【サイドA】1-2
※2021.11月に改稿しました
仮宿で私は自分が纏めた報告書を眺めた。
夜の闇は静か。蝋燭の影が差して、少し文字が読み取りにくい。魔道具を使えば目を細める必要もないか。そう、考えて気づく。
「……だんだんと染まってる」
いつもの仕事時であれば大して不便に感じなかったというのに。体は正直だ。
戸が開いて、騒々しい部下が戻ってくる。報告書をたたんで封をした。
「メア様、夜食お持ちしました」
小さなクッキーを皿載せて、トリシャは笑顔で扉を開けた。
この子は拾った時から変わらず。時々、救われる部分はあるけど……それ以上に迂闊なことをしないかの方が心配なの。
お礼を言って、紅茶に手を伸ばす。やや濃いめの味は残念、香りが飛んでしまう。後で再教育しよう。
そして、私は机に積まれた紙と紙と紙を見つめた。
「今日は徹夜ですか?」
「そう。昼までに翻訳を終わらせてほしいと」
インクが掠れて読みにくい字。これは書き直しか。自分の性格に嫌気が差した。
「もうやめたい」
「それなら、ヤンさんの研究に付き合えば良かったのでは」
「神経削れる。下手に誤魔化せないから困る」
ヤーニャは、まずい。彼女は生粋の魔術師研究者だ。私の魔力のデータで余計なことに気づくかもしれない。場合によっては、口封じの必要が。そんなのは、不本意だ。
トリシャが「そうなんですかー」と適当な声で相槌を打ってくる。そして、散乱する用紙を摘まんですぐに元に戻した。
「だから、母国語の翻訳依頼をこなしていたんですね……」
「計画が総崩れ」
それもこれも、自業自得の結果なのだけど。
ため息しかでない。
初めは潜入して徐々にお近づきになるはずだった。そのための講師枠。それを棒に振ったのは、私の判断。
やはり、私は隠密にはまるで向いていない。
「当たって砕けるしかないか」
「メア様って、顔に似合わず考えなしですよね」
「考えなし、とは違う。どちらかというと、その場で対応」
「えっと同じ意味じゃないですか」
論理的な思考はできないわけではない。
でも、実戦だったら直感で動いたほうが生き延びられる。最終的には生存本能に任せた方がいいと、そう教育されたからか。
無駄話を終えて手を動かす。そんな私をトリシャが不思議そうな目で見ている。
「それにしても……メア様、元々の目的はリリーさんなんですよね。どうして兄のフィロガさんとも親交を深めているんですか?」
素朴なトリシャの疑問はごもっとも。辞書で専門用語を探す手が止まった。
理由は、非常に私的なもの。
「フィロガが気になるから」
「本当ですか!」
驚くトリシャを一瞥した。無言の私に、トリシャは天井を仰いだ。おそらくこの様子は、勘違いしている。
「目的と手段が入れ替わってますってー」
「キドナからの溺愛具合がすごいから、興味がわいた」
そのまま訂正しないでおく。
今までキドナが群がっているのは何人か見たけれど、フィロガの場合は寵愛を注がれているようにしか感じられない。それほど、愛されている。
「えー、キドナってメア様が見ている幻覚のことですよね? 意味不明です」
トリシャにばっさりと切られた。
精霊を見ることができる人間は限られている。今もトリシャの膝辺りに一体いることを伝えたら。嘘つかないでください、といわれておしまい。悲しい。
そのままクッキーをトリシャが笑顔で食べてる。私の分は、残るのか。
「フィロガさん狙いって印象強くて違和感ないから、ある意味良かったですね。学園でもかなり噂になってますよー、それでリリーさんに嫉妬、みたいな」
協会は狭いから、すぐに広まるのか……彼への恋愛感情は薄いのだけど。出会いが出会いだった。後で、協会の導師には口止めされた。
のんきなトリシャは興味がなさそうに「翻訳、頑張ってください」と寝る準備を始めた。
手伝わせようか、と思ったけど二度手間になる。トリシャに学術方面の期待は一切していないの。そういう子だから。
話し相手が居なくなり、また自分との戦いに戻った。
「終わるか……?」
ぺら、と次の項目を斜読する。
この本は比較的とっつきやすいからそこまで分からなさは感じない。協会魔術の知識だけでは、おそらく読めないけれど。
ああ……おぼろげな記憶になってしまったけれども、懐かしい気分でもある。愛しい人々の声は霞んで、どれも鮮明には思い出せない。
闇のせいか、静かなせいか。どうも追いつめられると余計な考えばかり浮かぶ。
朝日が昇る頃に最後の一行を終えた。光が目に染みる。でも、今日は予定が詰まっている。
