3-12
静かな夜。そっと蔀を外して庭に出る。空には満月が浮かんでいた。
少し肌寒いかも。真っ白な小袖に上着を羽織ろうか迷って、でも内緒で抜け出しているから止めた。
音を立てないように庭の奥、山の麓と敷地を隔てる境界線を跨ぐ。結界が少し揺れて振り返った。誰も来る気配はない。
少し歩いてからはすぐに走り出す。急がないと。時間は短いんだから。
開けた場所までたどり着くと彼が待っていた。
『日琉磨!』
抱きつくと困った声が聞こえる。
『そんな姿じゃ危ないよ』
違和感がある。彼はこんな声だったっけ。見上げると優しそうな赤い目。お揃いの髪。私の愛する彼に違いない。
『声が枯れちゃった?』
『そんなことはないよ。どうしたの急に』
『ううん、何でもない』
きっと気のせい。彼の手を取って他の子達の元に行く。そして彼の妹が笑顔で抱きしめてくれた。
ほんの数ヵ月前までは同じ背丈だったのに、もう大人の姿。日琉磨だってそう。この子達と私では時間の流れが違う。
『馨が来てくれて嬉しいわ。ほら、あれがあたしの旦那なの』
『……少し、想像してた子と違う。魅夜美の好みって変わってる』
『あんたの好みは兄さんだからそう思うだけでしょ。あたしからすると馨が変わってるわよ』
頭をくちゃくちゃに撫でられて乱れた。日琉磨が見てるからすぐに手すきで直す。
それよりもお祝いしないと。
赤朽葉色の香果実を籠から取り出す。本当は利宇古宇を持っていきたかったけれども、母様の好物だからすぐに数が減ったと気付かれてしまう。
祝詞も一緒に唱えて渡した。魅夜美が嬉しそうに目を細める。
『ありがとう。女神様の言葉ならご利益は間違いないわね』
『私は女神なんかじゃないよ』
『そう? まぁ、本人がそう思ってるならそれでもいいけど』
別の子が彼女を引っ張っていく。はしゃいでいる子達を眺めながらにこにこしていたら、日琉磨が肩を叩いた。
『そろそろ時間だよ』
『まだ居たい』
『駄目。君と僕達の約束忘れた?』
拗ねてみても引かない彼にため息をついた。
『混ぜてくれないのはずるい』
『君は人の世で生きないと』
そう言われても、近くの村の人達は私を見たら石を投げてくる。仲良くできる気がしない。
それなら日琉磨達と一緒がいいのに。
どうして私は彼等と違うの。悲しくなってぽろぽろと涙を流したら、そっと指で拭われた。
優しい。でも、酷い。涙が止まらない。だって、これじゃ私も諦められない。
『……馨、分かって』
『分からない! 私、そんなの分からない!』
彼の手を振り払って外に駆け出した。そのまま庭のすぐ側で戻って蹲っていると足音がする。見なくても誰かは分かる。
『また抜け出したんだな、馨』
声変わりをはじめた兄様は呆れている。ため息もつかれて私は顔を深く埋めた。
『和御魂と戯れるのは仕方ないにしても、お前は人の身だろう』
『違います! 私は人ではありません! あの子達と同じ、同じです……』
日琉磨と同じ時を生きれないなら、私はもう生きていたくない。だから放っておいて。
兄様が私を抱きしめる。触れられたくないのに力強くてうんともすんともしない。
『どう思おうともお前は人だよ。人の心を持っている。私達家族だけじゃない、他の者達とも分かり合えるはずだ。だから諦めるな』
優しい声にかぶりを振る。
ああ、兄様。私の大好きな兄様。
貴方の仰るとおり、私は人でした。
***
目を開けたら見慣れない天井だった。ここはどこだったかしら。ぼうっとしていたらカーテンを開く音がした。
「気分はどうですか」
『癒』部長に優しい声で訊かれたけど、状況が思い出せなくて混乱している。今まで夢を見てたの?
少しずつ頭がはっきりしてきて夜のことを思い出す。そうだったわ、この人に薬を盛られたんだ。
「よくはありません 」
そう返したら「そうですよね 」と苦笑されたわ。
「信用できないとは思いますけど、診察させてもらえますか」
無言で頷いた。『癒』部長はいたずらに人を傷つけるタイプじゃないってことは知ってるから事情でもあるんでしょう。さすがに導師達が見逃すとは思えないのよ、非合法な取り調べなんて。
改めて簡易的な検査をされながら考える。
あの呪術書はどうなったかしら。皆の様子から、前から問題視されてたってことよね。呪術の痕跡を辿るはずだったんじゃないかと思う。
祓ったのは本当に悪手だったと落ち込んでいたら『癒』部長が声をかけてきた。
「リリーさんは……あまり驚きませんね。私が危害を加えたのに」
「上長の許可があったんだと思いました」
少なくとも部長は私を殺そうとなんて思ってなかったから。
出かかったその言葉を飲み込む。道具を片付けながら部長が微笑む。
「許可じゃなくて、黙認ですよ。貴方が関わっていない場合は処罰を受けることになってます。役職を降りるわけにはいかないのであと数年は据え置きですけれど」
「本当は部長になりたくなかったんですか?」
やけに失言しやすいわね。口を覆ったら部長は和やかな目で私を見るだけ。食事を用意するって告げられてそのままカーテンを閉められた。
枕に沈み込んだ頭がまだ沈んでいきそう。
考えが纏まらない状態でいると、複数の足音がする。部長だけじゃないわね。
「フィロガ君から聞きました?」
「いえ、何のことでしょうか」
「あの子のことだから、誰かを向かわせるだろうと予測してましたよ」
え、どうしてメアがいるのよ。
