわ!これも、お食べなさい!さあ、これもっ!」

「やぁ、っ、やめっ!」


 このままじゃ、もう――


 苦しさから藻掻く手が宙を掴み、イエリオスの蒼い瞳にうっすらと涙が滲む。突然の凶行とすら呼べる暴挙に、彼は気が遠くなりかけていた。――その時。


「アルレット様!その辺でお止め下さい。これ以上、無理強いをすると彼女に嫌われてしまいますよ」


 それは、彼にとっては天の助けのようだった。

 彼の放った一言によって、どうやらアルレットは我を取り戻したようでその手を止めたのだから。

「……そうよね?ごめんなさいね。わたくし、少し取り乱してしまったみたい」

 イエリオスにとって、先程のあれが果たして『少し』と言えたのかは不明だったが、これ以上悪い方向に向かわないのであれば何でも良かった。

「い、いいえ、私のほうこそ申し訳ございません」

「うふふ。いいのよ、だってあなたはわたくしの大事な大事なお友達ですもの。それよりも、お洋服を汚してしまったわね、わたくしが着替えを手伝ってさしあげるわ」

「えっ、や!そ、それはちょっと!」

 それは、まるで姉のように食べ物で洋服を汚してしまった妹のお世話だとばかりにドレスへと手をかける。

 食事も水分ですら満足に取っていない事が弊害となったのだ。

 まさか、ここで脱がされるのとは思っていなかったイエリオスの抵抗もむなしく、それは手慣れた様子でスルリと胸元まで開けられて――アルレットの手が止まった。

「……っ」

「……これは、どういう事かしら?」

 と言うアルレットの視線の先にあるのは、紛れもなく彼の平らな胸で。イエリオスは、もはや観念して力を抜いた。

「あなた、もしかして……男の子なの?」

「……はい、そうです。今まで黙っ」

 っていて申し訳ありません、というイエリオスの言葉よりも先に、アルレットは涙を湛えながら両手で己の頬を押さえながら首を振る。

「そんなっ、……わたくしを、わたくしを騙していたのね!?なんということなの!男だった、なんて!ひどいわ!わたくしを騙したのね!?」

 彼女のその取り乱しように彼は唖然としていたが、不意をつかれて大事なウィッグを引っ張られた。

「……っ」

 妹の代わりをするのだから、普段からちょっとやそっとでは取れない形状となっているため、無理矢理引っ張られると自ずと痛い。

 だが、イエリオスが痛みで顔を歪めても、今度は誰も止めになど入ってはくれなかった。

「おとこ……おとこなんて、信用出来ないわ!お兄様も父上もっ、みんな!みんな嘘つきよ!!」

 そう言いながら、彼のウィッグの長い髪をまるで縄のように引っ張りあげて、彼の頭へと手をかける。それはまるで、今にも食べられてしまいそうと錯覚してしまうほどに狂気がかっていた。

