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私は持参したクロッキーブックを机に置いた。ようやく人が揃ったからだ。今日はフルメンバー。ええ、ベルも仕事に都合を付けてわざわざ時間を作ってくれたわ。
「さて、前回はどこまで行ったか」
「議事録読めよ」とにべもなく切り捨てるディートを無視したヤンは、備品の黒板につらつらと書きだした。
題目は、研究資金について。
「複合魔術の弱点は、現状使い手が非常に限られるところ、か。複属性と似ているから、今は無用の長物、でもある。しかし、いや、複合魔術の可能性は無限大だ。基礎研究はあらゆる分野にかかわる根幹。研究内容が実生活に役立たないから援助しない、なんて話にならない」
芝居がかっているヤンが、予算を書き出した。項目はさておいて、金額が問題よ。零が並んでいるけれど、それ、桁数どうなっているのかしら。
筆圧でチョークが弾けとんだ。
「なのに何故! 予算が降りない!」
ヤンが机をどん、と叩く。ラインハルトが書類の山を抑えて、失敗した。書類が無惨にも床に散らばっていく。
追加予算が通らなかったヤンは、荒んでいるわ。
「そうはいっても、仕方ないでしょう。備品破損のペナルティということではないのかしら。担当者の彼は、相当切れていたもの」
ベルがラインハルトを手伝いながら、もっともな指摘をした。やっぱり、壁に穴はまずかったわね。
「だから、金策を考えるんだよね」
そして、フィロガがチョークの欠片を拾って進まない話を進める。こういう時の副リーダーだ。他のやつらは軌道修正なんてしない。昔からなんだかんだ、フィロガはヤンの御守りしてるわ。
「そう、そうだ。しかし、我々の懐から徴収、という形では負担が大きすぎる」
「俺は無理だぞ、仕送りしてんだから」
「私も、申し訳ないのだけど贈り物用の魔道具にもう使ってしまって……」
ディートリヒとベルが即座に財布事情を告げる。そうね、まともな二人にたかるのはよくない。
義兄はラインハルトをちらっと見てから口を挟んだ。
「俺は自分の研究と生活費で使っている。ハルもそうだよね」
「当たり前ですよ、先輩!」
総倒れ。誰しもお金に余裕はない。みな、それぞれ使い道を決めているのよ。ところでヤン自身はどうなのか。実家住まいだし、魔術師の名家なんだからお金に余裕はありそうなものだけど。
「ヤンは当て、ないの?」
「私は兄が給料を握って、出してもらえそうにない」
ああ、もうこの人って本当に研究以外ダメダメ。盛大なため息をつきたいのはこっちよ。ディートリヒが遠い目をした。
「お前、まだ管理されてるのか……」
「気づいたら父が支払先を兄に変えていたんだ、不当だ」
「いや、生活できないほどつぎ込むやつが悪い」
ヤンは生活力がほぼ零と、そう聞いている。
ちなみに私は、画材でお金が消えていく。そんなのは周知の事実ね。なんでこんなに高いのかしら。
「リリー、ところで今月はいくら使ったの?」
「あんたは知らなくていいでしょ」
やばいわ、こっちに飛び火した。どうにかしてごまかさないと。必要な物資の項目を確認していると、ふと思い浮かんだ。
「ヤン、原材料はあたしたちでも採掘できそうじゃない?」
魔力石の購入費用って項目ならどうにかお金を抑えられる気がする。しかし、ヤンはメモをめくると「否」と答えた。ええ、本当は分かってるわよ、その理由は。
「今必要な魔力石は貴金属類だ。が、採掘に制限が掛かっているから購入一択だ」
「ふーん。ああ、誰なのかしらね。過去に鉱床を食いつぶした魔術師って」
そのせいで法律が決まってしまったんだから私は恨むわ……端っこでどこかの研究者が目を逸らしているのは分かっている。弱みくらいお互い握っているんだから、そっちがその気なら、迎撃するわよ。
私とフィロガの攻防で素面に戻ったヤンが求人票を幾つか用意した。
「まあ、そこで、だ。仕事の依頼を受けようと思う」
平和が一番よね、やっぱり。
そしてその中身を見て、びっくりした。別団体である魔術師組合の求人票をわざわざ取ってきたのね、ヤンは。
魔術師組合は、協会と提携している。あっちは荒事向きで、魔術を使った依頼の斡旋をしているの。協会とは違って、魔術師以外も依頼を受けられるのよ。