「っと! おはようございます!」
「おはよう。今日は昼と夜はいらない。泊りがけ」
トリシャが慌てて起きて朝仕度を始めた。もう少し、早めに起きてほしいけれど仕方ない。寝ていないから、胃が食べ物を受け付けない。ドライフルーツを一粒だけ食べる。
そのまま荷物と共に協会本部へ向かう。
朝から数人、まばらに歩いているのに混ざって精霊が数体、靄のような形で漂っている。今朝はいないけれど、この辺りは力のある精霊が多い。小さな人型の者も見受けられた。
精霊は一様に可愛らしい。形の有無は大した問題ではない。
外部の受付に声を掛ける。女性の事務員に促されて、契約書と外出届けを出した。
一応、契約期間内は魔術師協会から出る時も届け出が必要。ここは非常に特殊な土地柄であるために。ついでに翻訳の成果物も一緒に提出して裏手に下がる受付を待った。
「依頼主が感謝を伝えてほしい、と申してました」
「こちらは仕事だから気にしなくてもいい」
返却された書類を鞄にしまい、協会本部を後にした。
そのまま協会都市から出て、人気のない場所で魔術陣を展開する。
草原から屋敷の室内へと景色が変わる。
ダークオークのテーブルは館の主の趣味。その上に飾られた花瓶は、この部屋の管理を任されている人の趣味。お互いが調和している。
「あらあら、随分と早い到着ね」
花瓶を見ていたら、声を掛けられた。
掃除の手を止めたお仕着せの女性。その優しい顔立ちに騙された人は何人いるのか。
元々はメイドだったという彼女は、商才で女主にまで上り詰めた人。本来なら掃除させる立場の人で、この館の管理を任されている女性。ここでは、趣味で家事をしている。彼女の部下が止めても駄目だった。
「あら、目元が荒れている。徹夜でもしたの?」
「仕事上やむなく」
「ダメよ、ちゃんと睡眠は取らないと。寝ておきなさい」
めざとく見つけられてしまい、そのまま仮眠室に入れられた。結構な世話焼きで強引。本当に嫌がることはしてこないので、引き際をよくわかっている人でもある。
まだ、会議まで時間がある。
お言葉に甘えて横になった。疲れがとれる程度に眠り、着替えて化粧を整えた。隈はさっきよりも薄く、白粉で隠れた。これで余計な心配や憶測は、生まないだろう。
目的の部屋の前に給仕の格好をした中年の男性が立っている。彼が恭しく扉を開けると、まばらに人が着席しているのが見える。
今日は、幹部達と数人が出席するらしい……九人、か。
一人、見慣れない女性がいた。私の隣席に、十代の少女のような女性が。顔立ちは、はるか東方の民族で、黒い瞳が神秘的。丸顔の愛らしい見た目。
その女性は、私に気づくとにこりと笑う。
「はじめまして、僕、キョウっていうんだ。よろしくね」
「よろしくおねがいします」
「ね、君ってすごく綺麗だね。お人形みたい」
キョウは身を乗り出して興味を隠さずに伝えてくる。
こちらは敬語を崩さない。ここでは、見た目での年齢は参考にならない。キョウ、と名乗った女性は恐らく私よりも年上だろう。ワンピースのようなものと、ズボンのようなものを着ているが、かなり年季が入っている。
「君のこと、少し聞いてたんだ。とても可愛い子だって。後で色々話しようね!」
どなたから。疑問だらけの私の思考は会議の始まりの合図で中断された。キョウもすぐに姿勢を正したから、ほっとして座る。
半円の配置の中心、そこは総帥の席。
総帥は大体初老の年頃に見える紳士。齢三百才越えと聞いている。正確な年齢は知らない。まだまだ快活な御方だ。総帥がキョウに目を向けて淡々と始める。
「さて、諸君にまず紹介しよう。この度、新しく新たな仲間が加わった。キョウ、挨拶を」
「以前から声はかけられていたんですが、今回、思い切って正式に加入しました! よろしくお願いしまーす」
総帥の言葉に、キョウが立ち上がって自己紹介する。物怖じしていないから、きっと慣れている。流石というべきか、私の時は、ただ名前と挨拶をするだけで手いっぱいだった。
他の人達は彼女を冷静に観察している。猛者達の無言の圧力が怖い。場違いの私は一人壁際に避難してはいけないだろか。
幹部の一人が気にかかる事があったらしく、キョウに質問をした。
「以前から、ですか」
少し表情の薄い上品な出で立ちの女性。今のこの組織の女性の中ではトップの幹部。彼女の言葉に、キョウは「はい!」と答えた。
一体、何に引っかかったのか。私は分からない。ただ何事もなく過ぎればいい。
総帥が幹部の女性に頷くと、キョウに向き直って頭を下げた。