「そう……あなた男なの。男なのに、そんな格好をしているの」

 呟く声は、とても優しい。けれども、間近にある顔は微笑んではいるもののもはや正気ではない。

 どう返事をすれば正解なのか分からず息を飲み、ただむやみやたらと心臓が警告を発して呼吸が乱れる。その恐怖に煽られたイエリオスの頬を彼女は撫でてクスリと嗤った。

「……ああ。うふふ。その怯えたお顔、とってもすてき。今までの男は、みーんな一つしか美しくなったの。でも、あなたは全てが綺麗」

 その蒼い瞳からこぼれる涙すら、宝石のように綺麗でしょうね、とそれはとても楽しげだった。

 もはや、アルレットの緋色の瞳から視線を逸らせないイエリオスに彼女は更なる言葉を与える。

 この世界で信者が多いとされる万能の女神のように。

 愛おしさを滲ませた微笑みで。


「いいわ、あなたは特別。わたくしのお人形にしてあげる。あなたも、ここで永遠にわたくしと共に暮らすのよ。許してあげるわ。全く、なんて罪な子かしら」


 この国の王女であるアルレットにとっては、ただ単に玩具が一つ増えたに過ぎない。それも、いつ飽きるかの。

 だが、イエリオスにとってはそうではなくて。それは、おぞましい死の宣告だった。

「……い、いやだ。僕は、」

 ――アルミネラたちのもとへ帰るんだ。

 そのように続けるつもりだったのに、言葉が上手く紡げない。

 空腹と、あまりにも理不尽な悪夢のような事態に緊張の糸が切れて、彼はとうとう意識を失った。




 ***




 懐かしい夢を見た。

 目の前で楽しそうに笑っているのはアルミネラで、絵本を読んで欲しいとせがんでくるのだ。彼の手を引く彼女は幼くて、どうやら幼少期の思い出の一コマらしい。

 彼の色合いよりも淡い蒼い色。興味津々といったその大きな目で見下ろすのは、もう何度も読み返してしまった絵本だった。

 それでも、アルミネラがもう一回もう一回とねだってくるから、イエリオスは困りながらもそれを受け入れて最後だよ、と言いながら読み始める。


 ああ、なんだっけ。

 確か、その絵本のタイトルは――――




「気が付かれましたか」

 もう、幾度も聞き慣れた男の声でハッと気が付く。あれからどれほど眠っていたのか分からないが、窓から差し込む陽射しの加減から見てもう夕刻近くだった。

「あ……僕、気絶して?」

「はい。突然、気を失われたのでアルレット様が少し取り乱されていましたが、眠っているだけだと分かり本日はもうお戻りになられました」

 それは、正直にホッとする。

 あのまま、アルレットと会話をしていると自分はどうなっていたか分からない。本気でそう思えて、イエリオスは息を吹き返すように震える手を握りしめた。

 そこで、いつの間にか別のドレスに着替えさせられている事に気付いて、どうやらアルレットは自分を本気でお人形として扱うつもりなのだと分かり唇をかみ締める。

「あなたが同性だとは気付かなかった私の失態でもあります」

「僕の方こそ、ごめんなさい。妹とはこういった遊びをよくしていて、滅多に気付かれる事なんてないので」

 あなたの責任ではありませんよ、と苦笑して首を振る。

 ただ、実際は遊びではなく普段から入れ違っているのでそこは上手く誤魔化したが。

「もしや、双子なのですか?」

 という言葉に、え?とイエリオスは思わず首を傾げた。

 彼は、自分が名乗った際にエーヴェリーという名字に反応を示したはずなのに、そこまで詳しく知らないのだろうか、と。

「え、ええ」


 なんだろう、この違和感は。


 それは、ここへ連れてこられた当初からずっと引きずっていた感覚である。

 何かがかみ合っていないような。それとも、何かが欠けているような。その曖昧な『何か』が分からず、自然と眉間に皺が寄っていく。

「懐かしいな」

 そんなイエリオスの顔を見ていたようで、従僕の青年がここにきて初めてうっすらと笑みを浮かべた。

「懐かしい、ですか?」

 どういう意味で言われたのか分からず、首を傾げる。

 しかし、彼はどうやら感情を思い出したのか、イエリオスを見つめたままニコニコと笑っていた。楽しげに。それはまるで、彼に別の誰かを投影しているかのように。

 けれども、どこか寂寥感を湛える青年はそれ以上語ろうとはしなかった。

「こちらを、お飲みください」

 そして、話を逸らすように出されたのは、年代物のカップに充たされたどう見ても透明な水だった。

「……これは」

「白湯です。お食事に手を付けられないのであれば、せめて白湯だけでも飲んでください」

 人は、飲食をしなければ約三日で死ぬという。彼も、前世でそういった事はニュースなどで知っている。だが、これも何か仕込まれていないかと思うのは心情で、イエリオスが躊躇っていると。

「何も手を加えてはおりませんよ。それに、あなたが死ねば、私は再び新しい『お友達』を探し出してこなければなりません」

「っ、……分かりました」

 次の犠牲者を生まないようにする為には、ここでどうにか耐えなければならない。

 それもあるが。


 必ず、助けが来てくれるはず――だから、僕は。


 今は、自分が出来る事をしなければ。そう思う事で、彼は目の前のトレイに載せられたカップを取ってゆっくりと飲み干した。

「茶器は、こちらに置いておきます。それでは、私は戻ります」

「ありがとうございます」

「……おかしな方ですね。私は、あなたに罵られて当然であるのに感謝されるとは」

「え、でも」

 一瞬、自分は間違えているのだろうか?と首を捻ってみたものの、誘拐と監禁以外は、彼には別に横暴な真似をされている訳ではない。むしろ、アルレットの非道を止めてくれる貴重な存在だといえるだろう。