「協会の依頼は件数に上限がある。だが、今は金が必要だ。討伐系の依頼か、護衛系の依頼か、の二択だ」
ヤンの目がぎらついている。金、金、金。それしかこいつの頭にはないんじゃなのか、と思うほど。理性はどこに行ったのか、私は聞きたい。
それに、素材採取や魔術講義も一応、仕事としてあるはずなのだけど。ヤンはハイリターンに目が眩んでいるらしい。もう少し周りを見てちょうだい。
沈痛な面持ちの義兄は求人票を手に取って、間引いた。
「討伐系はやめといたら?」
ざっと半数が姿を消したのを見て、ディートリヒは口がひきつっている。彼は戦闘向きじゃないもの、そうなるのも分かる。
更に選別しようとしたフィロガの手を塞ごうと掴んだヤンに、私も頭が痛くなってきたわ。
「あのさ、なんで邪魔するの?」
「依頼が無くなってしまう」
「そもそも、ヤン、攻撃魔術で戦えないだろう」
そう、持ってきた本人が戦闘できない。完全なる他力本願。それでもまだ諦めきれないようで、ヤンは言い募った。
「後方支援で」
「リリーやハルの負担が大きいからダメだ」
「そうよ、あたしらだけじゃ、魔物討伐は無理よ」
フィロガの言葉に他の皆は同意している。意外なことにラインハルトは魔物相手の戦闘ができる。私が魔術一辺倒なら、彼は剣技で翻弄して魔術を叩きこむってスタイル。世間ではいわゆる魔剣士って分類ね。
でも、戦闘が出来るだけで、決して安全とは言えない。うっかりミスで命を落とすなんてざらにある。だから『剣』だと特殊な魔道具を使ったりするけど、同好会には諸々許可が下りないわ。
そうすると、私が全力で当たる事になるけど、他のメンバーを巻き込まないとも限らない。魔物討伐で手加減したら死ぬもの。
それでも諦めきれないヤンは、義兄にすがった。
「フィロガだって戦えるじゃないか!」
「一人じゃ戦えないよ、俺は」
その一瞬だけ、義兄は目を細める。ああ、駄目じゃない、ヤン。少し苛立っているフィロガに、ヤンの勢いが削がれる。
フィロガって、私以上に手加減が苦手で。ディートリヒに調整してもらわないと、やりすぎる。性格は合わないのにパーティ組まされるディートリヒが過労で倒れたなんてこともあって、散々だった、と。
それもあってか、義兄は『剣』へ行かなかった。そもそも『飾』向きのはずだったけど、紆余曲折の末『理』に入っている。ああ、あの頃のいざこざが思い出される。一時期グレたの、フィロガは。
「そうだぞヤン。こいつの御守りなんてやってられるか」
「そういうことで、戦力外が多いから無理」
ディートリヒが頷いている。でも、突破口が無いのも事実だ。もはやヤンの説得に終始するフィロガはさておいて、どんな仕事があるのか確認しましょうか。
紙切れを取って目を通していく。そうしたら、間引かれなかった求人の中に見覚えのある名前で護衛依頼が入っていた。
「ねえ、このトリシャって依頼人、たぶんメアの友人よ」
ポプリのタグと筆跡が同じ。
ヤンが真っ先に飛びついた。メアを研究したいからって関係者まで調べるつもりかしら。ヤンならやりかねないか。被害者、結構な数に上っていると聞いている。
「ディートの講義受けているって言ってたわ、確か」
「ああ、トリシャ・サイネル。熱心な奴だから覚えてるな。つーか、あの女の知り合いだったのかよ」
「薬草採取の護衛、とありますね」
顔に「げ」と出てたディートリヒに話すと、思い当たったのか納得の表情に変わる。ディートリヒは相変わらずだ。メアに引っ掻き回されて迷惑、ともぼやいていたわね。非常に分かりやすい。そしてラインハルトが依頼文を読んでいる。
依頼の報酬は……十分すぎるほどある。山分けしてもいいくらいね。
「よし、申し込もう!」
勇み足のヤンは迅速な行動力で依頼を申し込みに行った……あれは、相当うきうしているわね。残された私たちはもう諦めた。まぁ、臨時収入はみな欲しいのも正直な気持ちよね。
そして止める間もなかったフィロガは頭を抱えている。
「護衛だと戦闘もありえるけど、いいの?」
「……その時はリリーとハルに任せておくよ」
やる気に溢れているラインハルトに全部押し付けるわ。フィロガのためなら、喜んで戦ってくれるでしょう。
「そういえば、メアってどうしたのかしら」
「さぁ。予定ができたからあまり来ないとは言ってたけど」
ここしばらくメアの姿を見ていない。お陰でフィロガの挙動不審な態度が減った。