「彼女は結界魔術師だ。我々に賛同していただき、嬉しく思う」
「え!? えー、総帥、僕は目下で年下ですから、そういうのは」
キョウが慌て出した。しかしながら、総帥は、元々腰が低い御方なので慣れるしかない。私相手でさえ、下手に出ることがあるからにして。
一応、組織の体面が必要な時は高圧的にも振舞うらしいけれども。そういう場面には、まだかち合った事がない。
「では、会議に入ろう」
その言葉で空気が切り替わった。総帥の左隣に控える男性が資料を配り出す。右目を眼帯で覆う男性は、総帥のご子息でもあり、補佐だ。 色眼鏡を掛けている人も中にはいるけれど、私からすれば、彼は能力に見合った地位にいると思う。むしろ、私のいる場所がおかしい。
心の中で終わりを念じていると、資料が回ってきた。魔族の迫害について、と。
総帥がタイミングを見計らって話し出した。
「近年の魔族迫害は、低下傾向にあるといえる。しかし、未だに忌避感がみられる地域も多い」
「各国の状況を纏めましたので、そちらをご覧ください」
総帥の言葉を引き継いで、補佐が説明を始める。
そっと資料を斜め読みする。国によって魔族への対応はまちまち。多くは友好的ではないけれど、それでも迫害件数は減ったらしい。
魔族になってから、十年と少し。
大陸での魔族の地位の向上など、実感がわかない。私がここに来た時と変わった気がしない。しかし、百才越えの方々は明らかによくなった、と話している。
ところで、その人たちを差し置いてなぜ私は会議に参加しているのか。
「本格的な魔術師の台頭が始まった二百年前から、魔族と魔術師の混同が見られるようになりました。魔術師の社会的地位が向上したことで相関的に魔族への当たりが弱まった、というのが見解です」
かつては使える人が限られた神秘の技術。それが、魔術と呼ばれていたらしい。
現代でもその色は強いけれど、魔道具で誰もが魔術を使えるようになってから神秘性は一気に薄れた。人が魔術に慣れたことで、似たような技術を使う魔族も魔術師と扱われるようになった。そう、資料には書かれている。
「我々ウィティウムは、魔族と人間の歩みより、または棲み分けを促して共存をすることが本来の目的です」
本来、と付け加えるのはキョウに向けての言葉。
外部から我々がどう思われているのか、は。コメントしようがない。
補佐が魔族の現状を伝える。
魔族と知られて問題ない国もあれば、そうではない国もある。特徴がどうしても、受け入れられない国ならば、魔族は人を害する魔物の亜種と見なされ討伐されることもある。
人間同士の闘争が減らないところに、別の生き物と定義された魔族が投入されたら。それは劇薬だ。見た目が人に似ていても魔物と認識するなら、殺すのに躊躇などすまい。
私はこの組織に偶然助けられただけで、そのまま死ぬ可能性だってあった。魔族に覚醒するというのは、そういう事。人から生まれたのに、人外の烙印を押されるという事。
補佐は人間としても地位のある身分だけれど、その権限を使ってもこういう悲劇は止まらない。だから必死なのだろう。人間の同胞と、魔族をそう定義する補佐にとっては。
補佐の説明が終わりそうだから、意識をまた向ける。
「最初の議題は、覚醒前の魔族を救済できないか、です。覚醒前の兆候、調査方法、何でも構いません。何か知っている方、思いつく方はいますか?」
話がひと段落すると、先ほどキョウに質問をした女性幹部が小さく手をあげた。
「イール、何かありますか」
「先程の説明で魔術師と魔族の同一視が見られる、ということですけれど。覚醒する者は魔術師に多いのかしら?」
尤もな疑問。魔術師が、実は魔族の前段階かもしれない、という考えは素直な見方だと、思う。
ただ、ウィティウムに居る魔族は、覚醒前に魔術師でなかった人達の方が多い。魔術を使えなかった人達が、どうして覚醒するのかの答えにはならない。
補佐も分かっているから、首を振った。
「それは、未調査です。明確な関連は不明ですね。魔術師を魔族の亜種と見なす国もありますが、根拠には欠けます」
「そう……やはり吸魔行動か老化が止まらないところでの選別が確実なのでしょうね」
まあ、逆に魔族が魔術師をしている例はままある。魔術師協会もそうだし、別組織の魔術師組合もそう。数人はいる。魔族の血統は、確かに存在するから。
しかし、覚醒前はあくまで人間で、魔族にむやみやたら関わらせるのは、宜しくない。覚醒しなければ人間として人生を終えることだって、ままある。