 ……うん。だから、感謝すべきだ。


 それは間違えていない、と納得してイエリオスは首を振った。

「僕は僕の直感を信じています」

 きっと、これが正解だ。何となくでも、そう思うがままに今まで突き進んできたのだから。

 だから、お礼を言った事は撤回しません、とイエリオスが自信たっぷりに告げると、青年は唖然とした後、クスクスと笑い出した。

「そういう強固な姿勢も、本当に彼女そっくりだ」

「彼女?」

「あ、いえ」

 忘れてください、と二つの色合いの目を持つ青年は笑うのを止め、無理矢理表情を押し込める。

「では、私はこの辺で下がらせて頂きます」

 そう言って、まるでこれ以上は話せないというように、彼はそそくさと出て行ってしまった。

「……」

 イエリオスにしてみれば、おかしいのは青年の方だった。

 やりたい放題しているアルレットの従者であるのに、彼女がやり過ぎれば普通に咎める。

 常に無表情かと思えば、時折何が彼の心にささったのか笑い出す。

 それに、ここで初めて会ったというのに、話しやすい雰囲気はどこか懐かしいと思うのは何故だろうか。

「……あ」

 そこで、はたと気が付いた。

「そういえば、僕はまだあの人の名前を聞いてないや」

 青年の方からは名前を尋ねられたが、聞き返す事を失念していた。そもそも、あの時はこのいまだにイエリオスの細い足首に纏わり付く縛めやアルレットの登場で思考が回っていなかったのだ。


 明日、聞かなくちゃ。




 ――というイエリオスの思いは、月が頭上を越えて間もなく、打ち砕かれる事となる。そう、それは一陣の初夏の突風と共に。


 ここに来てから、あまり寝付けず浅く寝ては起きての繰り返しで、三日目に入る今日も同じように目が覚めた。なんとなく、愛おしい声が聞こえたような気がしたからだ。だが、それは己の願望に過ぎないと切り捨てて、起きたついでに白湯を飲もうとベッドの縁に腰掛けた。


 アルの声がした、なんてよっぽど僕は切羽詰まってるんだろうな。


 カチカチと鳴る金属の擦り合う音を聞きながら、実はかなり自分は気が滅入っているのだと分かって苦笑せざるを得ない。

 その時、不意に乱れた足音が扉の方から耳に届いた。

 ここは、高い塔だけあって螺旋状に作られた階段を上ってこなければ部屋までたどり着けない構造となっている。アルレットや従僕の青年は音も立てずに登ってくるのが常なのに、僅かな足音が響いたのだ。

「……?」

 窓に視線を向ければ、月明かりが燦々と地上へと降り注ぎ、まだ真夜中だと彼に告げている。

 もしかして、またアルレットが何か思い立ったのかもしれない。それが自然の流れだと思えて、イエリオスはゾッとした。

 彼女は、もう彼を『大事なお友達』などではなく『ただのお人形』としか見ていないのだから。

 思わず扉から部屋の片隅へと移動して、しゃがみこみ震える肩を両手で抱き締めてその時を待つ。高い塔というだけで逃げ場などないのに、壁から伸びる鎖にも繋がれて、死刑を宣告された受刑者の気分だ。

