椎名麻優 一歳
あれから、一年。
子供は、麻優と名付けられた。あの父親から一文字無意識にとってしまったことに気付いたので、慌てて反対に優しい子にという願いを込めた。
麻優は、あまりミルクを飲んだり離乳食を食べる子ではなかった。動くこともなく、絵本を読んでいる大人しい子であった。
夜泣きもせず、手のかからない子供。
でも、ひとつ。彼女には危惧することがあった。
麻優は、生まれた時もおぎゃぁと泣かず、無言で泣いていた。今も、泣くときは声を出さない。
一歳を過ぎたというのに、何も話さない。不安に思うも、あそこから逃げた身。安易に医者に見せることはできなかった。
それと、もう一つ。
「あの人に、似てきてる」
目の錯覚だろうが、そう思えてきた。そうなると、人間とは恐ろしいものだ。
結奈は、幼い我が子に手を出し始めた。
手を使い、足を使い。はては、物を使って。
自分の手が痛み、麻優が声を出さず大泣きしてようやく結菜の手は止まる。心を埋めるのは、激しい後悔。
けれど、あの人に似てきた息子をどうすればいいのだろうか。捨てるわけにもいかない。麻優をしばし見つめて、結菜は寝室に逃げた。
えぐえぐ、と麻優は泣きわめく。泣き止んだ時に、周りに母の姿はなかった。
母様は、なんで僕を殴るんだろう? 僕が悪い子だから?
一歳にしては、賢すぎる頭で麻優は考える。けれど、いくら考えても答えなど出てこなかった。
ゆっくりと麻優は立ち上がり外に出た。母に殴られた日は、外に出ることが多い。
周りに憐れんでもらいたいからじゃない。ただ、なんとなく。
「あら。麻優ちゃん」
お隣の叔母さんが、麻優に気付き声をかける。
二コリと笑いかけて、麻優は答えた。
「今日も、やんちゃしちゃったのね」
麻優の頬に残った涙の跡と腫れた頬を見て叔母さんはそう言った。叔母さんは、麻優が虐待されているなんて思っていない。
「冷やそうねー」
濡れたハンカチを麻優の頬に当てる。
きゃあと冷たくて喜ぶ麻優に叔母さんは柔らかく笑った。しばらく麻優の頬を冷やしては、彼女はハンカチを外した。
麻優を抱き上げる。
「お腹空いてない? 喉は?」
ふるふると首を振るも、腹の虫は正直なようで。ぐうと麻優のお腹が鳴った。
「あらあら。麻優ちゃんのお腹の虫さんは正直さんね」
クスクスと叔母さんは、笑って家の中に入った。
リビングに入り、麻優に薄めたオレンジジュースを出した。
一歳の子でも食べれるような食事を作り出す。久々の温かい食事に麻優は、嬉しそうにしていた。
手を合わせて食べ始める。叔母さんの料理はどれも美味しい。
「美味しい?」
尋ねられればこくんと頷いた。