「イール、ありがとうございます。他には、どうでしょうか」
補佐の呼びかけに、まちまちな反応を返す人が多数。人によっては、この話自体がどうでもいい議題。あとは私のように様子を伺うか。
そんな中、浅黒い男性が軽く唸った。彼は医者でもあるので治療中に患者から色々聞かされているはず。白衣を着たままの彼は、考えながら話し出す。
「覚醒前の自覚症状、は報告がありません。吸魔が安定しない魔族の話でも、ある日突然、という訴えしか聞かないです。覚醒してからの症状でしか、判別は無理かと」
「そうですか……いえ、貴方の意見も参考にはなりました、ネグリア」
「お役に立てたらいいんですけど、すみません」
手詰まり感は否めない。私は目を伏せてとりあえず話が終わるのを待ちの姿勢でいる。
そんな空気の中、私の先生にあたる人が発言した。
「そういえば、メアは覚醒の予測をしているようだよね。メア、話をしてもらえるかな」
いきなり私の名前を言い放った先生に、息が止まった。
妙に鋭い目付きは普段通り。しかし、隠し事をするなとその目は語っている。しまった、いつもの癖が先生にはばれている。何か心当たりを持っていると、先生の中で判断が下った。
少しざわついた空気の中、先生は真っすぐ私を見ている。
補佐が恐らく強張っている私の表情と先生を見ながら不審な顔つきになる。
「初耳ですが。シウ、何を根拠に言っているのですか?」
「勘としか、いえない。ただ、僕の知る限り、メアが組織に勧誘してきた人間は、だいたいみな覚醒していたからね。見分ける方法があるのでは、と思っただけさ」
――私が言わないのをいい事に、言いたい放題。これは、言うべきではない事柄。だけれども、先生は逃がす気はないでしょう。
「メア、言えない何かがあるのかい?」
――ここで嘘を付いたとしたも、幹部達はすぐ見破る。沈黙が真実味を持たせてしまっている。
そして、最終的に補佐の鋭い視線を受けて、観念した。
「……はい。説明します。精霊の、振る舞いで覚醒するかどうかを、図っています」
みなの注目の的。矢面に立たされて心が折れそう。
今朝のトリシャだって、全く信じていないのに。この場の人達が精霊を信じるとは思えない。どちらにしろ追及が始まる。
「精霊?」と呟いた補佐はもちろん、数人はあまり色好い反応ではない。ちなみに、総帥は顔に出されないので参考にならない。あくまで中立を保とうとする御方だ。
――こうなったら一気にまくし立ててしまおう。反論を挟む余地を与えると余計な口を滑らせる。
「精霊です。世界中に散らばっている存在で、普段、人間はその姿を見ることはできません。ある条件下でのみ、精霊は姿を現します……ごく稀に、精霊そのものと交流できる人間もいます」
――ひと呼吸おいて、私は続けた。ここで止まったらまずい。
「彼らは、何種類もいますが、特定の二種類の精霊は人とかかわりが深い。人が何かしらの感情を強く抱いたときに、そのうちのどちらかが寄ってくることがあるのです。魔族に覚醒する人間に対して、この精霊たちは異常行動をとります。例えば、大量に群がって本人が見えないくらいになっているか。または、一切の精霊が寄り付かないか。それで、その兆候が見られた人には声をかけています」
――彼らは精神活動に関わる魔力をろ過する精霊たち。そこまで話すと、魂に歪みが生じる可能性が高いので秘匿した。かつてその存在を広く信じられた精霊をもう人は忘れている。それなりの、理由あっての事。だから、言いたくないのに。
言い切って、疲れて私は座った。誰か労わってほしい。久しぶりに、本当にまずい事になりかけた。
補佐は険しい顔をしたまま考え込んでいる。きっと、彼は私が偽った訳ではないと感じてはくれている。
ただ、私が嘘を真だと信じている可能性も考えられるから、事実かどうかの見分けはつかない。見分けなどつかなくてもいいのだけど、それはそれで悲しくなる。
そして彼が出した結論は。
「精霊、という存在の是非から議論の必要性がありますね」
やはり完全には信じてはいない。落胆したのと、ほっとしたのとないまぜになって私は一息ついた。
が、隣から予想外の賛成意見が出た。
「僕は精霊を使った選別っていいと思います。観測できる人間を発掘する手間はかかるけど、その分、先手が打てますよね」
何故キョウは私を支持したのか。全く理解は出来ないけど、キョウが乗っかったことで、追及は彼女へ移った。もう、いいか。私は酷使した神経を休ませていいだろう。そう思う事にして流れをそのまま見守る事に。