 慌ただしい靴音は、そんなイエリオスの気持ちなどおかまいなしでどんどん大きくなっていく。

 彼にとって、それはとても長く感じた。

 扉の鍵をカチャカチャと鳴らす音がして、そして――


 まるで地割れが起きたかのような激しい音が響き渡り、それは扉が無理矢理開けられた音だと気付いたのは、現れた二人組の姿を見たからだった。


「ちょっ、ごほっ、やり過ぎ!」

「あんな脆い鍵はな、勢いつけて蹴り倒した方が早いんだよ」

「それで、イオが怪我しちゃったらどうすんの!」

 そんな脳天気な会話も、今の彼には懐かしいと思えてしまう。

「……」

 ずっと、会いたいと望んでた。

 前世のように、何も告げられないまま永遠の別れなどしたくなかった。

「……あ」

 上手く、声が出ずに唇が戦慄いてしまう。

 こんな時に。

 共にこの世界に生まれ落ちた、大切な妹の名を呼びたいのに。

「ア、」

「イオっ!!」

 しかし、その不満は彼女の懐かしい匂いと共に一瞬で解消された。立ち上がった彼を、力一杯に抱き締めてきた彼女によって。

「……アル」

「イオ!イオ!!良かった、見つかって良かった!もうどこにも行かないで!私を置いていかないで!」

ぎゅうぎゅうと抱き締めてくる彼女と同じく抱き締め返して、イエリオスは何度も頷く。

「ごめんね、心配かけて」

「いいの、イオが無事ならそれでいい」

 いつもはそれぞれ学校生活で二日間会えなくても平気なのに、この二日間だけは生きた心地がしなかった。それは、攫われたイエリオスにしてもそうであるし、自分の命よりも兄の存在を必要とするアルミネラにとってもだった。

 今にも泣き出しそうなアルミネラの頭をイエリオスが撫でていると、彼女をここまで連れてきた白髪の男がイエリオスの足首を締め付けていた毛皮をナイフで切り裂いて舌打ちをする。

「くそ、見せつけんじゃねぇっての。ってか、おい。もうそろそろ引き上げるぞ。じゃねぇと、」

「じゃないと、なんだというのですか?」

 彼の言葉を引き継ぐように問いかけたのは、別の声で。アルビノの男は、実に面倒くさげに頭を掻いた。

「ほら、みろ」

 現れたのは、この場所に監禁されていたイエリオスだけが知る存在。

「……あなたは」

 スラリとした長身の、右目と左目の色が違う赤茶色の髪の青年だった。

「もしかして!あなたが、イオをこんな廃墟に連れてきた人?」

「イオ?ああ、彼の本当の名前ですか。そうです、と言ったら?」

「イオは返してもらうよ!」

「分かりました」

「だって、イオは……え?」

「いいですよ、と申しました。このままここへ居れば、彼もそのうち私たちと同じ目に遭う事になっていたでしょうから」

 そう言いながら、彼は色が違う双眸を細めて、今までイエリオスが見た事のないような穏やかさを湛えて微笑んだ。




 ***




 以前はここに住む者が少しでも寂しくないようにという思いから、たくさんの季節の花々が中庭を彩っていたという。けれども、今では荒れ果てて草木が鬱蒼と生い茂る、もはや慰めとは呼べない庭を望む回廊を抜けて、彼は宮殿の奥へと足早に進む。

「そろそろ、イオは奪還出来たかな」

 今回の事件で、二手に分かれるように指示したのはそう呟いた彼自身だったが、やはり心の奥底では彼自ら迎えに行くことを望んでいたのだ。けれども、如何せん時間がなかった。