私としては楽しみだったお土産がなくなって口寂しい。あのジャムが恋しい。
「リリー……物に釣られすぎだろう」
「何がよ」
「はぁ、何でもない」
フィロガは残念なものを見る目で首を振る。だって、美味しいじゃない。
にっこりと笑顔のトリシャが訪問してきたのはすぐだった。組合の窓口でヤンに会ったらしい。誰かしら依頼を引き受けるのを待っていたようね。
トリシャって第一印象は普通だから、初めて会った面子も警戒をさほどしていない。
「みなさん、よろしくお願いします。期限ギリギリだったので助かりました!」
「ああ、よろし――」
「ところで、魔力値を計らせてもらえないだろうか」
でも、フィロガを遮って発言を続けるヤンは誰が見てもやばい扱いされるわね。
トリシャは首を傾げた。今はその話じゃない。不思議そうな顔をしているから、やっぱり変だと思われているわよ。
「ええと、かまいま――」
「ヤン、少しあっちで話をしようか」
ラインハルトに両腕を取られ、笑顔のフィロガと共に離れた場所へ連れていかれた。隔離ね。もう手遅れな気がするけれど、協会のイメージ下げる行いは部外者にはやめたほうがいい。
「えと、では、依頼内容を説明しますね」
「ああ、頼む」
「はい、ハーフェン先生!」
トリシャは深くは突っ込まずにディートリヒに返事をした。
「場所はサセックの森林地帯、隣国です。薬草は定期的に採取しているんで許可証の発行は済んでいますから、後は護衛の方々の登録だけでいつでも出立できます。できれば、取りかかりは早めがいいです。採取に必要な物資は私が持参するので、皆さんは各自、数日分の食料と野営の用意をお願いします。そちらの代金は別で支払いますので、後で請求してください」
数日かかる任務となると、みなの業務調整が厄介ね。私の業務は他のやつに回しても問題ないけど、ベルやディートリヒは替えが利かない業務も抱えているはず。
「ベルは問題なさそう?」
「急ぎの納品は終わっているから、私は大丈夫よ」
「ディートは?」
「あー、授業が四コマ消えるが別に良いだろ。レポート提出させるから問題ない」
「申し訳ありません、先生」
「気にすんな、そろそろ一度実践させないといけなかったし、ちょうどいい塩梅だ」
トリシャが頭を下げると、ディートリヒはひらひらと手を振る。大丈夫そうね。
離れた場所にいる研究者たちは、時間あるでしょう。
外野から聞こえる「ヤン、お前もう少し考えてから」とか、「だって、お金が」とかのやり取りはどうでもいいわ。だから、了承しておいた。とりあえず、日にちの打ち合わせもしないと。
「各部署に外出許可書出す必要あるから、最短で三日後くらいになるけど、大丈夫かしら」
「構いません、お手数おかけしますけれど、よろしくお願いしますね」
トリシャがお辞儀をして帰ると、私達は急いで準備を始める。
組合の依頼は外部受注。諸々の手続きがこの後、待ってる。嫌いな書類仕事よ、本当にげんなりするわ。
それから数時間後。私は書類提出のために隊長の所に向かった。
ほほの辺りに大きな傷跡のある壮年の上司は、書類を一瞥してキセルの煙をはいた。昔はやんちゃだったらしい彼は、私をじろりを見上げる。
「なぁ、リリー。お前さん、噂を聞いたことはあるか? 都市の外で最近流れている噂だ」
「いえ、どんな噂ですか」
唐突な切り口を不思議に思いつつ隊長の言葉を待つと、静かに私を見つめる。
「ヤバイ魔術師が野放しになってるって噂だ。そいつは、笑いながら魔物を消し炭にしたあげく、残酷に切り刻んだと」
それは確かに怖い噂ね。全く知らなかったけれども、そういう人間もいるのね。
「ちょうど、半年前か。心当たりないか?」
半年前……ああ、何となく着地点が見えてきたわ。
前の遠征で魔物と遭遇したことを思い出した。再生能力が高くて、焼いても動き続けるやつだったわ。だから、最後は風の魔術で粉塵にまで砕いたの。
十中八九、私の行いが歪曲されたのね。初耳の噂だけれど、時々、やりすぎと窘められるからいつも通りの小言。
「その噂の魔術師が、何か問題があるのですか?」
私がそう答えたら、隊長はキセルを置いて、くわっと前に身を乗り出した。
「十分問題だ!」
だん、と机を叩きつける隊長は切実な声だ。
胃が痛みだしたのか、薬瓶を取り出して中身を何粒か放り込む。見た目に反して、繊細な人なのよね。