補佐がキョウをどう思っているのかは分からない。ただ、話を聞く事にはしたらしい。
「貴女は信じるのですか?」
「えー、魔力の知覚方法が人によるんだから、精霊も魔力の一形態とかなんじゃないかなぁって。それで、見える人には魔力がそんな風に見えているとか」
キョウは、疑問形で答えている割には確信を持っている口ぶりだった。
彼女の言っている事は、当たらずとも遠からず、ではある。ただ、そこに思い至ったということは、何かしら精霊と関わりがあるのでは。
私が色んな疑念を抱いていたら、先程から発言している女性幹部もややあって声をあげた。
「場所によっては精霊の逸話が存在するわ。全くの出鱈目でも、ないような気がするの」
「……ふむ。検討事項としておきます。よろしいですか、総帥」
幹部からも賛成が出た事で、補佐の中ではあるかもしれない、くらいには認識が変わった。
そもそも、魔族さえおとぎ話の住民だった。そう考えたら、多少は不可思議な事にも耐性が出来るだろう、魔族に覚醒したら。
でも、賛成意見がなく一人の発言だけだったら、私が狂人扱いを受けていた。
ささくれだった心のまま、目の前でどこ吹く風の先生を切りつける想像をして溜飲を下げる。勝てる相手ではないのだけど、想像の中だけでも、勝っていいでしょう。
話を最後まで聞いて考え事をしていた総帥は、指示を出した。
「そうだな。メア、精霊の感知方法や感知できる人間についての報告書を後でまとめて持ってくること。あとは、キョウとイールが補助すること。それでよいな?」
「はい、いいですよ!」
「総帥の仰せの通りに」
着地点が正しかったかは、分からないけれど。どうやらうまく切り抜けられた。
ほっとして椅子に座り直すと、次の議題に移った。
「では、次に。ネグリア、吸魔抑制剤の開発状況を報告願おう」
「承知しました」
医者である彼が、報告書を片手に説明を始める。
ネグリアの研究内容は魔族の性質を抑えるもの。私は、被験者として協力している。そういえば、薬がなくなっていたから、後で取りに行こう。少し、個人的事情で気が重いのだけど。
協力者の拡大が必要、ということで、館の管理者でもある女性が助力することになった。今はスリットドレスを着ていて、艶かしい。
「マーヤ、ネグリアに助力を」
「ええ、もちろんです、総帥。ご用命とあらばお答えしましょう」
自信たっぷりで優雅に答える女性。
素敵な笑みの彼女は怖い。築き上げてきた人脈で、任務を確実に、完璧にこなすことだろう。信用第一を掲げる人なので。
こちらの話は、事務連絡程度のもので終わった。そして、総帥から補佐と先生に指示が下る。
「さて、後は、リアン、シウ。専守防衛を忘れずに警備の配置を組んでもらえるか」
声をかけられた二人は火花を散らしながら頷いた。
二人とも、折り合いが悪い。先生の方が古株なのに、補佐が上だから。
他の幹部や、私を含めた構成員は遠巻きにしている。誰も触れようとは思わない。両者共、一匹狼の気質なので派閥もない。当人たちが納得のいくまでやりあえばいいと、そういうスタンス。
それ以上な問題児がいるから、そっちをどうにかしたほうがいいと思う。
総帥もご承知なので、最後に声を掛けた。
「ヴィッセ、敵対勢力の状況は?」
先程から全く発言をしていない最後の一人は、やる気の無さそうな男性。この人はこの人で自分のペースを崩さない。幹部達からは結構な視線を浴びせられているのに、気にした様子もない。
苛々しだした補佐が、彼を急かす。
「……襲撃は数十件。あとは、邪神教が怪しい動きをしている。あやつらの一部が、魔族の粛清を目論んでいた。教祖レベルの動きではないから、組織的なのもではなく下っ端が功を急いているだけだろう」
男性は欠伸をしながら答えた。補佐と先生は咎める目をしているけど、素知らぬ顔だ。
なぜそこまで強い精神力でいられるのか……少しだけ眠気が取れたのか、声に張りが出てきた。先程までの議論を、恐らく聞いていない。
「襲撃の半数は犯罪組織としてウィティウムを追っている国家のものだ。甘んじていては魔族そのものが悪に仕立てあげられてしまう。各自、自重を求める」
「戦闘種族の貴方が一番の懸念事項です」
「全くだ。人に頼むのであればまず己を振り返れ」
上の立場からの発言で、補佐と先生が真っ先に食らいついた。
この二人の反りが合わないのは同族だから。たぶんそれが原因。そんな関係性を考察している最中、館の管理者の女性が頭痛に耐えるような面持ちで「根回しくらいはしなさいよ……」呟いた。