「ノアが付き添っているので問題はないかと」

 そんな彼の言葉に返事をしたのは、彼の横を同じ早さで進むヘーゼルブラウン色の髪の男、フェルメールだった。

「あの暗殺者は、それほど役に立つのかな」

 お前が信頼をおくほどに、と暗に含めて笑みを浮かべる。

「ノアは、お嬢を主君と仰いでいまや立派な忠犬に成り下がっていますし、そんなお嬢が執着しているイオを見殺したり致しません」

「ふふっ、そう。だけど、油断してはいけないよ?あの子達を害するならば、直ぐに斬り捨てられるように」

「御意に」

 それが言葉のままであるという事は、この場にいる二人以外分からない。コルネリオが、どれだけ双子に心を砕いているのかという事も。

「さて、そろそろかな」

 この城の作りは、幸いにも彼が知る城と似ている構造で助かった。国王夫妻が住まう王宮より小さいとはいえ、一人の人間を探し回るのは骨がいるのだ。

 しかし、ここは彼が懐かしいと思える城と似ており――主の部屋がどこにあるのかという事も、直ぐに分かった。

「だ、誰だ」

 というわりには、全く生気のない顔をした騎士が槍を向ける。咄嗟に彼を守るため間に入ったフェルメールに、大丈夫だからと小声で訴えて横に並んだ。

「やあ、すまないね。遅くなってしまって申し訳ないと、君の主へ伝えてくれないかな?」

「なっ」

 何を、と騎士が問い返す前に、静かに扉は開かれた。

 まるで、それが魔法の呪文であるかのように。魔法のないこの世界で。

「ああ、ようやくね。やっと、やっと来てくれたのね」

 コルネリオが吸い込まれるように部屋に入ると、豪華なシャンデリアの真下で少女が一人立っていた。

 王族特有の燃えるような緋色の髪は綺麗に巻かれて腰まで伸びており、象牙のような真っ白な肌を彩る彼を映す緋色の瞳は感動に打ち震え涙を湛える。

 頬を染めながらも、気丈に手を差し出す少女は紛れもなくこの城の主、アルレットだ。

「迎えが男だろうとは思っていたけれど、仕方ないわね。歓迎します」

「ありがたき幸せです、殿下」

 彼女の傍で片膝をついて、コルネリオはその小さな手の甲へとキスをする。

「さっそくですが、殿下には至急王宮へお戻り頂きたく。こうして夜更けではございますが、急ぎ参上仕りました」

「まさか、お父様になにかあったの?それとも、お母様?いえ、お兄様だというの?」

「いいえ、そうではございません」

 心配げに問いかけてくる彼女を優しくエスコートしながら、コルネリオは首を振り否定する。部屋から出ると、数人の侍女や従者たちが立っていて、コルネリオとフェルメールをじっと見ていた。

「だったら、どうして?お父様が、わたくしを呼び戻す理由は何だというの?」

「それは、ご自分でお尋ねください」

 しかし、彼らは主君を連れ出す怪しい二人組を止めるような真似はせず、静かに彼らが立ち去るのを待っているだけである。さきほど、声を荒げていた騎士でさえも。

「まあ!役に立たない騎士ね!でも、許してあげるわ。わたくしは、この日をずっと夢見てきたもの。ずっと、ずーっと……もう、時を忘れるくらいに」

 彼らに見向きもしない主君の背中を見送るように。

「長らくお待たせしまして、大変心苦しい思いです」

「本当よ!」

 可憐な姫君を連れていく上司の後ろを歩くフェルメールが、廊下の角を曲がる際にもう一度注意しておこうと振り返る。

「……っ」

 しかし、先程までは明るかったはずの廊下は暗闇に解け、そこへ窓という概念を持たなくなってしまった四角い箇所から月の明かりが、先程まで彼らがいた場所を照らし出していただけだった。

 身の毛のよだつ思いをしながら、フェルメールは声には出さず二人の後を静かに歩く。それをコルネリオは視界の隅に捉えながらも無視をして、ブツブツと文句を言う少女のエスコートへと意識を戻す。

 今、自分がすべき事をやり遂げるために。

「一つ、幼い頃に父から聞いた話をしても宜しいですか?」

「もう!わたくしを誰だと思っているの?駄目な騎士ね!でも、いいわ。許してあげる。そうね、退屈しのぎに聞いてあげるわ」

「ありがとうございます」

 そう言って、大げさに頭を下げると少女はクスクスと笑い出す。ちょうど、回廊へとさしかかる所でもあった為、月明かりに照らし出される彼女の瞳に鮮やかな色合いの花々が風に揺れる。

「ああ、ここはとても綺麗。お父様に無理を言った甲斐があったわ」

「左様でしたか」

「ええ。でも、この場所ともとうとうお別れなのね」

 少し名残惜しいわ、と寂しげに呟く彼女の隣りでコルネリオはさっと中庭を見渡した。

「さぞ、手入れも大変だった事でしょう」

「ふふっ、そうよ」

 彼女にしか見えていないものを敢えて指摘せず、彼はニッコリと笑って先を促す。

「それで?昔話は?」

「もう宜しいので?」

「ええ。王宮に戻れば、ここよりもっと素敵な庭がたくさんあるもの!だから、もう結構よ」

 どうやら、だいぶこちらと打ち解けてきてくれたらしい。そう判断して、彼は幼少の頃を思い出しながら口を開いた。

「むかし、それも大昔から私の一族に伝わる話がありました。今では、ミュールズ国の子供たちなら誰もが知っているお話です」

「そうなの」

 わたくしも知っているかしら?と首を傾げる少女に、コルネリオは微笑む。

「むかしむかし、あるところに可哀相なお姫さまがいました。そのお姫さまは、とても可哀相だったので、王様は誰にも会わないで済むように森の奥のお城へとお姫さまを隠してしまいました。なぜ、お姫さまは可哀相だったかというと、なんと、そのお姫さまは呪われていたのです」