起き上がろうと思ったけれども、さっきよりめまいが強くなってて止めた。
二人は私の話をしているみたい。メアがとても畏まっている。部長に負い目でもあるのかしら。
考えが纏まらなくて目を閉じて眠ろうとしたけれど、意識は冴えている。
かた、と音が響く。カーテン越しの影は背が低いからきっとメア。
「リリー、具合のほどは」
綺麗な声。さざ波みたい。
普段から聞いているけど、ふと浮かんでくるのは大海原。里親に連れられた浜辺を思い出すわ。ほんの少しだけ気分が軽くなる。
「起きるのはまだ無理そうだわ」
「そうか。お大事に」
メアは私のこと、何も聞かない。
『剣』の魔術師のように警戒するでも、同好会の人達のように心配するでもなく。義兄やベルやバーナードのように尊重してでもなく。
一瞬視界が暗くなって、気が付いたらだるさが無くなった。カーテンを開けると誰もいない。
勝手に出て行っていいか迷うと机に蓋のされた食器と置き手紙が目に入った。これを食べたら『剣』に行くようにって内容。ここの鍵は掛けなくてもいいらしい。
不用心に思ったら足元をかすめる何かがいる。
部長の緑狼だった。私を見上げてしっぽをぶんぶん振り回しているわ。
「あんたずっといたの?」
しゃがんで緑狼の顎を撫でると嬉しそうに体を揺らした。とても人懐っこい子だったのね。普段は部長の命令通りにしか動かなくて分からなかった。
「飼い主の代わりにお留守番してるのね。パミラ部長のこと、好き?」
声は聞こえない。それでもはしゃぎ方から肯定しているのは読み取れた。
純粋で裏表がない。そんな風に過ごせるのは羨ましい。
『色移り』で見た目を勤務時の色に固定して部屋を出る。
『剣』ではよそよそしい顔をする同僚達がそれとなく私を避けて通る。事情を知らない連中もいるでしょうに、見事にのけ者扱い。学園生の頃を思い出す光景だった。
無言で隊長のところに行くと、机で頭を抱えていたわ。
「すぐ署長室に行け。話は以上だ」
隊長のくたびれた顔と胃薬の量に罪悪感が沸く。今は命令通りに居なくなった方が気が楽でしょう。
そのまま署長の所まで足を運ぶ。
護衛の魔術師から身体検査を受けて入室すると、『剣』署長とフィロガのファンの人が居たわ。普通、部隊長が控えているものなのだけど居ない。
ファンの人が扉の方へ移動して防音の魔術を使った。それを確認した署長は深刻な表情。
「初めに謝罪する。君には魔族と邪神教徒である可能性が浮上していた」
「それはどこからですか」
後ろからファンの人が代わりに答えた。
「魔族は人間と体の構造は変わらず、しかし、毒への耐性や回復力が医学的には説明がつかないことが多いんですよ。その事実と、検査の偽造からです」
断定口調のこの人はかなり魔族に詳しいのね。私の戸惑いでも感じたのか、追加で説明してくれる。
「私は違いますからね。高官の家系だから魔族を知ってるだけです」
署長が空気を戻して続ける。
「邪神教徒はデータ改竄の技術に長けている。そして、極力注意をしていても、どこかしらに紛れ込んでくる。君の件は過去の上層部の判断、ということで邪神教徒の線は消えた」
あえて口に出しているのはファンの人へのパフォーマンスかしら。この人は偽造を知っていたはず。
昔の事を思い出してると署長が「ときに」と声をかける。
「君が呪術書を触ったのはいつ頃の事だ?」
「おとといの夜です」
難しい顔をする署長は数枚の紙を並べる。
「フィロガ室長が触れた時点では呪術は効力を持っていたらしい。そして、君が触れた段階では影響力が消えた、となるが……」
やっぱりそうなるわよね。
黙っていると、察した署長がファンの人に退室命令を出した。ファンの人は少しだけごねた。
「部隊長が納得しませんよ」
「覚悟の上だ」
「グレスが足止めしてる間は席を外します。それ以上は譲歩できませんから」
えらく署長に気安いファンの人はスタスタと命令に従った。私は頭が疑問だらけになる。
「意外そうな表情だが、どうしたんだ」
「仲がいいように見えました」
「それは……まぁ、昔はな」
思わせぶりな言動に色々考えるけどやっぱりうまく関係性が嵌まらないわね。性格とか合わなそうだもの。
解呪したのかと聞かれて私は渋々頷いた。
「こちらの見解は、フィロガが意図せず解呪したのではないか、ということになっている」
「あの人はそんなこと出来ないと思います」
「いや。昔、エイドリアン導師の目の前で呪詛を浄化したらしい」
「呪術師なのに、ですか」
署長はわずかに目を伏せて答える。
「彼は確かに呪術師の適正はある。が、それは西大陸の呪術師としての適正であり、呪詛を振り撒いたという事実はない」
そうきっぱり言い切るこの人が義兄の味方で居てくれてよかった。だからこのまま何事もなく終わればいいと、私は思う。
赤いアミュレットを眺めていると、視線に気づいた署長は深呼吸した。
「君は、このままでいいのか」
そうね。良くはないわ。でも、もう私に取れる手段はこれだけ。
なるべく冷淡に見える表情をして会話を打ち切った。ちょうどいいところにファンの人が入ってきた。きっと部隊長が近づいてきたんでしょう。
そのまま話の流れで解呪は義兄の仕業になったわ。事実ではないけど、その方が私にとって都合がいいから肯定も否定もしない。
……結局、私も汚い人間なのよ。
あの子達と同じになれなかった、利己的なただの汚い人間だったのよ。