男性とはそれなりに仲がいいだけに、フォローをすることが多い。そして、半分は無駄になっているから不憫。彼女のお節介を袖にするのも、すごいと思う。
女性幹部に至っては矯正を諦めた、と目で語っていた。
初参加のキョウが、小声で私を軽く突いた。
「あの、メア。ヴィッセさんってどんな人なの?」
「感性で生きている人」
「ああ、周りが合わせるしかないんだね。なるほど」
彼の事をあえてそう形容した結果、キョウは心得た、という顔で会話に参加した。
初日から順応力がすごい。やはり、ただ者ではない。
「魔族のイメージ向上は僕も賛成。ウィティウムが犯罪者の巣窟って認識はなかなか覆せない。だから、構成員がマトモって各国に思わせるのが一番だよ」
似たような話をしているのに、伝え方によってこうも反応が違うのか、と思わせるほど納得した。
彼女はこういう場に慣れているのがよく分かる。
「襲撃者の出身の内訳、すぐ出せる?」
「……ルクスが一件、シュバルアドとエスカーチャが三件ずつ。最多は十六件のポルガエデン。この半年間の内訳だ」
「ルクス、シュバルアドはまあ、通常って感じだよね。エスカーチャは気が立ってるのかな。ポルガエデンがすごく多い。浄化政策を掲げてるから、政治パフォーマンスだね。僕、入国拒否にあったから、魔族はダメってスタンスらしいよ」
「ポルガエデンの情勢がよく入ったな」
「元首長とは仲良かったんだ。もういないけど」
キョウの情報は確かなのか私は分からないけれど、嘘ではないのだろう。ただ、深入りは危険だから詮索はしない。
それだけ聞いた男性は、「迫害が起こっている、か」とさっきまでのやる気の無さがどこかに消えた。
「隣国に一人、伯爵家の魔族がいるな……総帥、ヴァイヘームへ俺の手駒を向かわせても構いませんか? ポルガエデンの情勢が不安定であれば、魔族の保護が必要でしょう」
「もちろん、許可しよう」
結果的に、男性は魔族救出の計画を立て始めた。悪い人では、ない。ただ、やる気にムラがある。そう、私はこの人を見ている。
「では、残るは亡命先か。立地的にはノーガス周辺が現実的だが、他に候補はあるか?」
「ヘルヴァティアなら僕、恩を売ってるから口添えできるよ。ただ、如何せん、小国だから人数は限られるね」
キョウと男性だけで話が延々と続くなか、先生が流れを棹を指した。
「リスリヴォールなら元幹部がいる。大国ならば、それなりに受け入れも可能かもしれない」
私は無関心を装った。祖国の名が出てきて心臓がうるさい。
総帥が難しい顔をする。珍しく、反対をされている。そこまで、気難しい人なのだろうか。
「シウ。テオ殿は、魔族らしい魔族だ。条件によっては、ごく稀に死んだ方が優しい事態になる可能性もあるが……あの御仁を説得できるか?」
「火急の事態であれば、便宜は図ってくれるかと」
先生は遠い目をしている。つまり、先生も総帥の言葉自体は、否定していない、と。
女性幹部が、これまた先生と同じような目で頷いた。
「背に腹は代えられない、と思います。倫理観が彼方へ飛んでいった殿方ですが、条件次第では動いてくださるでしょうね……」
私は見た事もないその元幹部に、ろくでなしの人でなしというイメージが湧いた。テオという人物は、どんなむちゃくちゃをしたのだろう。同郷であるだけに、余計に気になる。
「検討、には値するが助力は最後に願うか」
総帥は言葉を選びながら締め括った。
後は、細微な報告で終わる。ようやく私は平常心に戻った。
すぐにでも、ここを出て行きたいのだけど。さっきの指示のすり合わせをしなければならない。
丁度、キョウが声をかけてくる。きっと彼女も同じように考えたのだろう。
「やれやれ。久しぶりに会議なんてものにでたから疲れちゃったよ」
「そうですね」
「あ、そうだ。この後、時間ある? さっきの件詰めたいんだ」
「構いません」
「ありがとー」
キョウは女性幹部……イールにも声をかけて、三人で別室を借りることになった。
ここはとりあえず、そこまで緊張する必要はない。幸いなことに、イールはそこまで怖くない。逆鱗にさえ触れなければ。
「あ、ねぇ、僕のことは、キョウお姉さまって呼んでもらえるとすごく嬉しい」
部屋に入ったとたん、キョウに謎のお願いされた。お姉さま、とはまた何故に。私は首を傾げる。
「あの、もしかして同性がお好きなのですか?」
「ううん、違うよ。僕、君みたいな妹欲しかったんだ」
キラキラした目で食いぎみに話をするキョウは、本当に楽しそうに上気した顔を輝かせた。会議中の彼女は得体が知れなかったけれど、今は、本心だと思う。レイアの動きからして。