「……」

「絵本では、この後に王子様が呪いを解いてお姫さまを助け出し、二人は幸せに暮らしました、で終わりますが。本当は、誰も助けになど来なかった。何故なら、お姫さまは」

「……めて。もう止めて!」

 城のエントランスで、少女が止まる。

 コルネリオに差し出していた手も引っ込めて、両手で頬を覆いながら彼女は大きく首を振った。

「嘘よ、嘘だわ!全部、嘘!お前の話など嘘っぱちだわ!」

 全てを拒絶するかのように瞼も閉じる。そんな彼女を痛々しいと思いながらも、コルネリオは残酷に言葉を続ける。

 彼女のために。

 一つの物語の終焉を迎えるために。

「王族なら、誰もが知っている話です。森の奥にある城へ幽閉された姫君、彼女の名はアルレット・エルフェ=ミュールズ。あなたですね?」

「っ、どう、して」

「なぜならば、私にはあなたと同じ血が流れているからですよ。私の名はコルネリオ・フェル=セルゲイト。そして、甥はオーガスト・マレン=ミュールズ、この国の次期国王です」

「オーガストなんて名前知らないわ!次期国王はお兄様よ!」

 まるで駄々をこねるように、彼女は髪を振り乱しながら否定する。

 このままでは、境界線を辿るのみ。だが、ここで引くわけにはいかないのだ。

「よく聞いてください、オーガスト・マレン=ミュールズ、です」

 ゆっくり、と。言い聞かせるように、はっきりと。

 紡いだ言葉が、彼女へと届くように何度もコルネリオは言い聞かせる。

「オーガスト・マレン=ミュールズ」

「オーガスト・マレン、ミュールズ。……マレン?」

「はい」

「まさか、お兄様の」

 ハッと驚くアルレットに、ようやくコルネリオの意図している事が通じたようで彼はホッと胸をなで下ろした。同族の証しである緋色の驚愕に染まる瞳を見返して、彼はゆっくりと頷く。