「しかも、あのヤーニャ率いる同好会総出の依頼だと? 馬鹿は休み休み言え!」
隊長の手の下にある書類が歪んでいく。
ヤンって、本当にいろんな所で有名ね。隊長が知っているくらいだもの。ああ、そういえば、ヤンの兄が『剣』にいたわ。私は接点薄いから忘れてた。
「外出許可はする。許可はするが、決して、協会の品位を落とすなよ」
それだけいうと、隊長はサインをした。念の押しようがすごい。
そこまで言わなくても、良い気がするのだけど。過去の事を思い出して私は言葉を飲み込んだ。
「それと、リリー」
書類を受け取って退室しようとしたら、呼び止められた。隊長は難しい顔をしている。
「お前、リーメア・スレイと何かあったか?」
「リーメア?」
「あれだ、あの特別講師の。お前と切り結んだ女だ」
ややあって、メアのことだと気づいた。彼女、いつでも自分のこと、メアとしか言わないから分からなかったわ。リーメア、か。あまりメアにしっくりこない。
「――問題が生じたのですか?」
「いや、何もなければいいんだが。お前を探っている節があってな」
バーナードもそんなことを言っていたような。『剣』ではメアが警戒対象になっているように感じてはいたけど、私と上層部では温度感が違いすぎる。
隊長は顎を撫でている。考え事してる時の癖に、私は言葉を待った。
「あれは、有名な傭兵なんだ。『死神』って大層な名前持ちのな」
「『死神』とは、すごいですね」
「関わった奴の半数は死ぬ、って意味でな」
物騒な由来に私は黙る。
「裏組織との繋がりもあるって噂だ。深入りは勧めない」
それだけ言うと、眉間のシワを伸ばして隊長は首を振った。
「まぁ、あの魔王が一緒なら問題ないか……いいか、本当に気を付けろ」
執務室から追いたてられるようにして出た。
閉まった扉を見て、ふと隊長の最後の言葉に首をかしげた。魔王って誰よ。そんなやつ私は知らないんだけど。
***
トリシャの依頼のためにしばらくバディが交代になるとバーナードに告げた。
夜勤を終えて朝日が目に少し痛い。そんなの気にしていない彼は、いつもの調子だった。
「天使が居ないなんて、悲しい」
「あっそう。代わりはエダになるそうよ」
結界の魔術を得意とする同僚の名前を告げたところ、バーナードは遠い目をした。エダははっきりした性格で、バーナードへ猛アタックしている。
そして私は何度か彼に釣り合わないと手紙を受け取った。ある意味、律儀で礼儀正しいのかしら。
だったら、一緒になる機会を増やしてあげればいいんじゃないか、と私は思った。傷に海水を塗りたくっている映像が一瞬浮かぶけど、私の気持ちは変わらないから別の人に目を向けてもらおう作戦。
ちなみにエダは『剣』の女子の中で一番影響力強いから、その彼女と反りがあわない私は女子からはつま弾きにされている。派閥は面倒、巻き込まれたくないのに回りがどんどん盛り上がっている。
返事が遅れたバーナードを見ると、苦笑い。
「彼女は、なんというか、情熱的なところは魅力に思う人もいるんじゃないかな」
バーナードはエダに苦手意識を持っている。それは何度か聞いた。でも、新しい一面が見つかれば変わるかもしれない。
固まった体をほぐすように動かしながら私は続ける。
「捕まらなかったのよね、他の人は。『剣』の男たちは逃げていくし、どうしてなのかしら」
「ああ……まあ、やむに已まれぬ事情があるのさ」
「事情って?」
目を泳がせるバーナードをじーっと見つめる。
「そんなに天使に穴が開くほど見つめられると、溶けてしまうよ」
「事情って」
「君は、純粋で可愛らしいままでいてほしいな」
答えになっていない。はぐらかされている。立ったまま無言で無表情のまま見続けると、バーナードは一言だけ言った。
「魔王がみな怖いんだ、リリー」
「魔王って。誰のことよ」
「これ以上は言えない、黙秘するよ」
はっきり拒絶してきたわね。一人歩きしている魔王の話はもう諦めたわ。バーナードが言わない、ということは誰も私には言わない。
「とにかく、決まったから、後はよろしくね」
「早く僕の元に舞い戻ってきてほしいね、天使には」
その言葉が、甘くて甘くて、本当に、甘くて。あんみつの蜜にしたいと思った。
※2020.8月『署長』を降格して『隊長』に変更しました。そのため、描写も一部変更しました。
※2021.9月改稿しました。