別に、私も忌避感はないからそのまま言われた通りに呼んでみる。
「キョウお姉さま」
「なになに、メアちゃん!」
「呼んだだけです」
「もっと呼んでくれると嬉しい!」
キョウお姉さまのはしゃぎっぷりに、イールは引いているのか、やや目を伏せて話に割り込む。
「精霊の話をしましょう」
「はーい。イールさんはイールお姉さまって呼んでいい?」
「……私は、さん付けで」
幹部にもそのテンションで向かうのか。怖いものなしのキョウお姉さまは、やはり大物だ。
「ふふ、イールさんは涼しいね」
「精霊のことについて纏めましょう。まず、メアがどのように知覚しているか、を示して。その後に事例を挙げて、かしら」
イールが紙を取り出して書き綴った。
キョウお姉さまの挙動には触れない方針に切り替えたらしい。諦めの早さは随一かもしれない。
「後は、実際に精霊を知覚できる人間を他に探す必要があるわ。メア、心当たりはない?」
周囲に話して、冗談だと思われること数十回。大抵は信じてない。唯一、共感してもらえそうな人がいたけれども。
私は迷いつつ否定した。あの人とは、もう話が出来ない。しようとも思わない。
「魔族の血が関係するかどうか、の見解は?」
「……何とも。母方は特定できない程の魔族の血が入り乱れていますし、父方は特定の魔族由来の血筋なので」
イールは私の事情をよく知っている。戸籍の偽装が必要だったので、全部話さざるをえなかった。しかし、知る人は最小限が好ましい。キョウお姉さまは察したのか、特に突っ込んでは来なかった。
目を細めたイールは、私の小さな嘘なんてすぐに気付いた。
「知覚できる人は、どちらの親類かしら?」
この人達を出し抜こうなど、私には無理だ。諦めてすぐに白状した。
「母方です」
「そう……特定の魔族の系譜が関わっているかは、分からない、ということね」
嘘をついても、特にイールは責めなかった。そのまま、イールは「一人だけ、私にも心当たりがあるの」と話し始めた。
「精霊か見えているかどうかは、分からない。ただ、彼女は別の次元を見ているようで……あの土地は、そもそも精霊の話が多いのよ。だから、彼女の周りの話を聞くだけでも手がかりが得られるかもしれないわ」
別の次元、とは何処なの。それはそれで困る話に発展しそう。
まだよく分かっていないキョウお姉さまはただ興味津々という雰囲気だ。
「メアだったら、心を開いてくれるかもしれないわね。一度、ルクスへ同行してもらえるかしら。あなたより少し年上だけども、同年代の子よ」
私のルクス遠征は決定事項になった。
少々予定が狂ってしまうけれど、幹部に「否」と唱えることは不可能。それに、彼女は魔族の戸籍管理者。お世話になりっぱなしの私は逆らえない。私が即答すると、イールは「決まりね」と予定をたて始める。
取り残されたキョウお姉さまがイールに声を掛ける。
「イールさん、僕は? 僕は同行していい?」
そんなお姉さまを見たイールは、笑顔の彼女にはやや冷めた目を向ける。
「あなたは……無理ね。彼女は権力者を特に嫌うから」
「えー、そんなぁ。僕、権力ないですよ?」
「嘘おっしゃい。貴女は政治家の香りしかしないわ」
イールはキョウお姉さまのお願いを一刀両断して紙をしまった。
会議中から薄々分かったけれど、キョウお姉さまは国の上層部とのコネクションを持っている。ただの陽気なお姉さま、ではないでしょう。
キョウお姉さまは一瞬だけ真顔になると、次にはまた困った表情を作ってすぐに切り返した。
「僕、そんなにぷんぷんしてるかな?」
おどけるお姉さまは、その実、全く目は笑っていない。
ああ、地雷を踏んだのでは。警戒した私と対照的に、イールは全く怯むことなく「ええ」と淡々としている。
「貴女を誘ったのは、あの先代様なのでしょう? オズは貴女を勧誘していないはずだもの。と、すると。聞いている該当者は一人だけなのよ。私がオズから窓口を引き継いだから」
イールのいう先代様、は先代の総帥。現総帥はイールの先任にあたるから、公的な場以外では名前で呼んでいる。私からしたら恐れ多いけど、幹部同士は割合気を使っていない。
その先代の総帥というのは、私が加入する大分前に亡くなったと聞いている。
「……まあ、そうですね」
全部聞き終わったキョウお姉さまは、真顔な上に殺気を感じる。やはり、お姉さまも怖い人だった。ぶっきらぼうに答える彼女を見たイールは、相好を崩した。