「あなたの兄君は、国王として立派にお務めを果たされました」

「そう。……そうなのね」

 朽ち果てたエントランスホールに、静けさが再び戻る。

 彼女の瞳に映る今まで色褪せることのなかった壁の装飾が一瞬で劣化していく――彼女の遠い記憶と共に。


「……思い出したわ。わたくし、あの時死んでしまったの」


 彼女にとって、それはもう何年前だったのかさえ思い出せない。ただ、自分が十七歳で亡くなったという事だけは辛うじて思い出せた。

「そうです、あなたは病気の為にここへ幽閉されていました。十八までには治ると聞いて。だから、当時の国王は十八になれば迎えにいくと告げたのです」

 絵本には載せられない悲劇の姫君の真実は、今も王族の間で受け継がれている。決して、このような悲しい出来事は起きぬように、と。

「ああ、そうだったのね。どうりで、とても長く感じていたの。ずっと、ずーっと独りきりだったから」

 どれぐらいの月日が過ぎたかさえも分からず。

 そこで、この世から既に去っていた事に気が付けば、月光を跳ね返すはずの手が透き通って見えていた。

「ご両親も兄君も、王族の墓地に埋葬されておられます」

「そう。……でも、きっと会えないわ。わたくしは、たくさんの罪を犯したもの。その者たちの為にもきちんと償わなければ」

 どうすればいいのか全く分からないけれどね、と苦笑して、記憶に残る精巧に作られていた扉とはいえない物へと手を掛ける。

「エスコート、ありがとう。でも、本当はお兄様に迎えに来てもらいたかったの」

 彼女にとって、男とは裏切りの象徴でしかなかった。

 この王宮に連れてこられて、父と兄が迎えにくるのをひたすら待つ日々を過ごしていたのだから。

 それは、家族で交わした大切な約束だったのだ。

 ふわりとドレスが風に揺れてなびく。

 城の外へと伸ばした足が、小さな光の粒となって消えていく。

「ああ、これで」

 アルレットは、少し怯んだが空を見上げて飛び出した。

 それは、彼女にとって最初で最後の勇気だった。



「さようなら、千年前の姫君よ」

 星々が煌めくそらを見上げて、コルネリオは目を閉じた。



 ***




「どういう意味ですか?」

 アルミネラに抱き締められながら、イエリオスは聞き返していた。ここから早く逃げ出したいと思いながらも。

「私も、あなたと同じくアルレット様に囚われて連れてこられた身の上なのです。いえ、私だけではありません。あの城に住んでいる侍女や従者も」

「そんな」

「アルレット様は、いつまでも終わらない孤独に耐える事が出来ませんでした。見目麗しい者、希有な者、そういった者たちを攫ってきては身の回りの世話をさせていたのです」

 そう言って、従僕の青年は自嘲するような笑みを浮かべた。


 という事は、僕が見たあの鉄色の侍女もそうだったんだ。


 この世界で、鉄色の髪の者は多くはない。それに、目の前に立つ青年の瞳だってそれ以上に少ないだろう。

「だから、イオも連れてきたっていうの?」

 彼の肩を抱き締める手に力を込めて、アルミネラが咎める。彼女にしては険しい表情で相手を責めるのだから、相当腹が立っているのだ。

 そんなアルミネラの批難を受け入れて、彼は己の手を見下ろした。

「彼女は、それでも孤独だった。私たちがいても、無意味だった。そこから、もう何となくお分かりでしょう?『お友達』と称して、次から次へとご令嬢を連れてきてと、せがんでくるようになったのです」

「だからって!」

「言う通りにするしかなかった私も同罪です」

 彼の色違いの瞳には、己の手は赤黒い血で染められている。今も、ずっと。数え上げればきりがないほどの死体を処理して、鮮血は黒くなる。

「一つ、聞きたいんだけどな。クソガじゃなかった、坊ちゃんを連れていく際に通ったあの扉は何なんだ?」

「まさか、誰にも見られていないと思っていたのに」

 ノアの疑問に、青年は驚きを隠せない。

 彼は、いつも慎重に行動しているため、イエリオスを拐かした時も一目に付かぬよう動いていたのだ。だからこそ、近くにいたエルフローラにすら気付かれていなかったというのに。

「俺もそういうのは得意でな。それで?あの絵の近くにあった扉はあの時点ではここと繋がっていたのに、戻ろうとして開ければただの部屋になっていた。どういった手品を使ったんだ?」

 おかげで、六時間ぐらい帰るのにかかっちまったぜ、とぼやくノアの言葉を聞いて、そこで、ようやく青年はあの連れ去った時点からずっと尾行されていたのだと気が付いた。

「ああ、だからあなた方はその方を連れ戻しにここへ来られたという訳ですね」

「まあ、ここに来るまで倍以上の時間はかかったけどね」

 それは、アルミネラのほんの思い付きだった。

 登山を優先した自分の代わりをイエリオスに押しつけたから、邪な感情を抱く者たちがいないとも限らないので、念のために従者としてノアをイエリオスに付けたのだ。

 ノアが付いている事をイエリオスもエルフローラも知っていたため、この誘拐も冷静に対応出来た。

「なるほど」

 事の顛末が分かって、従僕の青年は小さく頷く。

 彼としても、初めてここへ侵入者が入ったのか気になっていたので腑に落ちた。

「この城の構造は、あの城と同じ造りとなっています。そして、こことあちらを繋ぐ鍵は彼が見ていたあの絵画、あれに魅入られた者が現れると扉が繋がる。私も何故そうなったのかは知りません」