「先代様のことは苦手なのね、貴女。その気持ち、少しわかるわ。あの方は苛烈だから。だから予防線を張っていたのでしょうけれど。わざとらしく振舞う必要はないの。少しは肩の力を抜きなさい、メアが怯えているわ」
イールはキョウお姉さまの頭を小突き、ほほを伸ばした。
ぐにーっと広げて手を離したあと、イールは別の書類を書き出した。頬をさするキョウお姉さまが、ばつの悪そうに目を逸らす。
「むー……屈辱」
「年下が何を。百年早いわ」
微笑んだイールは柔らかい声音で返す。毒気が抜けたキョウお姉さまはため息をついた。とりあえず、機嫌は直ったらしい。私も安心する。
「人の名前みたいですけど、何の箇条書きですか?」
「治験の対象者とその居住よ。吸血型か、淫魔型の人が条件になるでしょうね。新薬開発は望むところだから、援助するわ」
イールは何も見ずに住所を書き連ねている。その記憶力、どれだけ長く生きようと私には絶対身につかない。そう断言する。
そしてとても真剣な表情のイールに、少し同情した。魔族である弊害が、自分の倫理観と全く合わなかった時は最悪だ。それで自殺する人もいるほど。
もうやる事は無くなった。この後の気まずさを先延ばしにしたくなる。だから、何となく手持無沙汰でいると、キョウお姉さまが嘘泣きをしてきた。
「頬が腫れちゃった、メアちゃん慰めてー」
「お姉さま、イール様はお姉さまを気に入っているのだと思います」
「ええ、いじめじゃないのー?」
キョウお姉さまは首をかしげて私に抱きつく。本気では言っていない、単なるじゃれあい。こういうのは、嫌いではない。
しばらくグダグダしたら夜になった。もうそろそろ、お開きの時間。
「じゃあね、メアちゃん!」
「メア、日程が決まったら連絡するわ」
二人と別れて、今日の宿に向かう。
合鍵は持ってきたけれど明かりが漏れている。やはり、先に帰っていたらしい。どんな顔で会えばいいのか、私は話を切り出す心の準備がまだできずにいた。
いつまでも、ここでグダグダしていても意味はない。扉を開けた。
「こんばんは」
「メア。さっきぶりだね」
玄関で出迎えたのは、ネグリアだ。
無愛想な表情は彼の標準装備。影のある顔が晴れるともっと素敵なのだけど、本人は関心がない。褐色の腕に抱き止められつつ、私は扉を閉じた。
「君は人たらしだよ本当に」
「妬いているの?」
「女性に妬いてどうするのさ」
どうやらキョウお姉さまのあの態度が気に障ったらしい。会議後も私に話しかける隙が無かったもの。腕を背中に回して抱擁を返すと、ネグリアは力を強めた。
男は面倒な生き物で、構わないとすぐ拗ねる。それがいいのだけど、と私は矛盾した気持ち。
「貴方のは、恋なのか、人肌恋しいなのか。分かりにくい」
見上げて感じる瞳のその熱は、何が理由か。彼に問うたところで、返ってはこない。はぐらかされている部分もある。お互いに一緒にはなれない、と分かりきっているから。
度しがたい。彼も、『私』も。
好意がなければ割りきれた。ただ欲望を満たすだけなら悩まなかった。本気になってしまった。駄目なのに、『私』は愛してはいけないのに。
だから、これで最後。
「おしまいにしましょう、『私』達の関係を」
「そう、か」
ネグリアは瞠目した。だけれど、きっと、分かっていたのだろう。『私』がいつかそう決めると。
「最後にいい?」
「ええ、構いませんわ」
口づけを受け入れる。彼の手が髪をもてあそぶ。ぬるま湯につかる時のような気分。心がほぐれるのは彼とだけだった。
終わった後、気だるくなった体を起こして紅茶を入れた。ふんわりと薔薇の香りが立ち上る。
彼がよく飲む紅茶。『私』が好きだから、置いている紅茶。着替えてきた彼に、カップを渡した。
「……ナディス」
彼を本名で呼んだ。もう二度と呼ばない彼の名を。
笑うことはできているのか。自分の顔がどう動いているのか分からない。彼は、ナディスは『私』よりもずっと大人だから、笑えていなくても分からないふりはしてくれる。
「『私』は願っておりますわ。心から安らげることを」
「シェリーメア、君は……君にも、平穏が見つかることを願うよ」
悲しい笑みを、彼は飲み下して隠した。
魔族として生きるため消すしかなかった『私』を、もう一度拾い上げてくれたから。だから、貴方も心から救われてほしい。
ああ、でも辛い。
支度を整えて、薬を受け取った『私』は家を出た。屋敷に戻って通された部屋で『私』は泣いた。声なんてあげない。そんな資格はない。
でも、今だけは『私』でいさせて。明日には、また戻るから。