 そこで、イエリオスが思い出したのはあの最後に見ていた人物画だった。

 視線が合うわけでもないのに、ゾクリと背筋を凍らせる恐怖が沸き立った時の感覚を思い出した。

「あの、絵は」

「あれは、アルレット様の肖像画なのです」

「えっ?でも……だって、あんなの」


 ――嘘だ。


 と、イエリオスは首を捻る。

 確かに、髪色や年齢的には合っているが、ここで見た天真爛漫な彼女とは全く顔付きが違ったのだから。

 ばらばらに乱れた髪の隙間から、まるで、全てに憎しみを抱き、恨んでやるとばかりにこちらを睨み付ける形相は、まさに幽鬼の如く怖ろしいものだった。

「ちょうど、お亡くなりになる前の年に描かれたものだと別の者に聞きました」

「え、亡くなったって……それじゃあ、彼女は」

「アルレット様は、ご自分が既にこの世にいない事すら忘れていました。ですが、――ああ、もう終わりですね」

 彼のその言葉を合図に、明かりが消える。

 どこからともなく、ぼろぼろという石が崩れるような音が響き、イエリオスは外を見た。

「え、嘘」

 ここへ連れてこられた時に見た城は、古いながらもまだまだしっかりと建っていたのに、今、目の前に見える城は荒廃していて、たまに石が崩れて室内がむき出しになっていた。

「どうやら、アルレット様がようやく自覚されたのでしょう。ここも、まもなく崩れます。早く、ここからお逃げ下さい」

「行こう!イオ!」

「あ、ちょっ!だったら!だったら、あなたも一緒に行きましょう!」

 アルミネラとノアに引っ張られながらも、ここへ来て短いながらに、色々と世話をしてもらったり助けてもらった恩と、助かる命があるのならば助けたいという思いで手を伸ばす。

「……いいえ、それは無理なのです」

 だが、彼はあのたまに浮かべる全てを諦めているような笑みを浮かべた。

「ここへ連れてこられた際は、まだ確かに生きていました。ですが、もう……私の体は骨と化していますので。何故なら、私は今より百年程前の人間だから」

「っ!」


 ――だから、だ。

 だから、この人との会話をするといつも違和感があったんだ。


 思わず息を飲んで立ち止まったイエリオスに焦りを感じて、ノアがじれってぇな!と言って抱きかかえた。

「なっ、ちょっと!」

「うるせぇ!」

「お願いだから、じっとしてて!」

 あり得ない行動に、抗議の声をあげるイエリオスだったが、何故かアルミネラにまで叱られてしまう。ノアが蹴り倒した扉も今では木くずと化して、歪んだ入り口をくぐり抜ける。

「せっ、せめて、名前を!」

 伸ばした指の先に見える彼は、それでも首を振って微笑みを浮かべた。

「どうか、お元気で」

「……っ」


 そして、見えなくなってしまった白金色の髪の少年たちには聞こえない声で呟いた。



「ありがとう、私が愛した者の末裔たちよ」






 千年ほど前に建てられていたという城は、森の奥深くで今はもう廃墟と化している。

 そこに献花するように野花を添えた少年の見上げた空は、太陽を迎える為に月が息を潜め白ばみ始めていた。










「さて。これから、どうすれば良いのかしら?このまま、死の番人が迎えにくるのを待っていれば良いのかしら」

「アルレット様」

「あなたたち、まだいたの?」

「私たちは、いつまでも共に参ります」

「……まあ」



「もう、本当に罪な子たちね。でも、いいわ。許してあげる。これから、何が待ち受けているのかも分からなくて不安だったけれど恐くはないわ。だって、わたくしは独りではないのだから」







最後まで読んでいただきありがとうございました!



サイドストーリーでの登場人物


アルレット・エルフェ=ミュールズ 女 17歳 元王女。17歳の時に病で死亡。千年前の王女様。

 ひらひらと綺麗に巻かれた腰まである緋色の髪、緋色の瞳、頬にアザ

 「わたくしのお人形にしてあげる」


ルーベンス・ノルウェル 男 19歳 ノルウェル公爵家次男。およそ百年前にアルレットに囚われた。

 赤茶色の髪、オッドアイ、右:すみれ色、左:黄色がかった緑色

 ※当時、エーヴェリー公爵の娘と婚約していたが、失踪で解消。

「ああ、私の血族はまだ続いているのだろうか」


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